癌の人がこれから困るかも

大昔。研修していた病院の夜間外来。がんセンターからの患者さんが紹介されてきた。

体中ドレーンチューブだらけ。山のような麻薬系鎮痛剤。

「末期○○癌の患者様を紹介させていただきます。 貴院でのご加療を希望されています。ターミナルケアをお願いします」

小さな紹介状一通。医療不信と主治医への恨みに満ち満ちた患者さん。

うちにかかったこともない患者さんだったし、研修医風情がこんな人を受け持てば、 絶対トラブルになるからお断りしたけれど、そのあとどうなったんだか。

がんセンターの医師だって人間。トラブルには巻き込まれたくないだろうから、 本当はもっとていねいな説明があったはず。 たぶん、病院を去る時点では「今までありがとうございました」の 上っ面の挨拶ぐらいあっただろう。

「いつもどおり外来にかかったら、もうこの病院に来るなと言われたんです…」

どんなにていねいに説明したって、受け取られかたは一緒。「見捨てられた」という思いを覆すのは無理。

進む病院と維持する病院

病院は大きく2種類。「医学を前に進める」使命を持った病院と、現状維持を続ける病院と。

がんセンターみたいな大規模施設というのは、 医学を進歩させる使命を持った病院。

極端な都市伝説いっぱい。

  • 糖尿病のがん患者さんを紹介したら、「合併症のある患者さんは診療できません」と断られた
  • がんセンターに行った先輩が病棟で痰のグラム染色をしたら、 「今度来た男が見たこともない特殊な染色で何かを染めている」という噂になって、 病棟中の癌専門医が見学に来た

がんセンターは「心身ともに健康ながん患者しか受け入れない」なんて笑い話がでるぐらい、 癌を治療することに特化した専門家の集まり。 歪んでいるんだけれど、その歪みを「癌を直す」という目的一つに集中しているからこそ前に進める。

医学を前に進める大規模病院と、それを支える地域の総合病院と。 がん患者さんの診療というのは、最近までは案外うまく分業出来ていて、 「がん難民」なんて言葉だって、それはちょっと贅沢言い過ぎなんじゃないかと思ったり。

これから少しだけ、流れは変わる。

3月のリハビリ報酬改訂

先月あたりから、リハビリ病棟の点数が微妙に変わって、「リハビリテーション専門病棟」 の看板を出して、厚生省の基準を満たせれば、診療報酬が上がるようになった。

看護基準なんかと違って、そんなに無茶な人事移動をしなくても対応できる制度だったから、 たぶんこれに乗っかった病院は増えたはず。

適応になるのは、主に整形外科に入院したお年寄り。

リハビリを今まで以上に一生懸命やることで、入院期間をより短くして、 歩いて帰る人を増やすのが目標。それで歩ける人なんてほとんどいないし、 そもそも「歩いて帰ってほしい」なんて考える家族なんてもっと少ないのが 問題なんだけれど、考え方としては全く正しい。

制度の割りを食ったのが、高度医療機関から流れてきたがん患者さん。

今いる病院は民間病院だから、経営大切。赤字になったら路頭に迷う。 高度医療機関から紹介されてきたがん患者さんというのは、ボランティア的に 診察しているところがあって、お金もそんなに取れないし、入院期間も長くなりがち。

今まではそれでも、大病院とのしがらみがあったり、療養病棟を何とか使いまわしたりして 対応してきたけれど、「リハビリ病棟」の看板を掲げてしまうと、リハビリの適応がない人は、 そこに入院できなくなってしまう。行き場がない。

難民化する人達

高度医療機関から紹介されたがん患者さんというのは、 手術や化学療法の効果が期待できないぐらいに病気が進行してしまって、 あとは点滴で水分補給をするぐらいしか出来ることがない人達。

そんな人達のために「ホスピス」というものがあるのだけれど、 うちの県にはそんな洒落た施設はほとんどないし、どうしても「死にに行く場所」みたいな イメージが抜けきらなくて。

亡くなるまで大体数ヶ月。

民間の病院では、平均在院日数を何とかして14日間以内に抑えようとして懸命になっている。 こんな人が一人入れば在院日数は一気に延びる。自分の施設で治療したり、あるいは手術を行った 患者さんについては、もちろん最後まで自分の施設で責任を持つけれど、そうでない人、 「一見さん」に数ヶ月間もの間ベッドを使ってもらう余裕は、もはやない。

この数ヶ月、「○○加算」なんて診療報酬の改訂が矢継ぎ早に出されて、 「病院がやっていいこと」のルールは相当に厳密になった。残念ながら、その中には 「がんの患者さんを何となく看取る」という仕事は規定されていなくて、 ルールを破ればお金がもらえなくなってしまう。

うちの病院では、3月以降、治療不可能ながん患者さんの紹介入院をお断りすることになった。 厚生省の通達が出るたびに施設の多様性は失われてきているから、 たぶんどこの病院も、同じ方針になっているはず。

リソース配分は「声の大きさ」が決める

医療資本の総量は決まっていて、それをいろんな立場の人達が食い合っている状態。

配分を決めるのは医療従事者なんかじゃなくて、患者さんの声の大きさ。

新生児集中治療なんかは、需要は間違いなくあるんだけれど、 患者さんはまだ生まれていないから、声を出す人がいない。 医学的な需要があっても、NICU は減っていく一方。

重症の先天性小児疾患。実数は少ないけれど、「○○子供センター」なんて名前のつく専門機関は、 こんな子供が10年以上入院している。 センターの医師はベテラン中のベテラン。その人達が救急の現場に出てくると、 きっとものすごく大きな戦力になるんだけれど、お母さん達の声はもっと大きい。

小児医療センターに救急患者さんを取ってもらおうにも、そんな施設のベッドは 10年前からいつもいっぱい。救急輪番に組み込む試みがあったけれど、 お母さん達が猛反対して、計画は潰れた。夜間外来が必要な子供と、 重症先天性疾患の子供。需要が多いのは救急だけれど、お母さん達の大きな声は、 圧倒的な物量の差をひっくり返した。

今「がん難民」と言われている人達は、がんの治療をこれから受けないといけない人達。 みんな必死だし、この人達の声は大きい。

どんなに治療が進歩しても、がんになった人というのは、やっぱりがんで亡くなる人が多い。 最終的にがんが進行してしまった人というのは相当数いるはずなんだけれど、声は聞こえて来ない。

厚生省はたぶん、こんな人達を「生きている人」じゃなくて「まだ死んでいない人」であると 規定していて、病院の振る舞いが厳しく規定されていく中で、こんな人達に割けるリソースは、 どんどん削られている。

リソースが圧倒的に足りていない状況でパイの喰いあいを制するのは、 結局のところ人間関係。

一人できた患者さんを外来で断ったら、翌日親族郎党10人がかりで入院をねじ込みに来たとか、 センターで「あとは地元で…」なんて言い出したら、次の面談には弁護士が同伴して来たとか、 そんな人にはベッドが用意されるし、そんなことができない、あるいはそんな真似をしたくない人は、 たぶん難民化するんだろう。

投入できる人的リソースが減れば減るほど、医学的な、あるいは道義的な道理は引っ込んで、 声の大きな、無理を通せる人達だけが得をする。

「正義」みたいな漠然とした正しい視点から声の大きさを査定して、本来大きな声をもって しかるべき人達の声を代弁するのがマスコミの仕事のはずなんだけれど、声の大きな人の声は、 ますます大きくなるばかり。

正義を自称する「中の人」達、そのへんどうなんだろう?