人生に必要なことはすべてゲームセンターが教えてくれた

始まりは駄菓子屋の裏

ゲームセンターに入り浸るようになったのは、インベーダーブームの後期。

町のゲーセンは真っ暗で、大人の溜まり場。 小学生には敷居が高くて、みんなが集まるのはいつも駄菓子屋の裏。

日曜日の朝なら監視が薄くて、電源コンセントを抜き差ししたり、 誰かが電子ライターを持ち込んでみたり。

子供のいたずらがうまくいくことなんて滅多になかったけれど、 みんなで楽しく悪だくみ。

1ボタンに2方向レバーの時代。ここから始まった。

体験をみんなで分け合うこと

当時から1 ゲーム50円。お小遣いで遊べるのはせいぜい3回。

みんな下手だったから、ゲームをする時間よりも、 友達のプレイ画面を見る時間のほうがよっぽど長くて。

「きっと、こうしたほうがもっと上手くいくよ」

みんなで楽しくアドバイス。子供の知恵なんてたいてい間違っていて、お金出してる子供も そんなアドバイスなんて気にもしていなかったけれど、そのときの一体感だけは、きっと本物。

失敗した時は「我々の失敗」。成功だってみんなのもの。

成果を競いあうとか、相手を蹴落とすとか、そんな発想をするにはゲームは手強すぎ、 小学生のお小遣いはあまりにも少なすぎた。

お小遣いが増えて、ゲームは上手になったけれど、どこかで何かを失った。

極めるべき技術をよく考える

中学生の頃。ハイパーオリンピックは、ボタン連打の楽しさを教えてくれた最初のゲーム。

基盤の性能も上がって、自機が連射できる弾数が飛躍的に上昇したのも同じ頃から。

避けてじっくりいくべきか? 連射して火力で押し切るべきか?

「避け」派と「連射」派。左手と右手。鍛えるならどちらが先なのか。

器用な連中は左を鍛えて、気合で押し切るのが好きな連中は、 右手を鍛えてひたすらに連射性能を高めていった。

振動撃ち。こすり撃ち。ピアノ撃ち。スクラッチング。高橋名人は毎秒16連射できる。

いろんな流派。いろんな伝説。ボタンを速く押す。ただそれだけのことなのに、 連射の道は奥が深くて、極めるべきことはたくさんあって。

連射が好きだった。それを自分の武器と決めれば、どんなボタンでも連打の対象。 待ってる間、エレベーターのボタンを連打する人、きっと今でも多いはず。

存在は意識を規定する。連射が上手になると、どんな弾幕ゲームでも、 連射で押し切る戦略以外は見えなくなる。

避けないで近づいて、堅いボスに重なるようにして、ひたすら連打。 至近距離からの弾幕喰って討ち死に。

グラディウス以降は頭の時代。もはや体力だけでは勝てなくて、 上手に避けて、パターンを見出して攻略する、 そんなゲーマーでないと先に進めない。そのうちどこのゲームセンターも 連射装置を「サービス」するようになって、 シューターの「連射の芸術」は、その役割を終えた。

避けかたは一つじゃない

弾が来る。大きく避ける。追い詰められる。やられる。ずっとそのくり返し。

上手い人はほとんど動かない。弾筋を見切って、最小限に避ける。 あれがたんなる強がりなんかじゃなくて、 ちゃんとした意味があるのに気がついたのは、大分時間がたってから。

怖さだけでやたらに動き回らないで、自信を持って弾幕を読んで。 当たり判定から1ミリだけ離れていても、10ミリ離れていても、当たらないのだったら同じ。

  • 必要最小限の回避をすること
  • あえて大きく動いて弾幕を誘導して、反対側に弾幕の切れ間を作ること
  • 時には怖がらずに止まって、自分を狙ってこない弾に対して反応しないこと

「避ける」ための技術は、生き残ってもっと楽しむための技術。

「器用じゃないから避けられない」という理解では正解の半分で、 「怖がらないで楽しむことで、初めて見えてくるものがある」ということをやっと理解できた頃には、 もう受験生。

状況を楽しむ余裕があれば、きっと答えが見えてくるはず。

それでもやっぱり、最後は気合が全て。

ボムを使い切る

ボム逃げかっこ悪い。往生際悪くボムで逃げるぐらいなら、最初からやり直そうか?

そんなこと考えたり、あるいは頭に血が上りすぎて、ボム使うだけの知恵が回らなかった頃は、 やっぱり上達は遅かった。

自機を1 つ失うより、ボムを1 つ失うほうがよっぽど有意義。上手な人達だって、新しいゲームのときは、 誰でも初心者。新しい基盤が入って、筐体の周囲にコインの山積んで、上手な人達は画面をボムだらけにしながら、 とりあえずエンディングまで進んで、それから攻略を考える。

お金なかったし、「あれ卑怯だよな」なんて同級生同士おしゃべりしながら、 結局エンディングを拝めたのは、上手な人たちが無様な姿を晒して、道を作ってくれたから。

目的をもって無様なやりかたを貫く人というのは、本当はものすごくかっこいい。

ボムの抱え死にには恥。そんな当たり前の感覚が身についたのは、 一人暮らしを始めて、お金の重さがとても切実になってからだった。

近くに寄る 遠くから見る

堅い相手から逃げないで近づいて、目線を遠くして画面全体を見る。

自機の主装備は、パワーアップすると広範囲に撃てる。その威力に頼ってしまうと 心が怠けて、自機は画面の下半分に沈んで、そのうち逃げ場がなくなってしまう。

本当に大切なことは目に見えない。「広がること」は目立つけれど、 それはパワーアップの本質なんかじゃなくて、むしろパワーと引き換えに失った要素。

パワーが上がって面が進めば、おのずと敵も堅くなる。拡散した弾の威力は、 パワーアップする前と同じ。敵が堅くなれば、それだけ威力は落ちるから、 弾を集中できなければ撃ち負けてしまう。

広範囲に撃てるようになった武器の威力を本当に活かすためには、 敵にぎりぎりまで近づいて、威力を集中しないといけない。

堅い敵の近くに寄って、それでも目線は、あくまでも画面全体を見渡して。

上手な人達は画面を広く使う。

画面の下端に張り付いて、自機を左右に振っているだけならば、 スペースインベーダー時代と同じ。8方向レバーの意味がない。

シューティングは自機と敵との陣取り合戦。 自由に動くことは、自由に動けることを必ずしも保証してくれない。 弾幕をくぐって、それでも前に出て、動く空間は自分で作らないと動けない。

撃てる範囲が広がったこと。自機の移動範囲が広がったこと。

広がりの威力を活かすためには、 前に出て集中する努力が欠かせなくて、広がった自由を維持するためには、 前に出る勇気が必要で。

ベテランから最初に学んだこと。

何よりも大切な意味を持つ言葉。

……「前に出て、縦に避けるんだよ