ユーザーにとっての医療技術

今ではもうアクセスする人もほとんどいなくなったけれど、 うちのサイトはもともと、内科のWEB 教科書を公開するためのページだった。

出回っている教科書というのは、今も昔も、医学を「科学」と考える人達のもの。 中身は「病名」で分類されていて、最新の、もとい知っていても役に立たない知識ばっかり。

科学と技術の違いというのは、たぶん「ユーザー」を意識するのかどうかの違い。

ちょうどその頃、Alan Cooper(Visual Basic を作った人) の「コンピューターは難しすぎて使えない」 という本を読んだばかり。「研修3年目、忙しくて上司の意見を聞けるのは夕方の 1回だけ、 午前中に外来から患者さんを投げられて、とりあえず夕方までの指示を出すときに便利な本」 を書こうと思ったのが、そもそものはじまり。

意図は空回りしてあんまり盛り上がらなかったけれど、 今でも時々「使ってます」というメールをいただく。

医学が面白かった80年代

「面白い話題を探そう」。

長い文章を書くときには昔から笑いを取れるようなものを心がけているのだけれど、 「面白い治療」が毎日のように考案されて、それが次々に試されていたのが80年代。

カンブリア期爆発みたいなアイデアの洪水が一段落して、それが大きなトライアルで 検証されて、整理されたのが90年代初頭。それ以降から現在まで、医学は 洗練の度を深めたけれど、基本的な治療のやりかたというのは、 もうあんまり変わっていなかったりする。

たとえば循環器内科の主な治療なんかは、みんな80年代の発案。もちろん道具も 薬も改良が加えられて、どんどん優れたものになっているけれど、基本的な発想は同じ。

肺炎の治療や脳梗塞の治療、心肺蘇生のやりかたなんかも、基本は同じ。毎年のように ガイドラインが更新されるけれど、考えかた自体は過去の洗練であって、革命的な 考えかたの転回というのはあんまり多くない。

遺伝子治療あたりが実用化してくると、この業界にもまたパラダイムシフトの大波が 来るのだろうけれど、今のところはまだまだ先の話。

人工呼吸器管理の文章を書いていたとき、一番役に立ったのは、 「集中治療メーリングリスト」の過去ログ。90年代初頭のもの。

ユーザーを意識しない科学者というのは、進歩の天井を意識しはじめると、 今度は自己批判をはじめる。

どうしようもない呼吸不全の患者さんに人工呼吸器をつけて、「何とかしよう」と がんばったのは昔の人達。新しい教科書に書いてあるのは、「こんなときには呼吸器つけてもムダ」 みたいな線引きの話題ばっかり。

メーリングリストの過去ログは、ドロドロの患者さんを抱えた先生方が、 怪しげな治療をやりとりした場所。分からないけれどこんな工夫をしてみたとか、1例報告だけれど、 こんなやりかたを聞いたことがあるとか。

それはもちろん、何の検証も受けていないやりかただけれど、 教科書から「正しい死刑宣告」を受けるよりはよっぽどまし。

7年近く前の過去ログをあさっては、状況を乗り切れそうな治療を見つけて、それを論文で確かめて。 うちのサイトで公開しているマニュアル類は、怪しい治療ばっかりになった。

科学の進歩は剣山を目指す

科学の進歩というのはたぶん、地形の変化によく似ている。

  1. 何か大きな発見があって、地殻変動によってある分野が一気に盛り上がる
  2. その発見を検証する論文が提出されて、その分野の余分な知識が削られていく
  3. 隆起した台地が風雨に晒されて山脈になるように、大きな分野は細かい専門に分かれていく
  4. 山はますます尖り、上から見ると剣山みたいになる

患者さんを診察して、分からなかったならばとりあえず大きな病院 に丸投げすれば、どこかに着陸できたのは昔の話。今は大学病院なんかは「剣山」だから、 それやると患者さんが串刺しになっておしまい。

たとえば吐血。肝臓が悪くて食道から出血した人と、胃潰瘍から出血した人とでは、 もう専門が違う。大学によっては、肝臓が第1 内科、消化管が第2 内科になっていたりして、 「口から血が噴いてます」だけでは、どこに電話していいのかすら分からない。

しかたがないので消化器外科の先生に電話をして、内視鏡を外科でやってもらってから 内科に電話。面倒だけれど、専門分化というのはこういうこと。

医学が科学であるかぎり、進歩すればどんどん「尖る」。10年前までは2人で十分だった 範囲をカバーしようと思ったら、今は専門家が4人は必要。10年後には8人でも足りないかもしれない。

マーケットの空白に技術が生まれる

科学者が天を目指す傍らで、技術者はたぶん、ユーザーを志向する。

進化する力を内包している科学と違って、技術というものを 駆動するのは、マーケットからの要請。商売になるのかどうか。

商売というのは、マーケットの空白地帯に自然発生する。

医療の分野を「マーケット」としてみたときに、今も昔も大きな空白地帯になっているのは、 「症状」と「病名」とをつなぐ空間。病名から先は充実してきたけれど、空白地帯は 昔以上に大きくなっている。

症状と病名とをつなぐのに、生理学や解剖学、あるいは医学の知識なんて必要ない。

OS を自分でプログラムできなくてもパソコンは使える。問題を解くことは、 一部の専門家にしかできないことだけれど、「問題を解決可能な形に帰着させること」というのは、 問題を解くのと同じ効果をもちながら、それよりはるかに低いコストで実現が可能。

今見たいな詳しい医学じゃなくて、もっと簡便な、「技術としての一般医学」が出来て、 「腰痛の得意な一般医」とか、「頭痛の得意な一般医」 みたいな人種がこの業界に生まれるようになると、外来はこんなかんじになる。

  • 患者さんは外来ナースの問診を受け、ナースが「この一般医」という人に割り振る
  • 患者さんを受けた一般医は、その人に必要な検査とか、専門家の診療などを「手順書」にまとめる
  • 専門家は、一般医が作る手順書の「ライブラリ」として登録されていて、必要な部分のみ受け持つ

外来ナースはGUI フロントエンド、一般医というのは、スクリプト言語を書く人、専門家は、 CPAN に登録されたプログラムであったり、Ruby on Rails のモジュール群のような存在。

ある意味アメリカ方式そのまんま。医師が一般医と専門医とに分かれるよりも、 新人医師が「Script Kiddy」として病棟デビューして、そのうち医学に対して「ハック」を 重ねて専門医の道へ…なんていうやりかたのほうが、プログラマとの共通項が増えて 面白いかも。

このやりかたは患者さんがナースを選んで、 ナースが一般医を選んで、一般医が専門家を指名する。ナースのユーザーは患者さん、 一般医のユーザーはナース、専門医のユーザーは一般医。 態度の悪い一般医はナースから干されるし、専門家も同様。 みんな「ユーザーにとってのいいエンジニア」を志向する動機が生まれる。

今の医療は逆。一番勉強している専門家が一番えらくて、一般内科なんて下種扱い。 「上」が「下」に指示を出すからミスなんて訂正のしようがないし、 「この人_願いします」なんて頭下げても、「うちの専門じゃないですねぇ…」 なんて言われておしまい。ユーザー志向なんて芽生えない。

経営の考えかたが科学を技術に変化させる

流れを変えて、自分みたいに客商売でヘラヘラするのだけが取り得の人間がいい思いするためには、 医療に経営の考えかたを持ち込んで、「科学じゃなくて、マーケットが要請した技術を志向しようよ」と 外から圧力をかける人が絶対必要。

経団連が医療に対する提言を出した。

医療に経営の考えかたを持ち込まれるのは、そんなわけで個人的には大賛成なのだけれど、 この提言は期待はずれ。医療の基本的な構造にはあんまり手をつけようとしないで、 とりあえずこの業界に型落ちのパソコンを在庫処分できればいいやという、その程度のもの。

今救急崩れの一般医をやっていて一番ほしいのが、「どんなに汚くても、打てる手段がある」 という手順をまとめたもの。この業界では無為であることは最悪の罪だし、予想外の事態を 想定範囲内に変更するのが技術の進歩というもの。

今の流れが変わらないまんま10年ぐらいすると、病名のついた病気については 「エビデンスに基づいた」という、自分が最も嫌いな言葉で飾った治療ガイドライン どおりのやりかた以外は認められなくなっていて、そのガイドラインもまた、 人間よりもエクセルの画面を眺めるのが好きな人たちが決定するようになる。

ガイドラインに乗っからない、何をしていいのか分からないけれど何とかしないといけない、 そんな患者さんにとっては、ガイドラインの山というのは単なる死刑宣告。

経営者の人達、どうせこの業界乗っ取るならば、ぜひともこのへん何とかして欲しいと思う。

Dan さんへの返信。

このあたりから発想引っ張ったんですが、 どんなもんでしょう? Lightweight Languages がうちの業界にもあったらいいな、と…。