犬が好きな人達から学ぶ

始まりは半年ぐらい前。

広島にあった犬の飼育施設が倒産して、たくさんの犬が餓死寸前で放り出されて。

それを救うために「某動物愛後団体」が活動をはじめて、かわいそうな犬の姿が連日報道されて、 全国からボランティアが集まって、おまけに1億円以上の寄付金が集まって。 民主党鳩山由紀夫代表なんかもその愛護団体について 好意的な言及をしたりして、全てがうまく回っていたのが最初の1ヶ月。

お金も資材も集まったわりには話が前に進まなくて、 そのうち集まったボランティアの人たちが某愛護団体の不誠実な内情を告発しはじめて、 団体を賛美していたマスコミが手のひら返して、話が俄然面白くなったのが年越し前後。

話がどんどん拡散して、いろんなところで訴訟がおきたり、 かかわった人がみんな嫌になりはじめた昨今。

勝利条件の設定はいろいろだけれど、集まった寄付金の半分、6000 万円ぐらいが 手元に残れば愛護団体側の勝ちだとするなら、事実上日本中の世論を敵に回した 某愛護団体の人達は、今勝利をおさめつつある。

以下「勝因」の考察。

一貫性を持たせる

常に「我々は犬を救いたいだけ。お願いだから犬の救助をさせて下さい」というメッセージを 発信しつづけた。

それにはもちろんウソも入っていただろうし、寄付金のほとんどは使われずに 手元に残っているみたいだけれど、「犬を救う」というキーワードで、行動に一貫性を 持たせたことは、たぶん大きな武器になっている。

将来的に泥仕合になったとき、一貫性の有無はきっと大きな意味を持つ。

「私達は常に犬を救うために行動していた。邪魔をするあなた達は何をしたいのか?」

最後は声の大きな人の勝ち。声を「大きく」するためにはみんなの力を集めることが必要で、 集めるためには一貫性がとても大切。

戦線を拡大する

最初の「戦場」は広島。

広島での所業が問題になって、愛護団体は本拠地を大阪に移して、 さらには別の犬保護活動に首を突っ込んでみたり、相手側に味方するペットショップを 訴えてみたり。

話題が錯綜して、事件を追っかける人も、すべての話題を追えなくなって。 もはや「まとめサイト」を読んだって、事件の全貌なんて見えてこない。 新しい人が、今さらこの話題に首を突っ込もうとしたって無理。

新規参入が止まれば、あとは古参が疲れるのを待つだけ。

告発したのは、全てボランティアとして集まった人達。 みんな自分の生活があるし、いつまでも広島や大阪に止まるのだって無理。

「反愛護団体の象徴」みたいな役割をしていた大阪のペットショップは、 支援者の人がだんだんと引き上げてしまって、結局訴訟だけが残ったんだそうだ。

戦線を拡大するだけ拡大して、みんなの声を拡散して。最後に勝つのは、声の大きな人の側。

中心を叩く

ネット世界ではともかく、実世界で何かをやろうと思ったら「顔」を見せないといけないし、 集まるためにはどこかに「ハブ」を設けて集合しないと、始まらない。

中心を持たない不特定多数は攻撃に対して無敵だけれど、中心を持った集団の弱点は、 その「中心」そのもの。

広島にいられなくなったボランティアの人達が集まっていた大阪のペットショップは 愛護団体から訴えられたり、寄付金の返還訴訟の代表になった方は、今度は匿名の ネットメディアで叩かれてみたり。

「あの愛護団体のやっていることはおかしい」

多くの人がそう思っているけれど、実世界での攻撃に対しては、顔を出していない人は無力。

中心を叩けば「みんな」は散って、次にハブを引き受ける人は、よっぽどの覚悟が必要で。

最後は持久戦。

みんなが疲れて、そのうち核となる人が誰もいなくなったとき、最後に勝つのは、 やっぱり大きな声を出せる側。

叩きやすいところを叩く

マスコミは大々的なネガティブキャンペーンを張ったけれど、 愛護団体は真っ向勝負を避けているようにも見える。

どこまでが自覚的なのか分からないけれど、マスコミが叩くと、 カメラの死角にいる「誰か」が叩かれて、潰される。

敵はいつか、疲れて飽きる。

戦うべき相手は、一番力の大きな敵なんかじゃなくて、一番叩きやすい敵。

マスコミ。ボランティア。寄付をした人。他の愛護団体。いろんな立場の人達は、 それぞれ「一つ」。一番叩きやすいところから叩いていって、戦いを少しでも 長引かせれば、残った人達はいつか、疲れて飽きる。

「強さ」と飽きっぽさとは比例する。大きな力を持った人は手ごわいけれど、 手ごわい以上に忙しいから、飽きっぽい。

「いい人達」は疲れるし、いつか飽きていなくなる

彼らはきっと、こんな信念を抱いてる。

みんなが飽きていなくなったとき、「全世界を敵に回して一人信念を貫いた男」 のイメージが見えてくれば、ゴールはもうすぐ。

「正義のじゃんけん」を制するために

これはお互いの正義を賭けた「じゃんけん」の勝負。

「間違った正義」を叫ぶ人たちと、匿名の「正しい正義」とのぶつかりあい。 この勝負は「チョキ」と「パー」との勝負。どうやってもパー」側に勝ち目はないわけで。

「チョキ」を潰すには「グー」を呼び込む必要があって、 それはきっと、問題に巻き込まれた人の中で、実世界で「チョキ」を倒すのに十分な力を持った個人。

「匿名の多数」の力は、ネット世界ではたしかに強力なんだけれど、 実世界の争いで役に立つのは、やっぱり実世界での力。

ネットの力を集めて、愛護団体に何らかのダメージを与えようと思ったならば、 「パー」の力を結集しうる個人が必要で、この場合、「グー」になれるのはやっぱり、 民主党の鳩山議員なんだと思う。

実際のところ、鳩山議員は単純に好意的な発言を行っただけだから、たぶん愛護団体とは 何のつながりも無いけれど、実世界で一番力を持っている人は、間違いなく国会議員

匿名世論を盛り上げて、「愛護団体と鳩山議員との関係」を大々的に問うて、 「関係を否定するならば、ぜひとも議員の行動で示していただきたい」なんて外堀から 埋めていければ、案外うまくいくんじゃないかと。

正義を自称する2つの勢力と、カギを握る「グー」の存在。

自分達が「チョキ」ならば、「グー」を作らないように立ち回りつつパーを切り刻まないといけないし、 自分達が「パー」ならば、相手の動きを慎重にトレースして、 「グー」として利用できそうな人を探さないと、そのうち勝利宣言されておしまい。

「医療費削減」の正義のもとに、叩かれまくる昨今。

自分達は「パー」なのか、それとも国民世論から見ると、 既得権益にしがみつく「チョキ」にしかすぎないのか。自己イメージの把握は 大切なんだけれど、未だにどっちなんだか分からない。