創造的疾患解決手法

昔々、某呼吸器病理の大家が、肺炎で亡くなった患者さんの肺を、 片端から調べ尽くしたことがあった。

肺炎は、細菌が肺にダメージを与えて発症する。肺組織のダメージを病理学的に評価すれば、 組織を見ることで原因菌が特定できるはず。

狙いはこんなところだったらしい。

ところがいろいろ調べていった結論は、「どんな微生物が原因となっていても、 肺胞はみんな同じように破壊されて、区別がつかない」というものであったという。

この先生はもう一歩踏み込んだ発言をしていて、肺胞の破壊だけに注目するならば、 肺炎と肺がんは、同じように肺胞を破壊するのだとか。もちろん、両者を区別するのは 顕微鏡を見れば簡単なんだけれど、細菌とか癌細胞には敢えて目をつぶって、 肺胞の壊されかたを定義で厳密に追い込んでいくと、それらを病理的に区別することができなくなった。

「肺炎と肺がん、外からの原因に対する薬は、抗生物質抗がん剤とで異なるけれど、 病理の立場からは、 両者に同じように効果のある薬があってもいいように思う。ステロイドは、たぶんその解答に近いところにいる」

こんなことを言っておられたそうだ。

脳のしゃっくり、横隔膜の不整脈

細胞は、時々異常な興奮をする。

異常な興奮が脳に生じれば、てんかん発作。心臓にくれば、心室頻拍や、心室細動。 横隔膜に来るとしゃっくりで、下肢に来ると「足がつった」と呼ばれる状態になる。

それぞれの臓器に応じて、治療はいろいろだけれど、これらはお互いに置換可能。

抗けいれん薬は心臓にも効くし、その逆もあり。しゃっくり止めに抗不整脈薬を 使うこともあるし、足の痙攣を予防する漢方は、しゃっくりの特効薬になったりもする。

抗けいれん薬は、たとえば統合失調症なんかにも用いられることがあって、 けっこう効果があるらしい。

アポトーシス。何ら原因が無いのに細胞が自殺する、この状態もまた、 体のいろんな場所で見られる。

拡張型心筋症で心筋が脱落するのは、このためだと言われる。 間質性肺炎みたいな、臓器の働きがだんだんと落ちていくような病気では、 アポトーシスが絡んでいるケースがけっこうある。

心不全に効果がある薬というのは、アポトーシスを抑える働きがある。 間質性肺炎には、伝統的にステロイドとか、免疫抑制薬みたいな薬を使う。

この両者を置換する試みも始まっていて、間質性肺炎にACE 阻害薬を試してみたり、 ある種の拡張型心筋症には、免疫抑制薬が効果があるなんて報告されたり。

創造的疾患解決手法

ロシアの特許調査官、アルトシュラーは、過去に申請された多数の特許を調べていくうちに、 たとえ分野が違っても、発明には共通するやりかたがあることに気がついた。

すぐれた発明であっても、その問題解決のやり方は別の分野ではすでに常識であったり、 どこかの分野で何か問題が発生したとき、解決策を発想するのに、他の分野のやりかたが 参考になったり。

多数の優れた特許を内容的に分析して、問題解決のパターンを明確にすれば、 自ら問題を創造的に解決する力を身につけることができる

ロシア人はスターリン時代からこんなことを考えて、「創造的問題解決手法:TRIZ」という 技法にまとめた。

病気の原因というのは病気の数だけ無数にあるけれど、その原因を受ける細胞がとれる反応には 限りがあって、体のそれぞれの場所で細胞が取る反応が、外から見える症状を生む。

臨床医学の基本的な考えかたというのは、 症状から原因を探して、治療を通じて原因を除去すること。ところが、 原因が分からない病気は無数にあって、原因が除去できないにもかかわらず病気は治る。

内科医が使う薬の中で、はっきり原因を想定して使う薬、 抗生物質抗がん剤みたいなものはむしろ例外的。 多くの薬は細胞自体に働いて、体全体のバランスを変えるように作用する。

アレルギーやアポトーシス、外敵による直接破壊や虚血、異常興奮みたいな「細胞の振る舞い」を 横軸にとって、病気の主座になっている臓器を縦軸に取って、病気をマトリックス上に展開してやると、 いろいろ面白いことができると思う。

  • 使える薬が限られている疾患に、異分野で古くから使われている薬を試すことができる
  • マトリックスの空白」に注目すると、疾患の原因を特定できたり、漠然とした症状に埋もれていた疾患が見つかるかもしれない
  • 専門家の誰かが新しい治療手段を発見したとき、それをいち早く別の病気に応用したり、あるいは薬の副作用を予測したりといったことが可能になるかもしれない。実際検証しなくても、総合屋さんがアイデアの先住権を主張でする場面が見られるかも。

部分の集積から全体を見出す

総合臨床とか、家庭医学とか、医療崩壊の仇花みたいな臨床講座が流行中。いろんな大学に 「総合」を謳う教室が作られているけれど、外科の先生方の「腰かけ」ポストだったり、 やってることは漢方とリラクセーションだったり。

「総合」を本気でやろうと思ったならば、必要なことは「原因を探す」工程を回避する思考回路を作って、 今までの知識の蓄積を、原因抜きで再構築することだと思う。

その方法は、前書いたみたいな「症状-治療」を直接結んだ治療スクリプトみたいなものを書くやり方でもいいし、 TRIZ みたいな思考マトリックスを使うやりかただってあり。

頭のリソースはみんな一緒。専門の先生がたが、そのリソースを部分の追求に全て投入するのに 対抗しようと思ったならば、総合屋さんは別の方法論を考案して、 少ないリソースで多くの部分を同時に考察する、そんなやりかたを 見つけないといけない。

部分の集積から全体を見出すやりかたというのはたぶん無数にあって、 それぞれの考え方に利点も欠点もあるけれど、きっと得られるものもいろいろあるはず。

いろんな大学にある「総合」の人達が、同じ医学の知識を思い思いのやりかたで再構築して、 実世界での臨床に役立てる。

「うちの患者じゃありません」なんて専門科同士の押し付け合いじゃなくて、 いろんな総合屋さんの疾患解釈の争い。そんな時代が来ると、医学ももっと面白くなると思う。