診断画像の読みかたについて

今の就職先での身分は「一般内科」だから、心臓だけというわけにもいかなくて。

悪性腫瘍の患者さんは外科の先生が診てくださるけれど、あとは脳梗塞とか肺炎とか、 腹痛精査とか、不明熱やら体重減少の精査やら。

CT スキャンとか自分で読まなくなって久しくて、今勉強やり直し中。

時間もないので日本語の教科書を10冊ぐらい適当に買いこんで。 片端から読んでいるのに、やっぱり実力なんてつかない。

脳の「帯域」が広い人

残念ながら、教科書を書いているのは専門の先生がた。

画像診断の専門家と、今さら画像を勉強し始めた10年目とでは、たぶん見えているものが全く違う。

教科書はどれも、病名ごとに画像が提示されていて、 添えられた写真には、「最初からそこに病変があったかのように」、矢印が添えられて。

虫垂炎の画像診断。

典型的な画像診断の教科書では、骨盤のCT 断面画像が提示されていて、 「こんなふうに変化を生じていたら虫垂炎と診断する」というコメントが書かれていたり、 虫垂炎の治療方針なんかが書かれていたり。

ところが一般内科が知りたいのはそんなことじゃなくて、 「莫大なCT画像の中から、そもそもどうやって病気を発見したのか?」という方法論。

当院のCT フィルムには、1枚あたり、断面画像が20枚。腹部CTなんかでは、 フィルムは4枚組みで出力されるから、読まなくてはならない画像は80枚近く。 どの断面一つとっても、単純写真以上の情報量があるから、処理するのはとても大変。

将棋の羽生名人は、盤面を暗記するのに4秒ぐらいしかかからないのだそうだ。

  • 名人は、一目で盤面を全部暗記して、それから戦略を考える
  • マチュアの人達は、「一目」あたりの情報量がもっと少なくて、 盤面全体を把握するのに数分かかるし、そもそも「全てを把握する」ことが難しい

プロ棋士の人達はブロードバンド。盤面を「画像」としてダウンロードして、 あとは頭の中で戦略を練る。試行錯誤の速度が圧倒的に速いから、 アマチュアはやっぱり、プロには勝てない。

今売られている画像診断の教科書は、みんな「帯域幅が広い人」が書いていて、 ナローバンドの人間にはちょっと荷が重い。

帯域が狭い人達のやりかた

普通の人は、盤面を文章として把握する。 「盤面に残っている歩が○枚、一番左に飛車があって、 その下にまだ桂馬が残っていて…」みたいなやりかた。

これは面の情報を線として読むやりかた。幾何学の問題を解くとき、補助線を引くのと同じ。

数学オリンピックに出る子供とか、数学者になるような人達が幾何の問題を解くときは、 問題用紙が「きれい」なのだそうだ。彼らは補助線を引かない。

「補助線を引く」というのは、広すぎて把握できない幾何の問題を、 理解できる大きさに切り分ける行為。

数学が得意な人達は、イメージできる画像の量が莫大で、補助線無しで答えが出せたり、 あるいは頭の中で補助線を引いてしまうから、問題用紙を汚す必要がないのだという。

研修医の頃習ったのが、「国立がんセンター方式」の胸部単純写真の読みかた。 がんセンターの先生が本当にこんなことをやってるのかは知らない。

  1. 胸膜と縦隔の輪郭を指でなぞる
  2. 肋骨を1本ずつ指で押さえて、末梢まで追っていく
  3. 横隔膜のラインを追って、胸水の有無を検討する
  4. 肺門部から肺動脈を追って、縦隔リンパ節を見る
  5. ここまでやってから、はじめて肺野を検討する

まじめにやるとものすごく時間がかかる。これなんかもたぶん、 「ブロードバンドな人達」はワンアクションで済ませてしまうんだろう。

ナローバンドな医師にとって、「画像の読みかた」というのは、 帯域を上手に制限するやりかた。放射線診断の専門家が書いた教科書には、 こんなやりかたは、あんまり出てこない。

少ない帯域から多くを取り出す

交響楽団の人達は、音楽を聞くのにラジカセで十分なのだそうだ。

「オーディオ」という新興宗教に狂ってた頃、オーケストラに入っていた先輩がたは、 みんなラジカセ。楽譜を片手に「悪い音」を聞いて、頭の中でそれを補間する。

楽器の音が日常になっている人達にとっては、楽器の揃いかたとか音の強弱、 指揮の振りかたさえ分かれば、あとは楽譜を見れば、音を作れるらしい。

プロの演奏家でも、絶対音感を持っている人は、案外少ない。

絶対音感を持っている人は、そうでない人に比べて「帯域が広い」のだろうけれど、 プロは帯域の狭さを経験で補間する。

無圧縮の動画をネット配信するのは重いけれど、flash アニメなんかは、 驚くほど少ない容量で、多くの情報を送信できる。発信側と受信側、 知識として共有できる情報量が十分に多いなら、 あるいは帯域の狭さを克服できるのかもしれない。

自分達の業界でいくならば、患者さんの症状とか、解剖学の知識とか。

外科の先生なんかは、腹腔内を「膜の集合」として本能で理解していて、 炎症が波及する向きとか、ヘルニアの入り方とか、画像を読むというよりは、 手術の知識で確率論的に予測しているときがある。

誤り訂正符号で帯域を生かす

ナイキスト・レートのいっぱいまで頑張ったところで、 しょせんは雑音だらけのナローバンド脳。

速く読んだらミスも増えるし、「全部」が一度に見えるわけじゃないから、 読影の真実性を保証できないし。

クロード・シャノンはノイズ脳の味方。誤り訂正の概念を作った数学者。

ノイズが乗っかった通信で正しい情報を送るには、 情報と一緒に「誤り訂正符号」を送ることで、情報の真実性を担保できる。 画像の読影も同じ。

やっぱり研修医の頃に習ったのが、「聖路加国際病院方式」の胸部側面画像の読みかた。 自分のいた病院は、こんなのばっかり。

  1. まず何となく読む
  2. 心臓の上方に「黒い扇型」を確認する。ここには何もない
  3. 脊髄を上からたどって、それが白=>黒のグラデーションになっていることを確認する。上の脊椎は、 下の脊椎に比べると絶対に「白い」
  4. 心臓の背中側に、「黒い三角形」を確認する。ここにも何もない
  5. 全てが正しければ、この胸部側面写真は「正常」と読んでよい
  6. どこかに異常があれば、その領域に病変がある

聖路加方式は、「読む」という概念もなければ、解剖の知識も必要ない。 その代わり、比較的シンプルなやりかたで「正しい」を定義していて、 読みかたについては規則を作らない。

とてもいいやりかただと思うんだけれど、習ったのは胸部側面写真だけ。 聖路加本拠地には、きっと頭部単純写真編とか、腹部正面写真編とか、いろいろあるんだろう。

ナローな脳でCT を読む

単純写真ならまだ何とかなった読影も、CT とかMRI とか、「ブロードバンド」の時代になって、 自分の脳なんてもう限界。

今までの棲家だった循環器内科は、心電図とか血管造影とか。 シングルタスクのナローバンド世界。

久しぶりに一般内科に戻ってみれば、時代はもうブロードバンド。今さら頭の帯域広げようったって無理。

CT の本でも、例えばありがたいのはこんなやりかた。

  • 上行結腸を骨盤側にたどれば必ず虫垂が見つかる
  • 鼠径靭帯のスライスを見れば、動脈と静脈が絶対並んで走行しているから、血管はそこからたどる
  • 腹部CT で、腸管膜脂肪が白黒入り混じっている像があったら、その近くに炎症がある

1 万円近くする本買って、「当たり」を1 行引ける本が、2冊に1冊。もう涙目。

誰か「馬鹿でも分かるCTスキャン」書いてくれませんか…?