気分のいい文章と記憶に残る文章

文章には「読んだときの気持ちよさ」という報酬系があって、 読んでいてあんまり気分がいい文章というのは、今度は読者の記憶に 残りにくいような気がする。

最後に削る予定調和文

「名詞ばらまいたような文章ですね」という感想をいただいたことがある。

読み飛ばしに適したような、できるだけ短い文章を心がけている。長いけど。

まずは書きやすいスタイルで文章を書いて、それから削る。 大げさな表現とか、余計な言い回しをまず削って、 説明がくどい部分は段落ごと削除したり。

それでもたいてい長すぎるから、今度は「予定調和」部分を削る。

「アルファ遮断薬という薬がある」。

こんな文章のときは、「という薬がある」という部分は予定調和。この薬を説明する 文章を書こうと思ったら、まずは10人が10人、こんな書き出し。 みんなが予想できる文章というのはいらない文章。だから削る。名詞だけ残る。

削るならば最初から書かなければいいのだけれど、これが難しい。

10人が10人追加したくなる文章というのは、 誰もが「こう来るな」と予想していて、そんな流れが気持ちがいい文章。 「結局削るんだよな…」とか、分かってはいるんだけれど、 書かないと流れが悪くて、文章が続かない。

予想する脳

脳の活動の大部分は、いままでの記憶を元にして、これから自分のまわりで おきることを予想することに費やされるのだそうだ。 脳は常に予測を続けながら現実を観測して、 その差が一番小さくなるよう行動するのだという。

動作は常に環境と相互作用する。

末梢から知能の中枢へと上昇していくセンサー情報と、 記憶の中枢から末梢へと下降していく記憶からの予測と。 両者は脳のどこかでぶつかりあい、比較される。

  • 予想のしやすい、よくわかっている体験は末梢側で比較が行われ、 予測に外れた差分情報だけが 上行経路を上る
  • 予測のつかない、まったく未知の体験は、記憶の中枢、海馬に達して そのまま短期記憶として蓄積される

誰かの文章を読んでいて、「先が読めた」ときは気分がいい。

予測は記憶。「読み」という行為は、文章作者の思考プロセスをエミュレートするとか、 そんな高級な計算なんかじゃなくて、単なる記憶。 読者と作者とが、たぶん以前に同じような文章を読んだことがあって、 作者はそれをもとに文章を書いて、読者はその文章からもとネタを想起しただけ。

予想があたって気持ちのいい文章は、海馬を「フック」しない。 読みが当たる。どんどん読める。読んで楽しい。でも残らない。

空白はたぶん、海馬をフックする。「この後は、きっとこう来るな」という予定調和が省略された 文章というのは、書いても呼んでも気分がよくならない。報酬体験を伴わない情報は、 過去の記憶に喰われることなく中枢に刺さって、記憶される。

あくまでも自分の体験でしかないけれど、 徹底的に削った文章というのは、思いがけずいい反響をいただけることがある。 削りの甘い、読みやすさを狙った文章というのは、 作者の思い入れのわりに、反響全然なかったり。

文章水準の低級と高級

文章表現にも、プログラム言語みたいな高水準な文法と、低水準な文法とが あるのだと思う。

明快な文章の書きかた、ディベートの技術なんかは高級な文章作法。 直感的な理解がしやすくて、学習が容易だけれど、 コミュニケーションの表層部分だけしか操作できない。

省略や空白の使いかた、「通常…」とか、「…は技術的に難しい」みたいな 思考停止ワード、味方の意思表示や弱い立場の強調、「空気」を上手に 使いこなす技術なんかは、より低級な文章技法。

やりかたを間違えると、単純に読みにくい文章になってしまったり、 作者の意図とはまったく逆の方向に作用してしまったりするけれど、 上手に使えば論理の流れをひっくり返す。

議論は完全敗北なのに、多数決取るとなぜか圧勝。議論で「勝った」相手も、 なぜか負けた側の意見を支持してくれたりして。

議論が上手であるということは、必ずしも意図を伝えるのが上手であることを 意味しない。

意図を伝えるやりかた、そんな「低水準文法」なんていうものが作れるのだとすれば、 それはたぶん、読者の反響を確率論的に予測するものになるはず。

  • 作者と読者とで共有している体験の量
  • 意図した結論と、読者が予測した結論との距離
  • 「社会的良識」みたいな漠然とした中心との距離

こんなパラメーターで「支持」というのは左右されるし、その効果には線形性がなくて、 意図はしばしばまったく逆に作用してしまうけれど、天気予報の 降水確率ぐらいには反響を読めるはず。

こんなノウハウは、それが読者に「観測」されてしまったり、 ノウハウが公開された時点で効果を失ってしまうだろうけれど、 「それが公開されたあと」を予想するのもまた面白そう。

反響を意識しながら blog をつけている作者の人とか、ノウハウを公開して誰かの邪魔をしたり、 偽情報流して「言葉を乱した」リ。いろいろ楽しめると思うんだけれど。