外来の待ち時間を減らす方法

病院に対する考えかたを変えることで、あるいは効率を上げることが可能かも。

  • 病院というのは病気を治すところであって、医師は病院機能を指揮する存在
  • 病院というのは一種のテーマパークであって、医師もまたその「アトラクション」の一つ

前者は伝統的な考えかた。自分はどちらかというと、後者の考えかたをしている。

忙しい外来のさばきかた

  1. 外来に来る人数は大体決まっていて、午前中3 時間でせいぜい60人程度
  2. そのうちの半分は「なじみ」の患者さんだから、この人達は時間がかからないし、 待たされても「ごめんなさい」で済む
  3. 時間がかかったり、クレームの原因になってくるのは、初診で来た残り30人の患者さん

この30人の待ち時間を減らして、医師に対する好印象を持ってもらえれば、 外来待ち時間に関するクレームは相当減らせる。

具体的には、こんなことをする。

  1. 最初の10人は、挨拶したらすぐ血液検査、次の10人はレントゲン室へ、 最後の10人だけは一生懸命話を聞く
  2. 「何か薬を…」という人には逆らわないで何か出す
  3. カルテには、症状に関する記載以外に、患者さんのおしゃべりをメモしておく

遊園地のゲートの役割

遊園地のゲート周辺には、いろんなショップが並んでいたり、派手なパレードが行われていたり。

ゲートは遊園地全体の印象を決めるから、その場所は極めて重要ではあるけれど、 ゲートもまた、遊園地が持つアトラクションのひとつにしかすぎない。

遊園地の開園直後、ゲートのスタッフは、お客さんを遊園地の奥へと誘導する。

ゲートの役割というのは、お客さんを遊園地全体へと分散させること。 お客さんが集まらないアトラクションは無駄になるし、 お客さんが集まりすぎたアトラクションもまた、不満を生んでしまう。

分配はとても大切。

病院の「顔」を作るのは、やっぱり医師の仕事。外来ブースがどんなにきれいでも、 事務の接客がどれだけすばらしくても、彼らがいる場所は「門の前」であって、 患者さんはテーマパークの門をくぐっていない。

外来直後、血液検査室やエコー検査室、放射線診断室といった「アトラクション」には、 まだ一人のお客さんもやってこない。

これは、遊園地のゲートにばっかりお客さんが集中して、 他のアトラクションが遊んでいる状態。 ゲートが混雑したら、並んでいるお客さんは帰ってしまうし、 遊んでいるアトラクションにはお金が落ちない。 こんな遊園地は、遠からず潰れてしまうだろう。

患者さんは「こうしてほしい」イメージを持ってくる

病院に来る患者さんは3種類。

  • 検査をしてほしい人
  • 何か薬がほしい人
  • 話を聞いてほしい人

もちろん、すべての人が「症状を何とかしてほしい」と思うからこそ病院の門をくぐるんだけれど、 それぞれの患者さんは「こうすれば、私の症状がとれる」というイメージを持っている。

これに逆らって道理を説いても、満足感は得られない。 時間ばっかりかかって、結局クレームが増えるだけ。

一番困るのが「話を聞いてほしい」人。こればっかりは覚悟を決めて話を聞くか、 「嫌な医者」になって首をすくめて、患者さんがあきれて他の病院に行くのを待つか。

検査をしてほしい人、あるいは薬がほしい人に対して「必要ありません」と言い切ってしまうのは、 その人の人格を全否定するのに等しい行為。

その人の「こうしてほしい」というイメージを操作できれば、 あるいは「正しい」医療行為ができるんだろうけれど、 今はまだそんなやりかた知らないし、忙しい外来の中では、やっぱり難しそう。

「あなたの医者」というマーケティング技法

大切にしないといけないのは、他覚的な所見なんかじゃなくて、 患者さんの疾患イメージ。

腹痛を訴える人が「娘が入院したから、私に疲労がたまった」という 考えかたを持っているならば、それを必ずメモしておかないといけない。

疲労は腹痛に関係ないし、娘の入院なんてもっと関係ないけれど、 次回の外来の時、あるいは検査が終わって患者さんがもう一度外来ブースに入ってくるとき、 何気ない会話の中で、こんな小さな知識がものすごく効いてくる。

トラブルを回避しようと思ったならば、「この医師は、私のことを考えてくれている」という 患者さんの感覚はすごく大切。

どんなに一生懸命患者さんのことを考えて、医学的に正しい医療を行う努力をしたところで、 その「正しさ」を伝える努力を怠れば、その医師は単なる「嫌なやつ」としか思われない。

鳴き声の小さな子供は、ミルクがもらえず飢えてしまう。「正しい」だけでは片手落ち。

印刷可能な技術を生かす

血液検査室と、レントゲン室にも「ゲート」を作ってほしいなと思う。

検査をしてほしい人は、最初から検査室に並んでもらって、結果が出てから外来へ。

これをやると、人によっては1日に10回ぐらい採血室に並んだりするかもしれないけれど、 そんな人たちだって、血液を1リットルぐらい抜かれた時点で、 「そんなに検査は必要ない」と納得するはず。

医療費の無駄遣い。それはそのとおりなんだけれど、採血検査とか、放射線検査というのは、 「印刷」によるコストダウンが可能な技術。

生産プロセスを「印刷」にできた技術は、時として劇的なコストダウンが可能になる。

  • 印刷技術がない大昔、本というのは貴重品であったものが、今では誰でも手に入るものになった。
  • ロウ管蓄音機は、円盤レコードになってから「印刷」が可能になって、一気に普及した
  • 電子製品も、小型化への進化の過程で「配線」が「印刷」へと置き換わり、劇的なコストダウンを遂げた

今の携帯電話なんかも、製造というよりは、印刷に近い工程で作られるもの。

採血検査とか、画像検査といったものは、大量消費を前提にするならば、 まだまだコストダウンの余地はいくらでもあって、消費を抑制することを考えるぐらいなら、 大量生産のやりかたを考えたほうが、結局は安上がりなんだと思う。

コストダウンのボトルネックになるのは、機械でなく人間。

人間を「印刷」で作りだせるようになるのはまだまだ先だろうけれど、 それ以外の要素を「印刷物」に置き換えるのは、技術的には十分に可能なはず。

問診以外の医療行為が貴重品でなくなって、読み捨ての印刷物のように配給可能になったならば、 もはや技術者としての医師の役割は減少して、外来医師に求められる機能は、 演劇的な体験だけ。ネズミーランドの着ぐるみみたいな存在になるはず。

きっとそんなに先の話じゃない。