不恰好な力技が作る未来

ギャングネイルがトラスを広めた

鉄橋や塔を作る三角形、「トラス構造」を木材で再現するのは難しい。

少ない材料で高強度が出せるやりかた。合理的で、見た目もきれいだけれど、 構造材は全て斜め組み。木材でこれをやるときは、材料の両端を複雑に削れないといけない。

トラスを作れる人は少数で、技術者は高価。建築物に「トラス構造」を持ち込むときは、 それを建物の「売り」にしたいときとか、よっぽど象徴的な建築物に使うとか。

市場にはたぶん、「芸術的なトラスを作れる職人」が求められて、 大工さん達はそれに応えて。

木造トラス構造を採用したホールとか、有名な建物はいくつかあるけれど、 「軽くて丈夫」というトラス構造本来の機能からは少し遠くて、ほとんど芸術品。

状況を変えたのは、「ギャングネイル」という製品。

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実物は「剣山」みたい。これでトラスを作るときは、無加工の柱材を「トラス」の形に組んで、 木が斜めに接合される場所にギャングネイルを置いて、油圧プレスの力を使って、 力技で打ち込む。

今まで木造トラスを作ってきた人から見れば、たぶん相当に「頭の悪い」やりかた。

仕上がりも汚くて、子供がセロテープでベタベタ貼ったプラモデルみたい。 それでも十分に強度があって、トラス構造本来の「軽くて丈夫」は達成できるのだという。

ギャングネイルができて、木造トラスは劇的に安価になった。

見た目は悪いから、このトラスは建物の象徴にはならないけれど、 トラスを使うことで柱が不必要になって、屋根の下には広大な空間。

トラスの長所は芸術性から機能性へと変化して、巨大な部屋を持った住宅とか、 牛や豚の厩舎に使うと広くて便利とか、いろんな使いかたがされるようになった。

英語力無しに英文論文を書く方法

「今度からは、退院サマリーを英語で書くようにしましょう」

ずいぶん前、教授がこんな方針を発表したとき、研修医はちょっとしたパニックになった。

みんな英語は読めるけれど、書くのは相当苦手。 医学部には帰国子女枠があるから、学年に何人かは英語が異様に得意な連中がいて、 みんな彼らを拝み倒して添削してもらったりするんだけれど、それでも追いつかない。

優秀な連中は、「自力で書く」という選択肢を捨てた。

  1. 自分の受け持った患者さんの病名をネットで引いて、英語の症例報告を探す
  2. 経過は大体同じなので、患者さんの名前や性別、使った薬を変えれば大丈夫

何もないところから文章を書くより、誰かが書いた文章を「改良」するほうが、よっぽど簡単。

まじめで要領の悪い連中が四苦八苦する横で、ずるい人達が期日どおりにサマリーを提出して。

教授が「うまく書けている」と賞賛したのは、もちろんずるい連中のほうだった。

翻訳ソフトと翻訳メモリ

「翻訳」というのはプロの仕事。

プロの仕事を何とか機械で再現しようとして、 いろんなソフトが発売されているけれど、どれも今一つ。

「特に医師向けにチューニングしました」なんてバージョンは20万円近くして、 使ってみると、やっぱり今一つ。

翻訳のプロは、「翻訳メモリ」というソフトを使う。

翻訳メモリには「翻訳する」という機能は入っていなくて、原文と翻訳文をペアにして 記憶する機能だけ。翻訳していて、以前訳した文章と同じ文章が出てきたら、 翻訳する前に訳文を提示する。

Wordfast という代表的な翻訳メモリがあって、それを作っているのが「ロゼッタストーン」を 解読したシャンポリオンの孫だったりするのが感慨深い。

普通の人には全く意味のないソフトだけれど、たとえば同じ本の「第一版」と「第二版」を 同じ翻訳家が訳すときなんかは、仕事量を劇的に少なくできる。

ところがこのソフトが普通に使われるようになって、プロの翻訳家が「食えなくなった」そうだ。

「第一版」と「第二版」の2 回の仕事があったとして、昔だったら2冊分の技術料がもらえたところが、 翻訳メモリ時代は、2冊目は「差分」に対してしかお金が出なくなった。

翻訳という技術は1 回きりの物だったけれど、 翻訳メモリの登場で、それが再利用可能なものになった。もちろん、過去の仕事と「継はぎ」した 文章なんて美しくはないけれど、技術翻訳ならばそれで十分。

大きな企業は、いろんな本の翻訳を発注して、 翻訳家の仕事はますます減って。今 google が全世界規模でこれをやろうとしていて、 翻訳家の仕事は、これから結構厳しくなるのかもしれない。

青空文庫が滅ぶかも

本の電子化という仕事は「正確であること」が大切で、OCR した文章データを 修正するのに莫大なお金がかかるんだそうだ。

少し前まで、1 冊の本を電子化するには数百ドル単位のお金がかかったのだけれど、 Amazon がそれを1 ドルでやってしまい、業界が大打撃を受けたらしい。

それまでの電子化業界では、「OCRの誤変換はちゃんと修正しないと 売り物にならない」という常識がありました。 ところが、Amazon社は、「OCRかけっぱ」で十分OKな利用方法を思いついたのです。 Innodata社提供の資料によると、Amazon社はこの「OCRかけっぱ」を利用して、 本の売上を9%伸ばしたんだそうです。 bookscanner記 - 証人喚問後半より引用

技術革新があったわけじゃなくて、考えかたの問題。 AmazonGoogle も、今ある「電子化文書」は画像として取り込んでいて、 それに不完全なOCRデータが透明テキストで貼り付けてあるだけなんだけれど、 何かの単語から本を検索して読む分には、もうこれで十分。

テキストデータと違って、画像データだから重いけれど、 インターネットで当たり前のように動画をやりとりする時代になって、 もはや「画像が重い」なんて文句をつける人はどこにもいない。

今はまだほとんどが英語の本だけれど、版権が切れたものは、ネット上にどんどん出てきていて、 そのうち「青空文庫」のプロジェクト自体も飲み込まれてしまうのかもしれない。

芸術から機能を取り出す

  • 芸術的な技量を要するけれど高機能な技術
  • 芸術的じゃなくて機能に需要がある

この2つの要素が揃っている場所には、「芸術から機能要素だけ取り出して、 それを無様な技術を使って力づくで再現する」パラダイムシフトがおきる可能性がある。

思いついてしまえば誰もが笑うような「無様な技術」、 芸術家肌の技術者が眉をひそめるような「力づく」のやりかたというのは、 技術の再現から芸術要素を排除して、大量生産によるコストダウンを実現するやりかた。

それはたいてい美しくないし、芸術品に比べれば明らかな欠点さえあるんだろうけれど、 コントロールが可能な欠点というのは、実は欠点でも何でもなくて、 使いどころの判断さえ間違えなければ、「完璧でない」ということは問題にならない。

臨床現場で「芸術品」といえばやっぱり「問診、聴診、理学所見」で、 それをオーダーすると馬鹿扱いされたりする「無様な技術」の代表が、 血液検査やCT スキャン。

例えば学生時代からCT の読みかたを徹底的に訓練して、 卒業した時点では「CT 診断はできるけれど聴診ひとつできない」研修医として外世界に送り出す。

彼らはCT が撮れるところでしか活動できないし、 もしかしたら患者さんとまともに会話すらできないかもしれないけれど、 「CTに写る病気」であれば正しく診断できて、治療方針も暗記している。

伝統的な医師から見れば、こんな人達は無様で、正しくなんかないけれど、 きっと即戦力として役に立つはず。ベテランがCT 撮ったけど読めなくて、 夜中にこっそり研修医呼んで、代わりに診断つけてもらったりして。

「力技」が当たり前になると、「CT無い所にいったら、君どうするの?」なんて質問は無意味になる。

CT スキャンが医師を作るコンポーネントとして当たり前になるならば、 「CTのない場所に医師を置かない、患者をそんな状況に置かない」ことは、 病院管理者の大切な仕事。「CT読むことしかできない医師」には 欠点があるけれど、コントロール可能な欠点は、それがコントロールされているかぎり、 何ら欠点にはならないのだから。

「それがあるのが当たり前になった世代」がどんな行動をとるのか、 旧世代の人にはもう予測できない。

トラスを使った木造住宅は当たり前。英作文や読書感想文は、検索して改変するのが当たり前。 ネットを探せば、名作文学全集が当たり前のように全文検索可能になっていて、 病院に行けば挨拶代わりに全身をスキャンされるのが当たり前になった近未来。

その技術が普及する前の「芸術時代」を知らなくて、苦労してコストダウンかけて、 やっと普及した技術の機能性や利便性、そんな物語すらも「当たり前」のものとして意識しない、 そんな人たちが世の中を、病院を、医療を変えていく。

聴診器ひとつで病名を当てていく。そんなベテランの技術を見る若手の視線が、 「熟練した医師を見る若手」から、「日光江戸村の猿回しを見て驚嘆する外人」の視線 に変貌したとき、世界はもう後戻りできなくなって、きっと次の世代に移行する。