犬のしつけと社会のインフラ

  • イヌには道徳心も忠誠心もない
  • 安全か危険かの判断はできても善悪の区別はできない
  • 犬には「人を喜ばせよう」という動機はない

犬は「忠誠心を持った友達」なんかではなく、利己的に振舞う、別の文化を持った生き物。 道徳心なんて最初から実装されていないから、「犬に道徳心を育てよう」という態度ではなくて、 「人間が好む振る舞いをインストールしよう」という立場のほうが正しいらしい。

犬飼った。

慣れてきて本領発揮したのか、もう暴れまくって大変。うちにはソファーセットがなくて、 来客用にドイツのパソコン椅子があるんだけれど、すでに座面ボロボロ。

叱っても、うれしそうに尻尾を振るばかり。

ほめて伝える

そもそも犬は、叱られたことと、ほめられたことを区別できないのだそうだ。

「叱る教えかた」というのは、効果が薄いらしい。

「叱る」という動作には、例外が許されない。あるイタズラを叱っても、飼い主が見ていない隙に 同じイタズラに成功すると、犬にとってはそれが報酬になってしまう。叱ることで何かを教えようと 思ったならば、24時間つきっきりで犬を見ていないと、イタズラが単なるゲームになってしまって、 上手くいかない。

いいことをしたときに「ほめる」方法は、もっと現実的なのだという。

飼い主にとって快適な行動をした犬は、餌などを与えられてほめられる。

犬にとっては、「いいこと」をしてほめられることがゲームになる。 犬は道徳に目覚めるわけではなくて、相互理解は擬似的なものにしか すぎないけれど、飼い主にとってはそれで十分実用的。

その代わり、「ほめる」だけで望ましい行動を規定するのは大変。

  • じっとしていてほしいなら、暴れたことを叱るのではなくて、 おとなしくしている状態をほめないといけない
  • 「おすわり」を教えるときは、まずは餌を使って動作だけ覚えさせて、言葉は後。 「座る」という言葉の意味を理解させようと思ってはダメ
  • 何かに対するイタズラを防ごうと思ったら、叱っても無駄。物理的にアクセスできないようにして、 その上で「もっと面白いもの」で遊ばせて、遊んだことをほめる

人間には「道徳」というOSを持っていて、 「善悪の判断」と「道徳的正しさの維持」という、2つの命令セットが実装されている。

動物にはOSに相当するものがないか、少なくとも人間のそれとはロジックが異なる。

使えるのは、「ほめる」という行為一つだけ。「よい」「悪い」で作られた、 人間にとって快適な動作セットを犬に教えようと思ったら、 動作を一度分解して、「ほめる」だけで再構築しないといけない。 記憶の維持は難しいから、ほめ続けないと定着しない。

ソフトウェアを古いパソコンで動かすために、必要な機能を 言語レベルで書き直すようなもの。 原理は分かっていても、「じゃあどうするのか」を考えるたび、頭が痛くなるこの頃。

道徳OS を維持しているもの

人間に実装されている「道徳」というOS も、たぶん後天的にインストールされたもの。

お互い好き勝手にやる中で、利害がぶつかりあって喧嘩になる。お互い興奮して、 「これ以上エスカレートすると殺しあいになる」という閾値に達したとき、 原始的な欲求を抑制することが要請されて、道徳が発生する。

道徳を維持発展させたのは、「上手くいったら報酬がもらえる」という社会のシステム。

仲良くやったらほめられた。テストでいい点数取ったらほめられた。会社で業績出したら報酬をもらった。 上手くやったら、誰かかがそのことをほめる。ただそれだけのことが、社会を回してる。

ほめられない仕事は、誰もやりたがらない。

うまく機能して当然、うまくいって当然で、成功しても 誰も報酬を出さない仕事。誰かがやらないと社会が回らないけれど、 やったところであんまりほめられない、そんな仕事には人が集まらないから、 みんなでお金を出しあって、「他人のために働く人」にそれを負担してもらう。

役所の仕事というのは、そんな社会のインフラを維持する仕事。 役所が管轄する仕事は、うまく機能して当然。失敗したら市民運動が待っている。 「社会」という人格を持たない概念の利益にはなっても、 人間同士は必ず利害が対立するから、結果として誰からもほめられない。

公立機関がやっている仕事の多くは、そんなわけで報酬系が実装されていない。 報酬システムを持たない道徳はすりきれて、「官」は腐っていくばかり。

インフラ化していく仕事

仕事の中身が「現状維持」中心になると、その仕事はインフラ認定されて、 ほめる人がいなくなるから道徳OS が誤作動おこして、それが「不祥事」として報道されて。

Web 2.0 の人たちなんかが楽しそうな未来を発信していく一方で、 官僚とか軍隊、あるいは電力会社や病院、果てはマスコミみたいな、社会のインフラとして 認知されたお仕事は、情報漏洩とか不祥事とか。なんだか暗い話題ばっかり。

「患者さんがほめてくれなくなった」

ガキの泣き言じゃないんだけれど、 結局のところ、インフラ認定された業界が暗くなる原因は、 「ほめられない」という一点に尽きる気がする。

おとなしくすることをしつけられた犬は、「おとなしくすることが道徳にかなっている」ことに 目覚めたわけではなくて、「おとなしくするといいことがある」ということを学習したからそこに座る。

「無視」は最悪の報酬。

じっとしている犬を見て、人間はしばしば自分が学習させたことを忘れてしまう。 「疲れているんだろうから放っておこう」と、犬を無視する。「じっとすること」に 報酬を見出せなくなった犬は「何か面白いこと」を他に探して、飼い主がそれを叱って、 叱られた犬はますますそれが面白くなって、しまいには手のつけられない犬になる。

医療と司法。医療とマスコミ。インフラ化した職種どうしはしばしば壮絶に仲が悪い のだけれど、誰からもほめてもらえない者どうしなんだからこそ、誰かが「ほめる」ことを再開 しないといけない。

文化がまるで違うから、「医療が望む司法の振舞い」なんて提示したところで、 司法にはその意義なんて伝わらない。それでも相手を「ほめる」、 その動作だけは文化を越えた共通言語。

みんなの道徳OSは、「ほめる」という共通したプログラム言語で記述されている。 相互理解は無理でも、操作は可能かもしれない。

OS がクラッシュして再インストール。ようやく枯れて安定してきたXP が腐って、 勇躍再インストールしてみたらVista だった…なんてことになれば、 もう社会崩壊。

崩壊しないで維持できるんなら、やっぱりそのほうが正しいと思うんだけれど。