パシルは肺炎球菌に効かない
「アメリカ人が使えといった抗生物質以外には、使ってはいけないよ」
こんな極論で教育を受けた研修医時代。10年間もそんなことを守りつづけて、 病院を移って、そうも言ってられなくなったこの頃。
自分以外の医師には常識だったのかもしれないけれど、本当に久しぶりに日本の抗生物質を使って、 やっぱりなんだか裏切られた気分。
「肺炎にはパシル」と宣伝されている抗生物質「パシル」は、肺炎球菌を殺せない。
ウソは言っていないものの、正しいことも教えない広告手法。医者やってて、 「製薬メーカー性善説」で何の問題も無くやってきたけれど、もう無理なんだろうか?
ニューキノロン系抗生物質
- 経口投与で「まともに効く」唯一と言ってもいい抗生物質
- 抗菌力が高く、喀痰移行が良い、非定型肺炎にも効く、肺炎治療で一番便利な薬の一つ
- 肺炎球菌に効果がないキノロンと、肺炎球菌に効果がある「呼吸器用」キノロン薬とがある
市販されている経口キノロン系抗生剤は、ほとんどが肺炎球菌に対する抗菌力を持っている。 注射用のキノロンは「シプロキサン」しかなくて、これは肺炎球菌に効果がない。
シプロキサンは肺炎球菌に効かない
初めての静注用キノロンだけに、このあたりはメーカーからもアナウンスがあって、 医療者側も、それなりに対応した使いかたを行っていて。今の時代にガラス瓶だったりして、 今一つ使いにくい薬だったけれど、今でも時々使う。
パシルという薬
「パシル」は静注用キノロン系抗生物質。シプロキサンの使いにくい部分が改良されていて、 安全性も高い。
この薬は「呼吸器感染症にパシル」なんて宣伝のとおり、最初から肺炎治療薬としての ビジネスを想定している。最初は第2 選択だったけれど、最近になって「第一選択薬」としての 適応が追加になった。
富山化学、ニューキノロン系抗菌剤「パシル点滴静注液」などが一次選択薬に 注射用ニューキノロン系抗菌剤パシル(R)点滴静注液、パズクロス(R)注の 使用上の注意が改訂され、医師の適切な判断のもと一次選択薬としても使用できるようになりました。 パシル(R)点滴静注液、パズクロス(R)注は広い抗菌スペクトルと強い抗菌力を有し、2002年の発売以来、 呼吸器感染症、胆道・腹腔内感染症、尿路感染症をはじめ各科領域感染症の患者様の治療に使用されております。 (中略)具体的には、「原則として一次選択薬としての使用は避けること」との記載を変更し、 「起炎菌や適応患者を十分に考慮し、一次選択薬としての要否を検討すること」と改訂しました。 日経プレスリリースより引用
最近、経口投薬が困難な患者さんが肺炎になって、 いろいろあってキノロン系抗生物質を使いたくなった。 「パシルを使おうか?」なんて話になって、この薬を調べざるを得なくなったのだけれど、 肺炎球菌に関する記載がどこにもみつからない。
結論としては、パシルは肺炎球菌に対する抗菌力が無い。
いろいろ調べて、たしかに「効く」とはどこにも書いていなくて、適応症例の中でも 「肺炎球菌を除く」という小さなコメントは入っているんだけれど、 「効かない」という記載を探すのがとても大変。
パシルに関する座談会
「パシル」と「肺炎」で検索をかけると引っかかるのが、THE JAPANESE JOURNAL OF ANTIBIOTICS という雑誌上で行われた、「呼吸器感染症の化学療法で注射用ニューキノロン系薬をどう位置付けるか」という座談会。
前半は欧米の肺炎治療ガイドラインの総括。「欧米ではキノロン系抗生物質が第一選択として推薦されているのにも かかわらず、日本には静注用キノロンが少ない」という問題提起が行われている。
後半は、新しい抗生物質「パシル」に関する解説。抗菌力の評価とか、薬物動態の解説があって、 「パシルは素性のいい薬として期待している」みたいなまとめ。
問題点は2 つ。
キノロン系抗生物質には、肺炎球菌に抗菌力を持つものと、肺炎球菌に効果が無いキノロンとがあって、 ガイドラインではそれをちゃんと区別している。座談会の中では、「肺炎球菌に効果がある」の 部分は削除された。このあたり誤解を招くとの指摘をいただきました。私の文章中での「ガイドライン」はATSあるいはIDSAのもの、を想定して書いており、一方座談会を行っている先生方のコメント、あるいはリンク先の図版は日本の肺炎治療ガイドラインを想定しているところから来たミスリードでした。申しわけありません。
座談会に集まった先生がたは、いずれも感染症治療の権威ばっかり。 集まった人達にとっては当たり前すぎて、 それに触れる必要が無かったのかもしれないけれど、素人には不親切。これではまるで、 「ガイドラインは、全てのキノロンを肺炎治療に推薦している」かのように読めてしまう。
座談会中、「パシルの抗菌スペクトル」を説明するために用いられたのが以下の表。
「代表的なグラム陽性球菌」のリストのはずなのに、代表的なグラム陽性球菌である肺炎球菌は、 この中に入っていない。
医薬品のインタビューフォームの中には、ちゃんと肺炎球菌がリストアップされている。
これをみると、パシルは肺炎球菌に対して全く効果が無いことが分かる。
肺炎球菌にパシルは効かない。座談会に出席した先生方にとっては、これはもはや当たり前だったのかもしれないけれど、 肺炎球菌なんて細菌はこの世に存在しないかのように語られる「肺炎治療に関する座談会」は、 素人が読んでてなんだか不気味。
メーカーの人にいわせれば、肺炎球菌を殺せないにもかかわらず、 臨床的には、パシルは他の抗生物質と遜色なく 肺炎に有効なのだそうだ。たぶん、南極かどこかで治験を行ったんだろう。
マーケティングの「正直の法則」
顧客の心に入り込む、一番効果的な方法は、「まずネガティブ面を認めて、 それをポジティブ要素に変える」ことなんだそうだ。
全部企業広告。ネガティブな側面を前面に押し出すことで、 顧客の信頼に訴えるやりかた。
- ナンバーツーを認める会社なら、きっといいサービスが期待できるに違いない
- 醜いスタイルだからこそ、信用できるに違いない
- 嫌な味なんだからこそ、きっと効果があるに違いない
パシルは肺炎球菌には効かない。それでもこの薬は数多くの細菌に対して 効果があるし、副作用の少ない静注用キノロンとして、力を発揮する分野だって 持っているはず。欠点を明らかにしたところで、本来この薬が失うものは何も無い。
パシルを作った大正富山化学という会社は、世界中で使われている抗生物質「ペントシリン」や、 本物の肺炎球菌活性を持ったキノロン薬である「オゼックス」なんかを作ってる、世界的な大企業。
欧米の感染症ガイドラインに記載される抗生物質を作り出した数少ない日本企業。 本来ならば、日本の抗生物質開発を引っ張っていく立場。