エキスパートシステムのこと

エキスパートシステムのこと

  • エキスパート自身は、自分が何でエキスパートでいられるのかを説明できない
  • エキスパートの人が、自身の行動原理を本気で文章化しようと試みると、 その人はもはやエキスパートではいられなくなってしまう

プロの選手とプロのコーチと

有名なスキーのコーチは、選手としてはそれほど成功しなかったのだそうだ。

そのコーチがスキーをはじめたのは、大学を卒業してから。スキーの選手のほとんどは、 子供の頃からスキーに親しんでいる人だから、競技では勝負にならなかった。

そのコーチは、自分よりも上手ないろんな選手の動作を観察して学習して、そのうち 「誰が教わってもタイムが伸びる」コーチとして注目を集め、日本中から選手が 教えを乞いにくるようになったのだという。

ゴルフの帝王ジャックニクラウスは、かつてゴルフの指南書を書いたことがあった。 それは本人も満足のいく完璧な仕上がりだったけれど、それを書き上げた後の一年間、 帝王は極度のスランプに苦しんだのだという(山に生きるより引用)。

言語化すると失われるもの

技術というものは、それを持っているエキスパート本人には説明不可能なもので、 それを無理やり言語化しようとすると、何か大切なものが失われてしまう。

言語化という行為は単なるアウトプットだけれど、 それはまた、エキスパート本人をも変質させる。

エキスパートシステム」というのは、技術を言語化する試み。 ところが、「系」の中にいるエキスパートが、自分自身を観測しようと試みると、 観測という行為自体が測定結果に影響を与えてしまい、真の値を測定できない。

エキスパートの技術、あるいは才能というのは、確率論的なもの。

エキスパートの人達はたぶん、行動を選択する過程のどこかでサイコロを振っていて、 仮に全く同じ状況に遭遇したとしても、そのとき全く同じ行動をとるとは限らない。

一番大事なところを「適当」にやれるからこそ、エキスパートはエキスパートでいられるのだけれど、 「適当」を言語化する過程の中で、確率論は決定論におきかえられる。 無理やり作られた論理的な思考過程は、たぶんその技術者の行動を上手く説明するけれど、 情報が入力されてから決定が下るまでの工程に時間がかかりすぎてしまって、 現場では役に立たないものになってしまう。

エキスパートをエキスパートにしている要因の多くは、論理の緻密さではなくて、たぶん対応の早さ。 ベテランは、外から入ってきた情報を元にして、その先にある「確率の高い現実」を予想して、 それにあわせて行動する。実世界では、未来は確率論的に予測することしかできないから、 情報の入力と、実際の行動とのタイムラグが少なければ少ないほど、 正しい行動をとれる確率が高くなる。ベテランは早い。だから正しい。

教えるのが上手なプロのコーチにとっては、選手というのはブラックボックス。 コーチがイメージしている「あるべき姿」というのは、上手な選手を観察した蓄積であって、 コーチが作り出した論理の先に生まれたものではないはず。 こんなコーチは、選手の動きと、本来「こうあるべき」という理想的な動きとの誤差を指摘するだけで、 選手の行動ロジックには介入しないで、適当なところは適当なまんま放置するからこそ、 選手のタイムが向上するんじゃないかと思う。

違うことだけは分かってる

NHK宮崎駿監督の特番を組んだ。番組中、新しい映画のイメージが固まらなくて、 監督が何度もつぶやくのが「違うことだけは分かってるんだ…」という言葉。 今までの経験の蓄積で、このまま進むと失敗することだけは分かるんだけれど、 どうやったら成功するのか、未だに全然分からないらしい。

失敗には原因があるけれど、成功を生むのは偶然の積み重ね。

サーベルタイガーが絶滅したのは、牙が長すぎて環境変化に適応できなくなったからだけれど、 「草原を速く走る生き物」という問題の正解は、ウマであったりカンガルーであったり、何だってあり。 進化論世界では、状況が全く異なるのに、結論が同じことだってある。 タコの目と人の目。生き物としての共通点なんて ほとんどないのに、目の構造は大体一緒。

成功事例というのは、成功したあとの結果を観察することはできるけれど、 その過程で何があったのか、当時者がそれを語るのは難しい。

医学的に「正しい」診療ガイドラインが毎日のように発行されている昨今だけれど、 それを作った先生方の生産性が劇的に低下したとか、 そのガイドラインを発行後、その人がベテランでなくなったなんて話は聞かない。

エキスパートが自分の行動原理を記述したにもかかわらず、 その人がまだエキスパートでいられるということは、 その人が最初からまじめに本を書く気がなかったか、 あるいはその人はそもそもエキスパートでなかったか、たぶん どちらか。

エキスパートを観察するプロ

技術を伝えていく中で、演じるプロとは別に、観察して伝達するプロを育てていかないと、 もしかしたら技術は伝わらないのかもしれない。

役に立つのは、きっと観察を中心とした方法論。ベテランが遭遇するいろんな状況と、 それに対する本人の振舞いとを蓄積して、「こんなときにはこう動くとうまく行く可能性が高い」、 あるいは「このベテランの振る舞いと最も相関しているのは、こんなデータの変化」 という行動原則を作っていくような。

父親がまだ生きていた頃、トンネルをまっすぐに掘る技術者の思考過程を 機械化する試みがあったのだそうだ。

ベテランのトンネル技術者は、見えない土の先にある「向こう側」を正確に読んで、 わずかな情報を頼りにまっすぐにトンネルをつなげる。その人自身にも、 なんでそれができるのか、上手く説明できない。そのやりかたを突き止めるために、 その人周囲のありとあらゆる情報を採取して、同時にその技術者がそのときどう振舞うのか、 それをひたすら記録したのだという。

その結果がどうなったのかは聞けなかったし、もうずいぶん昔の話だけれど、 そのトンネル技術者は何か特別なサインを利用していたのではなくて、 ごくありふれた、誰もが当たり前としか思わないような、そんな情報を複数、何となくまとめて、 一つの決断を下していたんじゃないかと思う。

病院にいるベテランも、たとえば誰も知らない所見を知っているとか、 ものすごく敏感な感覚を持っているとか そんなことはなくて、部分部分は普通の人。ところが「普通の部分」が合わさると、 特別な存在になってしまう。

昔みたいに「殺して育てる」なんてことができなくなった昨今、優れた臨床医を育てるためには、 現場にはすぐれたコーチが欠かせなくなる。総合臨床の先生方とか、 何か目指すならこんな役割をやってくれるとありがたいのだけれど。