できる人はみんな正装

社会的に成功した医師であるとか、たぶん多くの技術系の人達というのは、 みんな普段から正装しているか、あるいはその人の正しさを保証してくれる コミュニティを周囲に作って、いずれにしても外から見て「正しい格好」を保っている。

技術要素と営業要素

そろそろ社会に出てくる研修医の人達は、最初のうちはネクタイに背広、 それができないのならば、少なくとも清潔で、社会的に正しい格好を外してはいけない。

仕事には、技術的な要素と営業的な要素2つの側面があって、技術がすぐれているだけ、 営業が上手なだけ、どちらか一方だけでは絶対に成功しない。

両者はある程度までしか補間できない。 技術が足りないものは、どんなに営業したところで結局売れないし、 どんなにすぐれた技術者であっても、10人が10人「嫌な奴」と評価するような人物は、 結局どこかで上手く行かない。

病院の仕事というのは技術職だけれど、相手にするのは人間。営業的な要素は外せない。 研修医だって技術者だけれど、まだまだ技術要素なんてかけだしもいいところ。 足りない技術を磨くのももちろん大切だけれど、やるべきことが決まっていて、 習得が比較的容易なのは、技術要素よりも営業要素。

  • 腕さえあれば、格好なんてどうだっていい
  • 有名な○○先生は、取材を受けるときだってラフな格好じゃないか?

そんな反論も当然あると思うけれど、それは間違い。

同じラフな格好をした人であっても、「腕がよくてラフな格好をしている人」と、 「腕がよくてラフな格好で、さらに社会的に成功している人」とでは、 お客さんの視点から見える姿が全く違う。

ビッグネームの先生がたが、しばしばラフな服装で取材を受けるのは、 ドレスコードの不備を腕のよさで埋めているんじゃなくて、 その先生を取り巻く環境、周囲のスタッフの応対や、その病院の名声それ自体が その先生の「正装」として機能しているから。

ラフな格好で有名な先生は、そういった意味では常に「正装」を外していない。

ラフな格好をするのは、ネクタイと背広以上に「正しい衣装」を身につけられるようになってから。

真のハッカードレスコードをハックする

技術系といえばプログラマ

腕のいいプログラマの人のステレオタイプというのは、しばしばラフな格好だけれど、 メディアに出てくるようなハッカー、成功したハッカーがラフな格好をしているからといって、 駆け出しのプログラマがラフな格好をしていいのとは意味が違う。

プログラマの成果物が「コード」ならば、その人の格好というのも、また「ドレスコード」という 立派なハックの対象。

徹夜してでもバグを取りつづけて、出荷直前までコードの最適化をはかろうとする ハッカーの人達は、なぜドレスコードを最適化しようと思わないのだろう?

腕のよさ、技術的な優位というものは、ドレスコードの「バグ」を補ってくれることはない。

腕がよくて、でもわがままで、自分を取り巻くコミュニティなんて持っていない人が ラフな格好をしたところで、その人は単純に「できるけれどわがままで嫌な奴」という 烙印を押されるだけ。同じ技量を持つ技術者が複数いれば、そのうち相手にされなくなってしまう。

ラフな格好で成功する技術者というのは、 たとえば友達の数が異様に多くて、その技術者を推薦してくれる人が多いとか、 すでにどこかのコミュニティで有名人になっていて、「すぐれた技術者」 ではなくて、「この人」という固有名詞に需要があったりするような人。

その人を取り巻くコミュニティとか、あるいは一人歩きする固有名詞というものは、 これは技術要素でなくて営業要素の武器。いい背広やネクタイ、あるいは 魅力的な話術や物腰みたいな、そんな武器の一つ。 成功した技術者がラフな格好をするのもまた、背広やネクタイ以上に、 もっと「正しい」スタイルを見つけたから、営業要素を最適化したからにすぎない。

こんなものを持っていない人が、 その人に勝負をしかけようと思ったならば、技術を磨くんじゃなくて、 ネクタイをきれいに結ぶ訓練をはじめたほうが正解に近い。

技術は技術、営業は営業。お互いをお互いで補間することはできない。

社会的に「正しい」振舞いかた

以下実践。

  • 誇示は禁物: 自分自身についてべらべらしゃべったり、強い関心を引こうとする行動は決して賢明とは言えない。 自分の功績について話せば話すほど、胡散臭く思われる
  • 呑気な態度を心がける ひたむきに働いていて、いつも限界と思われてはいけない。どんなときでも楽そうに振舞い、 努力を外に見せないようにするだけで、まわりの人はその人を賢い人物だと思いはじめる。 汗だくになって働いている誰かなど、多くの人はみたくない
  • 相手によって言葉遣いを変える 全ての人は平等ではない。みんなに対して平等に、同じ言葉遣いと同じ態度で接するという、 平等の名をかりた信念は完全に間違っている
  • 上司になれなれしくしない 主人は部下がほしいのであって、友達が欲しいのではない。 主人に友達のような態度をとったり、気軽で親しげなしゃべりかたをするためには 相当な技量が必要だと知るべき
  • 外見のことで冗談を言ってはならない 外見や人種、体型のような、すぐには変更不可能なもの、あるいはそもそも 変更することができないものに関する冗談は、誰が対象であっても口にしてはならない。 誰かに対する批判、特に訂正不可能な批判というのは、「こんなことをいう人だ」という 評判の形を借りて、それを口にした人に一生付きまとう
  • 他人をほめる 他人をほめることはくやしいけれど、賞賛を口にした人にはまわりの関心が 集まってくる。賞賛や、喜びの発信者になれる人というのは滅多にいないので、 素直に他人を賞賛するだけで、その人は組織に欠かせない人間になれる

あとは風呂入ることとか、髪染めないで無難な格好することとか。 技術を覚えて腕を磨くことに比べれば、 本当に簡単なことばっかり。

簡単だからみんな馬鹿にするけれど、実際問題、これがちゃんとできている人はほとんどいなくて。

「成功しているラフな医師」のほとんどは、ラフな格好なのに年配の患者さんに人気があって、 患者さん達は、その人の「腕」ではなくて「人」をほめる。

営業は大切。