経済学的、心理学的

社会を動かす2つの対立する考えかた。

  • 経済学:人間というのは本来理性的な生き物で、構造の変化が社会を動かす
  • メディア:人間個人は理不尽な生き物で、社会は人が動かしている

経済学畑の人達は、理性の存在を信じている。人はインセンティヴに従って 行動するから、社会の構造を操作してやることで、社会を構成する個人の振舞いを変更しようとする。

メディア畑の人なんかは逆。人間は理不尽な生き物で、適切な構造、 経済政策みたいなものを作ったところで、 たとえば「竹中平蔵大臣の顔が気に食わない」とか、 そんな理由で多くの人が理性に反する行動をすると 考える。

経済学者は、「個人の理性」を喚起するための構造を考えて、政府に提言する。 全員が理性的であれば、世の中はそのとおりに動く。

メディアが社会を操作しようと思ったら、まずは個人を「群集化」するやりかたを考えて、 そのあとで群れをどう動かすかを考えるか、あるいはそのまま放置する。

理性的な個人の集合と、「群集」と化した人々。

同じ人数で何かの仕事をするとき、より効率的に働くのは、個人の集合。10人いれば10人が 適切な行動がとれるから、効率は上がる。

群集は最悪。みんな同じ行動しかしないから、 たとえば10人が3人と7人とに分かれて行動したほうがいい場面であっても、10人は10人のまま。 まず3人でできる仕事を10人でやって、その後7人でできる仕事をまた10人でやる。

効率は理性的な個人の半分にしかならないけれど、群集というのは不思議と居心地が 良かったりもする。

理性を生む分断

僻地医療や産科減少というのは分配の問題。

経済学的な解決策を考えるなら、そのうち都市部に勤務する医師、皮膚科や眼科、 自由診療を行っている医師の収入には、今後重税がかかりますというアナウンスが 行われるはず。

統治の基本は分断。

  • 不利益をこうむるのは医師だけだから、国民と医師は分断される
  • 都市部と地方の収入格差が生じるから、地域ごとの医師も分断
  • 税がかかるのは「医師の収入」であって病院じゃないから、経営サイドと現場医師とは分断
  • もともとあった「科の溝」は、ますます深まる

群集を個人に分断すれば、内なる理性が生きてくる」というのが 構造の力を信じる人達のテーゼだから、 彼らが本気で医療問題を解決しようと思っているなら、こんなやりかたを考えるはず。

予定通りにいけば、都市部のマイナー科の医師は仕事がなくなって、 僻地でマイナー科業務をこなすようになるか、 あるいはメジャー科に転向してリスクをとるか。自由診療をしている先生がたは まだまだ少ないはずだから、各個撃破で十分対応可能。ブラックジャックじゃあるまいし、 さすがに医師免許無しでは仕事もできないだろうし。

現場の医師は反発するだろうけれど、保険医総辞退を指揮できるガッツのある人、たぶん出てこない。 医師のやる気は地に落ちる。でもここで大切なのは数字。

経団連の人達とか、政府の人達がいろんな提案をしているけれど、 彼らが本気を出すならこんな提案が出てくるだろうし、彼らにはそもそも こんな問題を本気で解決しようという意志が無いような気がする。何となく。

構造に反駁するのは人間の力

「みんなは理性的」を前提に組まれた論理に対して、論理で対抗するのは難しい。 泥沼化して、そのうち国民サイドから詭弁認定を受けて、医療者は終わる。

経済畑の人たちが医療改革に本気で、将来こんな提案が出されることがあるならば、 医師側にできる対抗戦略は「人間の力」を使うこと。

具体的にはみのもんたとか筑紫哲也みたいな人達に、内科学会の顧問になってもらう。

医師の代表では役不足。医師を含めた国民の代表になるような「顔」を立てて、 彼らが煽動する形で、医師も国民も一まとまりの「群集」を作ってもらって、 政府の動きにとりあえず逆らう。

その先に何があるのかは分からないし、社会の効率はひどく落ちる。 たぶん日本は倒産しちゃうだろうけれど、 とりあえず政府の思惑は外すことができる。

メディア系の知識人は、本物の経済学者に比べれば政治に疎い。彼らが政治を行って、 社会がうまくいく可能性は100%無いけれど、 人をまとめて「群集にする」ことに関しては、メディアは経済学者より上手。

多くの人を狭い所に閉じ込めると、人は群衆化し、その行動は単純化し、予測が容易になる。 今では人々を閉じ込めるのに、物理的な手段は必ずしも必要ないことも我々は知っている。 人々を群衆化する檻は、情報であっても構わない。「群衆化による行動制御」というのは、 今では第二次世界大戦の頃よりずっと巧みに行われている。 404 Blog Not Found:経済学より重要なもの

複雑な現実を理解するのに、モデル化を行って未来予測をかけるのが経済学者なら、 現実自体に変更を加えて、未来予測を簡単に行えるようにしてしまうのがメディアの人達。

構造によって分断された個人を束ねて、理性を消して獣性で論理に対抗するのが「人間の力」。

歴史的に、構造は常に人間の力で破壊され、 獣性によって動かされた世の中を前にして、理性は常に無力だった。

個人が集まって構造を作って、不満が募って人間力が構造を破壊して。 人間の矛盾が露呈して社会が爆ぜて、バラバラになった個人がまた新しい構造を作る。 その繰り返し。

人間という生き物を駆動しているのは、理性なのか、それとも獣性なのか?

「お前は獣だ」なんて言われれば誰だってムカつくし、 「あなたは理性を持った人だ」と認められると、相手を信じる気にもなる。

経団連の提言なんかに従うのは絶対に嫌だけれど、「嫌だ」という思いもまた獣の感情。 「人間の理性を信じる」という戦略部分では、経団連の人たちというのは案外、 人間に対して誠実なのかもしれない。