社会の豊かさと不実の谷

宣教師にぶどう酒を贈る話

村に長年尽くしてきた宣教師が、あるとき村を去ることになった。 村人は、ぶどう酒を一人1杯ずつ持ち寄って樽に入れ、宣教師に贈ることにした。 海に出た宣教師が喉を潤そうと樽の栓を抜いてみると、中身はすべて水だった。 日想より改変引用

誠実な村人と、不実な村人。正規分布に従うのなら、樽の中身は、 せめて薄まったぶどう酒ぐらいになったはず。

本当に貧乏な村は「水」。

たとえ水しか贈れなかったとしても、それは幸い。 「あなたがたの水はぶどう酒より尊い」ぐらいのこと、 聖職者ならば表明する義務あると思うし。

村が豊かになってきて、樽の中身は一気にワインへ。

ワインの濃度は最初から結構高くて、村が豊かになるにつれて、 その濃度はどんどん「正規品」に近づいていくけれど、ある時点で再び劇的に薄くなって、 ついには「ただの水」になってしまう。

村の豊かさがもっと上がってくると、樽の中身は再び急速に濃くなって、 宣教師はようやく、本物のワインを楽しめるようになる。

貧困と富裕。その中間のどこかに「不実の谷」がある。

一人ぐらい水を混ぜてもバレないだろう

中途半端な豊かさは、村人のこんな不実を自己組織化して、 宣教師との信頼関係を台無しにしてしまう。

村の人口と不実の谷

人口があまりにも少ない村では、たぶん「不実の谷」が発生しない。

コミュニティの人口が多くなるほど、「谷」は発生しやすくて。 大きなコミュニティを相手にする宣教師は、例えば村人が10人しかいない コミュニティを相手にするよりも、「水の入った樽」をつかまされるリスクが高くなる。

谷の発生を回避しているのは、コミュニティが持つ同調圧力

道徳にはスケール限界がある。大きな社会で不実の谷を埋めて、 従来の道徳ルールのままで誠実な理想郷を維持するためには、 有り余る富を突っ込まないと難しい。

大きな村でおいしいワインを贈ろうと思ったならば、ルールを変えるのが一番速い。

樽の代わりに透明な瓶を使うとか。村人一人一人に小さな樽を配って、 誰がどの樽を満たしたのかが分かるようにするとか。 道徳ほど美しくはないけれど、工夫はいろいろ。

小さなコミュニティでうまくいっているものをスケールアップするためには、 技術革新が欠かせない。

月ロケットの飛ばしかた

小さなロケットが成功した後、アメリカとソビエトは、その技術で月を目指した。

  • アメリカ人は、もっと大きなロケットを設計し直した
  • ロシア人は、小さなロケットを束ねることで、大きなロケットを作ろうとした

性能的にはたぶん、アメリカのサターンロケットの方が上。ところがサターンロケットは、 従来の小型ロケットとは全く別物で、最初のうちはトラブルばっかり。

ロシアはロシアで、確実に飛ぶロケットを束ねていって、最初から順調な滑り出し。 ところが束ねる本数を増やしていくと、それに伴って重量の問題とか、 振動の問題とか、「飛ばない要素」がどんどん増えていって、月まで人間を送り込めるような、 本当の巨大ロケットまでは結局たどりつけなくて。

従来の理論がそのまま通用するのか、大失敗して、 経験工学的なノウハウでの補正を余儀なくされるのか。

明暗を分けるのは、スケールアップが理論どおりに行くのかどうか。ロケットの場合、 大気圏を越えるぐらいまではスケールアップは理論どおりで、そこから月に向かうまでの どこかで、理論の飛躍が不可欠になる壁ができてくる。

解決策は2通り。「束ねる」やりかたをあきらめるのか、あるいは「月」をあきらめるのか。

「平等ルール」のスケール限界

当直あけ。朝の4時。

「昨日眠れなかったらしくて、頭痛がするからCT撮ってください」

のどなか地域には珍しく、こんなハイカラな訴えの患者さんがやってきた。

元気に歩いてきた人だし、もう4時間だけ待ってくださいなんて、頭を下げて。 患者さん怒りまくり。でもここ田舎だから、朝の4時にCT撮れる病院、 今いるところから1 時間以上離れてて。

俺は眠いんだ。救急車呼べばCT 撮れる技師だって 呼びだすのに、まじめに正規で来てみてこの対応か?

正しく使っていただいてるのにすいませんなんて謝って。それでも納得いかなくて。

平等という概念は、相当筋の悪いアイデアなんじゃないのか?」なんて、この仕事続けてきて、 いつも結局同じ結論。

まだ自分が中学生だった頃。

たらいまわし」なんて言葉が問題になってきて、日本医大の救急教室がテレビで特集組まれて、 ものすごくカッコいい人達に見えて。

そのうち同じ仕事について、研修医の頃は、もう救急患者奪いあい。

地域の公立病院とか、どの施設も救急外来開いて、「いい患者」は公立病院、 筋の悪い患者はうちの病院みたいに振り分けられて憤ったのも今は昔。

あの頃日本中で救急やってた先生がたはいつのまにか姿を消して、 有名病院にもっていかれた「いい患者」も、いつのまにかえり好みなんてできなくて。

バブルも乗り越えて、社会は間違いなく豊かになってきたはずなのに、 医療の現場は不実の谷の底の底。

「不実の谷」の先には豊かなワインが待っていて、もう少しだけ資本突っ込んでくれれば、 きっとそこには桃源郷が待ってるんだけれど、たぶん無理。

みんな疲れて、医療にかけられるお金がこれからもっと減らされて。

ものすごく後ろ向きなんだけれど、これもまた、「谷」を抜けるやりかた。

医療資本が圧倒的に足りなくなって、 たぶん信頼関係は少しばかり回復して。

豊かさが減って、社会が谷の手前まで後退したとき、 宣教師はせめて、薄いワインを飲めるようになるんだろうか…。