院長室の秘儀

昔研修していた400床の民間病院では、一晩に当直する医師の数が12人。

救急外来4人。内科2人、外科2人、産婦人科、小児科が各2人。

病院の隣に「夜明かし」という飲み屋さんがあって、そこの奥座敷が整形外科の第2医局。 朝の5時ぐらいまでだったら、そこには必ず誰か常駐していたから、分からない骨折の人がきたときは、 電話一本で飛んできてくれた。

救急外来はいつもお祭り。ダブルCPRなんかになると病院中の当直医が集まってきて、 昼間以上のにぎわい。3日に1回は当直だったし、仕事は忙しかったけれど、 今はいい思い出。

救急車奪いあい。症例奪いあい。 救急医療の崩壊なんて、考えもしなかった、ほんの6年前のこと。

責任者を出せ

フロントラインに立つのは研修医の仕事。

当時は自分も研修医。裏でどんなドラマがあったのかは知らないけれど、 実際のところ、クレームやトラブル、ものすごく多かったらしい。

ある程度年次が上になって、何かの折りに病院長と話をすることがあったとき、そんな話題になった。

まだ分からないだろうけれど、病院長っていうのは、本当に大変なんだよ…

病院長は、そんなことを述懐していた。

当院のローカルルールでは、研修医が起こしたトラブルは、全て病院長が責任を取るルール。

ルールは徹底していて、研修医が万引きしてつかまったとか、キレた研修医が患者さんを殴ったとか、 そんなことだって院長の責任。問題をおこした研修医は、基本的には翌日から普通に仕事を続けて、 患者さんとのトラブルについては、忘れてかまわない。

患者さんの家族と面談したり、警察とのやりとりといった仕事は、全部病院長の仕事。

そのルールは明文化はされていなかったし、うちで研修した全ての研修医がそれを知っていたとも思えないけれど、 うちの病院にはそういう掟があって、歴代の院長はみんなそれを守っていた。

責任と行為の分離

医師が行使できる力というのは大きすぎて、経験のない研修医が使うには相当危ない。

西洋医学というのは、うまくいけばすごい結果を生むけれど、 失敗してもまた、すごいことになる。それでも、失敗しないで上手くやる方法を学んでいくためには、 正しく失敗する経験は欠かせない。

研修医は、無茶をやることで失敗を覚え、だんだんと一人前になる。 手を後ろに回してばかりでは、いつまで経っても手技なんて覚えられない。

「トラブルを起こしたら上を呼べ」というのが、研修医に教えられた唯一の回避手段。 呼ばれた「上」は無条件で出てきて、その時点で研修医はそのトラブルを忘れて、次の仕事へ。 みんなどんどん問題を作ってはスルーして、その問題は最終的に院長室に持ち込まれて、 いつのまにかどうにかなっていた。

当時の病院では、「行為に伴うリスク」が研修医の目からは巧妙に隠されていたから、 今から思うと本当に無茶をしたものだった。

視野の狭さと世界の道理と

研修医の頃は、自分のことばっかり。忙しければ不機嫌になるし、 余裕が出れば仕事をほしがる。全体なんて見えないから、個人の気分と病棟の空気とは いつもどこかずれていて、トラブルばっかり。

自分が忙しいときには、たぶんどこの病院だって忙しいんだけれど、 救急車はやっぱり救急病院に集まってくる。 「なんでうちばっかり救急車が来るんですか!!」なんて、夜中に病院長と電話で喧嘩してみたり、 赤面もののエピソードいっぱい。

年次が上がって、下級生の面倒を見るようになって、 行為に伴うリスクというものが少しは分かった頃、 病院長から「種あかし」をしてもらって、そのあとさらにいろいろあって、今の病院へ。

患者さんも同じ。いい患者さんはいろんな「良さ」を見せてくれるけれど、悪い患者さんはいつも一緒。

重症診てても「いつまで待たせるんだ!!」と怒鳴り込んでくる風邪の人とか、 真夜中になってから3日前の風邪引きの子供を連れてきて、 「もう心配で心配で…」なんて涙目になるお母さんとか。

みんな自分ばっかり。視野狭い。

視野というのは、最初のうちは本当に狭くて、研修医も患者さんも、自分だけ。

みんな「大人」と話して、視野の広さを獲得して、世界を見直して、道理を覚える。

15少年漂流記の暗黒版、「蝿の王」では、無垢な子供たちが孤島に流されて、 お互い助け合い、そのうちだんだんと堕落して、最後は殺しあいになってしまう様が描かれる。

「ぼくらはみんな押し流されているんだ。何もかも腐りかけているんだ。 家にいたころはいつも大人がいたっけ。これどうしたらいいですか、 先生……それですぐに答えてもらったもんだった。こんなときこそほんとうに!」

院長室の秘儀

「院長室の秘儀」というものは、病院長級の先生方だけに継承されている、究極の交渉術。 若手はそんなものがあることすら知らなくて、自分ももちろん知らない。それはたぶん、 部長級の先生方が院長になる時に伝授されるもので、 院長の看板背負ってる人ならば、本来は誰だってこれが使える。

あの頃の病院長は、視野の狭い研修医と、視野の狭い患者さんとを同時に相手して、 道理を諭してトラブルを消す達人だった。研修医の頃から喧嘩しながら、 同時にいろんな事を教えていただいたけれど、あの「院長室の秘儀」だけは、 未だにどうやってあれだけのトラブルをさばいていたのだか、想像もつかない。

いろんな病院を転々として驚いたのが、「医者は自己責任で仕事をする」というルールが 当たり前だったこと。

当たり前だろ、馬鹿じゃねぇの?と思うかもしれないけれど、 研修した病院では、手を動かす人と、責任を取る人とは全く別だったから、 「手を動かすやつが責任を取らなきゃいけない」というルールは初めて体験する恐怖だった。

今いろんな病院から医師が立ち去って、組織が維持できない病院が増えている。 そんな病院はたいてい、上の人たちが現場をかばわなかったり、下手するとえらい人が 後ろから医師の背中を撃ってみたりして、リスクの高い科から人がいなくなる。

これが単なるルールの違いなんかじゃなくて、もしも「院長室の秘儀」と言うべきものが そんな施設のえらい人達に継承されていないのだとすれば、 それはそうとう深刻なことなんじゃないかと思う。

トラブルをおこすのが怖くて、人間関係を保つ姑息なノウハウはいろいろ覚えたけれど、 当時の「大人」達のレベルには全然追いつけない。時代が変わって、ノウハウ消える前に 誰か継承してくれないと、この業界は本当に終わる。

どこかでちゃんと伝わっていると、信じたいけれど…。