自分の判断を疑う方法

「解体屋」のやりかた

座っている人に「椅子」という言葉を伝えたとき、 意識は「椅子のイメージ」を拒否できない。

無意識は常に何かを感覚しつづけ、意識はそれを言葉へと変換することで、 臨場感を作り出す。

誰もが行っている「世界の記述」。その行為に先回りして、 相手の興味空間を任意の言葉で記述できるなら、 それは強力な暗示として機能する。

硬い椅子。冷たい机。部屋の寒さ。乾いた空気。

「硬い、冷たい、寒い、乾いた」は「否定」の言語セット。 「肯定」や「信頼」、「疑念」といった様々な言語セットを使い分けることで、 オペレーターは相手の意識を任意の方向へプライミングする。

人間の感覚は、数学的、統計的に記述可能な構造を持つ。

相手が次に感覚しようとする対象は、頸椎や眼窩の解剖、 記憶の想起方法などに制約を受け、それゆえに確率論的な予測が可能。

相手が感覚しようとする興味空間を予測し、それをオペレーターが用意した言語セットで 上書きすることが技術の基本となる。

お互いの幾何学的な位置関係を固定できるのならば、その動きは過去の統計に縛られる。 相手の「疑念の射線」は、データから位置と確率を予測し、回避することができる。

疑念を回避し、同時に最も効果的な攻撃位置に立ち続けることで、 相手の認識辞書を書き変えることが可能となる。

予測は行動を規定する

人間が行う思考や判断というものは、「未来予測」の延長で説明される。

予測とは、入力された情報と、保持している記憶との照合作業。

記憶はただのデータ。認識辞書の書き変えは、 このデータ部分に介入するものだから、操作を受けた人間は、 自身の力だけではそのことに気が付けない。

その判断は、本当に自分が下したものなのか? それとも自分は誰かに操作されていて、判断したと思っているだけなのか?

判断の真実性は、判断の結果に求めるしかない。

  • その判断を下すことで、特定の誰かが得をする立場になかったか
  • 自分が判断材料にしたデータの中で、無視したり、必要以上に重視したものはなかったか
  • 過去の判断パターンに照らし合わせて、うまくいかなかったり、 あるいは不自然にうまくいった部分はなかったか

相手の記述した物語にはまり込んだら負け。

危機を予感して、現状認識の外に出る術を考えないといけない。

暗示が現実を支配する

暗示の外に出ろ。俺達には未来がある。

いとうせいこうの小説「解体屋外伝」は、一睨みしただけで相手を洗脳する、 そんな技術が当たり前になった近未来の物語。

SF 小説には、人間の不変性を信じる立場と、人間の変化を信じる立場とがあって、 「解体屋外伝」は圧倒的に後者の立場。

SF の多くは、不自由で変化できない人間を主人公にして、 目の前の問題を技術の変化によって解決しようとする。技術の物語。

人間の変化を信じる物語は、技術を記号化して、 技術が人をどう変えるのかを論じようとする。

記号化した技術の中には、ファンタジー小説の「魔法」を代入したっていいし、 「異星の客」みたいに火星で普通に暮らす人々を代入したり、 あるいは洗脳の技術を代入したり。

物語の中では、「洗脳の技術」は記号化していて、詳しい記述は一切出てこない。

そういうものが「ある」という前提で物語が始まって、それを使いこなす主人公「解体屋」や、 それをとりまく人達が何を考え、どう行動し、最終的にどんな結論に至るのかが描かれる。

もうずいぶん前に出版された小説(手元の奴は89年)だけれど、 洗脳とか暗示なんて言葉が一般的になって、 「自分を疑うこと」はますます大切になってきた。

人と人とがつながるとき、そこには必ず、何らかの暗示が生まれる。

ネット社会。たとえば自分で文章を書いていて、ブックマークを下さる特定の誰かとか、 ニュースサイトを運営する特定の誰かを「操作」することは技術的に可能だし、その逆も然り。

「取り上げてもらおう」なんて意図して文章を書いている自分というのは、 果たして自分の意志で文章を作っているのか、それとも相手の興味に従って、 操作されて文章を書いているのか。

ネットワークは巨大な世界暗示。卑近な例では、外来診療なんかも同じ。 医師と患者、お互い毎日が暗示だらけで、先入観から逃れるの、本当に大変。

暗示の外に出るために

小説中では全く触れられなかった「解体屋」の技術というのは、 この20年ぐらいで大分洗練されてきて、実用化した技術もいくつか。

メディアの役割も、「伝えること」から「操作すること」へと変化してきて、 速さや正確さよりも、情報を伝えた「結果」のほうが重視されるようになってきて。

操作手段がいよいよ現実味を増す昨今、昔から探しているのが、 「暗示の外に出る」方法。

疑うことはもちろん大切なんだけれど、商売柄そうもいっていられないし、 とりあえず相手とのつながりを作り上げて、その上で自分の判断というものを続ける技術、 もしもあるならすごく大切。

「洗いかた」についてはいろいろ妄想できて、あるいはもう実現していて。 防衛のしかた、抜け出しかたについてはさっぱり。

心理学畑の本とか、もっといかがわしい本はたいてい持っているんだけれど、 「脱洗脳」をやろうにも、まずは「自分が洗脳された」という自覚が無いと、 話が始まらないものばかり。

「無い技術」を見つけるためには作家の想像力が必要で、それを探すには、やっぱり SF 小説とか、今ならきっと、ライトノベルとか。

「解体屋外伝」は未来を伝えた小説だったけれど、防衛手段については、 あんまり多くを教えてくれなくて。いとうせいこうの小説はどれも面白かったのに、 最近は仏像の本とか園芸の本とか、未来とは縁の無いものばかり。

そんなわけで最近はライトノベルを探してる。

新しい分野にはきっと新しい考えかたが集まるはずだし、 技術の説明をうるさくいう人少ないだろうからこそ、「人間の変化」に リソースを割く余裕も出てくるだろうし。

他人様に頼ってばかりなんだけれど、誰かいい本を推薦していただけると幸いです…。