橋に対する考えかた

西洋の橋は、石なんかの丈夫な材料でできていることが多い。 彼らにとっては、確固とした2つの世界をつなぐための道筋となるのが橋というもの。

日本の橋は、木でできていたり、釣り橋だったり、非常に脆い材料で作られる。 浮世絵のモチーフとして橋が描かれる時、対岸の町の様子を書いているものは少ない。

日本の橋は「端」、文字どおり、この世の終わりを象徴するものであって、 橋を渡るというのは、一度死んで生まれなおすことを象徴しているのだという。

医療を取り巻く激変期。この時代が「橋」になるのか、「端」になるのかは、 「次の世界」をちゃんと描けるかどうかにかかっている。

公的な施設の役割が小さくなって、民間資本が参入してくる次世代。 為政者の人達が、信頼に足る次世代のイメージを示してくれれば、 みんなその「橋」に向かって殺到するはず。

今はそれが見えなくて、渡るべき橋は、 世界の終わりを象徴するものとしか認識されない。 みんな声を潜めていて、誰もが何をしていいのか分からない状態。

医療従事者ですら、嘘ばっかりついてるマスコミ様の顔をうかがいながら右往左往して、 「この病院はよくない」と叩かれればそこからいなくなり、「この地域が崩壊した」と 騒げばまたそこからいなくなり。

そのうちどこか一箇所に集められて、 「リスクから逃げ出したチキン野郎どもがここにいる」とマスコミ様から火あぶりにされるのがオチ。

  • 誰もがどうしていいのか分からない
  • ほしいのは現物じゃなくて、安全とか安心とか、そんなイメージ

安全は言葉。

「何かあっても、うちの施設は現場を守るよ。大丈夫だよ」

こんなことを、 施設長が一言宣言すれば、その施設はきっと、現場の支持を総取りできる。

「何か」なんて、一人の施設長の任期中、1度あるかないかのまれなイベント。 準備なんてしていなくっても大丈夫。大切なのはタイミング。

痴呆と死の問題を扱った漫画「天」では、アルツハイマー病に陥って自死しようとする 主人公「赤木」が、自殺を思いとどまらせようとする友人、「ひろゆき」にこんな ゲームを持ちかける。

「ここに1から9の牌が2枚ずつ、計18枚ある。つまり1は2枚ってことになるんだが… この1の牌を2連発でおまえが引いたら、その奇跡に敬意を表し……生き残ろうではないか!」 「ただし……もし2連発で引けなかった場合は…おまえの腕を一本もらおう」

確率は153分の1。あまりの低い確率に考え込む「ひろゆき」に、赤木はこう諭す。

「おいおいっ、何考え込んでんだよ、お前!」 「いいか、ひろ・・・俺を生かしたいと思うんならこんなもん即受けだよ・・・即受け!」 「負けたときは、反故にしちまえばいい・・・腕一本なんていう、そんなバカな取り決めは」 「死んでいく奴との約束なんて知ったこっちゃねぇって反故にすればいい」 「お前にはそういう、ズルいというか、いい加減なところがない・・・」 「真面目であることは悪癖だ!かくあらなければならない・・・なんて考えは・・・悪癖だ」

組織のトップにいる人は、「うちは部下を守るよ」「この病院は職員の安全を担保するよ」 と今すぐ声を出すべきだと思う。

もちろんその発言は100%真実であるはずもないし、もしかしたら宣言した人達の誰かは、 部下になった人の背中を撃つのかもしれない。

先が見えない中、確固たるビジョンを示すことなんてできるわけがないけれど、 大事なのはきっと、現場が方向を見失っている現在、偉い人たちが、今すぐ口を開くこと。

未来に橋をつなぐのが偉い人達の役割なんだとしたら、 今はある意味チャンスだと思うんだけれど。