優秀な技術者は優秀な需要を抱えた人に降りてくる

ひとつ前の話の続き。

何でそこまで簡単な医療マニュアル、Lightweight Language 的なやり方にこだわるのかというと、 それは「技術を深く理解していることと、優秀なアウトプットを出し続けることとは根本的に異なる」 という思いがあるため。

たとえば炎症性腸疾患という、比較的に診断の難しい病気がある。

大腸カメラを行えば診断は可能だけれど、血便とか腹痛みたいな症状を 訴えて来院する人は案外少なくて、体重減少とか全身倦怠感、 関節痛や不明熱みたいな症状で外来を受診する人もいる。

炎症性腸疾患の内視鏡診断や病理診断、病態生理や治療のやり方についての 専門知識を持っている人は確かに優秀な技術者であるには違いないのだけれど、 こんな人たちは「消化器内科」に所属しているから、不明熱で受診した人たちが 専門医に一発でかかれる可能性は低い。

こんな専門家とは対照的に、専門知識を持っていなくても、「若い女性の不明熱や 関節症状があって、他の原因が否定できるような時には大腸カメラをオーダーするのは 決してオーバーではない」という一文をひねり出せる人というのは、炎症性腸疾患の 専門家と同じくらいに素晴らしい技術者なんだと思うし、また患者さんにとってみれば、 こんな発想ができる人こそ「ユーザー本位」の考え方をする人なんだと思う。

優秀な技術者というのは、もちろん優秀な専門家であることが多いのだけれど、 残念ながら、優秀な専門家が優秀な患者需要を抱えている可能性は意外に低くて、 需要と知識のアンバランスというのは、ただでさえ人の少ないこの業界を、 更に非効率にしているような気がする。

たとえばPerl やRuby みたいなスクリプト言語というのは習得が比較的容易 といわれているけれど、そのコミュニティで「クールな」スクリプトを発表している人全員が、 C言語みたいなもっと専門的な、習得の難しい言語のプロかというとたぶん そんなことはない。

Perl しか知らないけれど、その人が作るスクリプトには すごい需要があって、もっと優秀な技術を持った人たちが「こんなところに需要があったのか」 と驚くような、そんなものを作れたりすることもあったりするんじゃないだろうか。

この業界にもPerl みたいな高級言語を実装して、例えば救急隊や看護婦さん、 検査の人たちともっと突っ込んだ会話をしたり、自分みたいな一般医と 専門家とがもっとコミュニケーションをとって、現場の言葉と専門家の知識とを 連携できるようになると強力だし、この仕事は今よりもっと面白くなる、 そんな思いがあって。