「負けない」医療の作りかた

問診と理学所見を中心にした、必要最小限の医療資源を駆使した医療というのは、 「勝つけれど負ける」戦略の延長。勝ちかたはとてもエレガントだけれど、 負ける確率が結構高い。

勝ち点で負けを挽回できる「勝者のゲーム」なら、「勝つ」戦略はとても有効なんだけれど、 ひとつのミスが命取りになる「敗者のゲーム」では、「負けない」戦略が重要になってくる。

医学というルールにも、マスコミの人達とか、法曹の人たちなんかがいろんなメタルールを追加して、 以前みたいな「勝つ」戦略は不利になった。

「負けない」医療、ミスを許容しないルールで生き残りをはかろうと思ったら、考えかたを変えないといけない。

  • ベテラン医師が軽症患者を診察する
  • 機械によるスクリーニング検査を徹底する

フロントラインは優秀な人

リスクに対する考えかたを改める必要がある。重症外傷の患者さんとか、 術中死の可能性が高い患者さんなんかは、最悪の事態になったところで、 それがとがめられるリスクは低い。

簡単な症例、単なる切り傷とか、風邪みたいな一番軽症の人達こそ、 「万が一」が生じたときのリスクが極めて高い。

診療という一連の行為の中で、リスクが一番高いのは、治療ではなく患者さんの振り分け。 診療の中で最もリスクの高い行為は、最も能力の高い人が行わなくてはならない。

たとえば産科医療の現場に必要なのは、産婆じゃなくて乳母。

助産師が前に立って、ベテラン医師を温存するんじゃなくて、 ベテラン医師がフロントラインを作って、 あとの人達は後方支援に徹しないと、どこかで「負け」てしまう。

「負けてない」状況を作るスクリーニング

勝利条件を決めるのは審判だけれど、「負けていない」状況は、選手でも作り出せる。

何が勝ちなのか見えない状況で「負けない」ためには、 スクリーニングの考えかたを徹底して、 「負けてない」条件を医師側が作ってしまうことが大切。

診断学の領域で、この10年間で生じた最も大きな進歩というのは、 検査データに「ハイ」とか「ロー」が表示されるようになったことだと思う。

大昔、検査データというのは、「読む」ものだった。 医師は数字の流れを読みながら、患者さんの体の中に想像をめぐらせた。

検査の異常値が「ハイ/ロー」で表示されるようになって、 検査所見は「読む」ものから「見る」ものへと変貌した。

検査データに異常値のない人は正常

これは間違いで、そもそも検査データには正常値なんてないんだけれど、 検査に「異常、正常」という概念が導入されて、トラブルは格段に減った。

「検査所見は正常な人」と、「健康な人」とは全然違う。

ところが、「調子は悪いけれど検査は正常」という考えかたは「負けてない」。 「原因は分かりません」という医師の言い回しは「負け」。両方とも勝ちではないけれど、 違いは大きい。実際問題、「検査正常」という勝利条件をうまく使うと、トラブルは格段に減る。

来院した患者さん全員にCTを撮ったり、あるいは血液検査を施行したりすることで、 「CTは正常な人」「検査は正常な人」という、負けないための手段が手に入る。

医療費の無駄遣いなんだけれど、大量消費前提ならば、これらはまだまだコストダウンも可能だろうし。

スクリーニング検査のありがたいところは、技術者の育成が簡単なこと。

研修医が採血するだけで患者さんからクレームが殺到する昨今、検査データや 画像診断をベテランと一緒に読む行為は、安全な研修ができる数少ない分野。

患者さん全員に同じスクリーニング検査を行って、まずは「検査所見上正常な患者かどうか」 を見分ける目を持つ医師を育てる。ここまでならば、医師が「負ける」ことなく可能なはず。

これからしばらくの間、ローテートした人たちが「何でもできる」認定されて無茶な思いを させられて。リスクの高い現場からはますます人がいなくなった頃、たぶん「負けない」医療が 模索されるはず。

血液検査とCT読影を最初に学んで、そのあとでICU の重症患者の受け持ちを実習してから一般病棟デビュー、 2年間の研修の最後は外来診療みたいな流れなら、「安全な医者」作れると思うんだけれど。