「意識の骨格」というもの

  • 糖尿病のコントロールが悪い患者さんは、しばしば手足の痛覚を失ってしまう。 麻痺が出るとか、振るえてしまうとか、機能的なダメージはほとんどでないのに、 痛覚を失った患者さんは、手足に対する「関心」を失ってしまう。 糖尿病患者さんの手足はしばしば感染する。関心がないから放置する。 「足が膨らんで、靴が履けなくなっちゃったよ」なんて訴えて、 完全に腐敗してしまって、真っ黒になった足を引きずりながら外来に来たりする
  • 子供の頃に住んでいたアパートの近くに、坂道があった。 一番幼い頃の記憶は「小さいけれどすごく急な下り坂」。 そこを下るのが怖かった。 小学校に上がる前になると、「巨大な滑り台」のイメージ。とても長くて大きな坂道で、 自転車でノーブレーキで突っ込むのが好きだった。 20歳になって、昔の家に帰る機会があって、件の坂をのぞいてみた。そこには「急な坂」 なんて存在しなくて、ごくささやかな下り道があるだけだった
  • ライトノベル作家のはしり、氷室冴子は電話魔だった。半日ぐらいしゃべりっぱなしなのは 珍しくなかったらしい。エッセイの中でこんなことを書いている。 「将来は誰もが電話魔になって、自分の見た風景なんかを、常に誰かと会話しながら歩く。 「誰もが電話でつながり続けるようになると、自分の目の前で起きた事件も、 会話の相手に確認してもらわないと現実だとは思えなくなる。 「今、私の目の前で人が死んだみたいだよ」「嘘だよ、テレビではそんなことやっていないよ」 こんな会話が日本中で交わされるだろう」。 読んだ当時は信じられなかった。80年代の中盤。まだNTTが電電公社だった頃の話

動的平衡状態としての意識

意識を取り囲む環境の変化は、意識それ自体をも変化させる。

意識というのも生物本体と同じく、いろんなコンポーネントが生成、 破壊されていく中での動的な平衡状態として存在するものだから、 その形は環境に応じて自在に変化する。

意識のありようは、環境に応じて変化していくにもかかわらず、 それはやっぱり「自分」だし、そう認識される。

意識の内部には、たぶんその形を規定している「骨格」に相当するものがあって、 環境が「肉付き」を変化させても、人間の意識は人間の形のまま。

人によって、意識のありかたはみんな違うけれど、その中にはきっと、 人であるための共通する何かがあるはず。共通する「骨格」さえ見つかれば、 そこには「関節」に相当するものが絶対にあるから、応用はいろいろ。こんなことがしたい。

  • 格闘技みたいな、人類共通の意識操作体系
  • 環境の変化に対して、あらかじめ発生しうる意識変化を予想すること
  • その人に生じた意識の変化から、周囲に生じつつある環境の変化を推定すること

医療過誤の問題。

過誤というのは、その失敗が意識に上らないから事故になるまで見つからないのだけれど、 事故に至るまでの間、周囲の環境は微妙に変化したり、「失敗をした」という事実それ自体が、 その人の意識に微妙な変化を加えていたり。

「意識の骨格」というのは、もしかしたらこんな状況で役に立つかもしれない。

異常の中から「骨格」を探す

「共通する何か」を見つけるやりかたには、正常を重ねて共通項を見つけるやりかたと、 異常を重ねて、残された正常部分を探すやりかたと。

普通に生活している人の写真を何万枚も重ねていくと、 たぶんそこには「平均的な人」の姿が見えてくる。

これは筋肉と皮膚をまとった人体のイメージ。人としての姿はよく分かるけれど、 機能的な理解は難しい。

たとえば戦争や交通事故なんかで手足を失ったり、 身体に様々な変形が加わって亡くなった人の姿を加算平均し続けていくと、 最後にはたぶん、「人間の共通項」だけが残される。

それはきっと、ぼんやりとした人間の骨格模型みたいなものになるはず。 人間の機能を理解するためには、きっと「平均的な人」よりも役に立つ。

「意識の骨格」を探すためには、異常な状況におかれたり、 異常な機能を持った人の思考を観察するのが早道で、 それをやっているのは結局、SF 小説とか、伝奇小説とか。

実世界には超能力で空飛んだりする人そんなに多くはいないから、作家の想像力が頼り。

心理学はこのあたり、案外役に立たなかったり、 精神医学というのは「平均への回帰」が目的だから、 そもそも目指すところが全然違ったり、 何よりお客さん相手にそういうことするの、やっぱり不謹慎だし。

いろんな作家の意見が知りたくて、異常な状況が頻出していて、量が読めるものといったら、 行きつくのはやっぱりライトノベル

この頃いろいろ買い漁ってはいるのだけれど、正直どれも今一つ。

異常な状況設定の中、異常な能力を持った精神的に健全そのものの少年少女が 主人公の小説ばっかり。ドタバタ戦って恋愛模様があって…というのは それ自体は楽しめても、求めているのとは少し違う。

海外のSF 作家も、人間意識の不変性を心から信じているところがあって、 30世紀ぐらいの未来になって、想像を絶する技術が当たり前になっている世界であっても、 正義とか、倫理なんかは案外現代人そのまんまだったり。

「変化する人」を書いた物語、どこかにリストみたいなもの作ってる人いないものだろうか?

最近読んだものだと、円城塔の「Self-Reference ENGINE」という小説と、 リチャード・パワーズの「ガラテイア2.2」という小説がそれっぽかった…。