善い人の善意が世の中を美しく腐らせる

悪人の善意は世の中を動かす。 悪意を持った悪人も、交渉の相手としては役に立つ。 悪意を持った善人は本質的に無害。 善人の善意というものは、これはもうどうしようもない。

みかんから数字を発見する

「りんご3つとみかん2つを合計すると、いくつになるでしょう?」

算数を最初に習ったとき、こんな習いかたをしなかっただろうか?

身近なものを使ったたとえ話は、だんだんと複雑な数式へ。

みんな最初は、頭の中で「りんご」や「みかん」を必死に数える。数が増えたり、 りんごにバナナが加わったりしていく中で、 誰かが数字を「発見」する。

最初の発見者は、頭が良くて、怠惰な子供だ。 頭が良くて勤勉な子供は、必死になってりんごを数えることに夢中になって、 その裏にある理屈には気付けない。

怠惰な子供の目標は、なるべく楽に答えを出すこと。 勤勉な子供の目標は、先生にほめられること。

「早く数えれば、それだけ多くほめてもらえる」

頭の中にこんな回路を作ってしまった勤勉な子供は、数を発見する代わりに、 一生懸命果物を数える。

問題が複雑になっていくと、数えていたのでは追いつけなくなる。 みんなに追いつけなくなった勤勉な子供は、 今度は「いくつですか?」と問題を出した先生を恨むようになる。

教室の中では、勤勉さというのは「善」だけれど、今いる場所から飛躍して、 もっと効率のいい考えかたを発見するには、怠惰であること、ある種の「悪さ」は欠かせない。

思考の連鎖が「善い」を作った

「善い」という状態は、「ある」のではなくて「発見される」ものだと思う。

いろんな人がエゴをむき出しにしてぶつかりあう実世界。みんなが利己的に振舞う中で、 どこを妥協したらお互い傷つかずに利益が得られるのか。そんなやりかたを 追求して、お互い折り合った結果が「善い」という状態。

発見された「善い」が普遍的になっていく中で、 そのうち結果と目標とを逆転させる人が出てくる。

世の中には「善い」というものがあって、それに従っていさえすれば、きっと幸せになれる

思考を放棄して、そんな考え違いをした人というのは、数字を発見できない勤勉な子供と同じ。

利益を求めて思考した人たちが、ようやく折り合い発見した「善い」を、 思考なしにそのまま目標にした「善人」には、いつまでたっても利益なんて来ない。

同じものであっても、それを信じた人と、それを見つけた人との間には絶望的な断絶がある。 信念というものは、思考停止をもたらす。善であることを単なる目標にしてしまった「善人」というのは、 結局のところ「善いこと」とは どんなものなのかが分からない。

自分はこんなに善人なのに、世の中では悪人が跋扈して、 自分に回ってくるはずだった利益を吸い上げる。

自称「善人」はこんなふうに世の中を恨み、「良い」を発見した人を「悪人」と罵り、恨む。 こんな思いは、果たして正しいんだろうか?

そして病院は叩かれる

みんないい人だ。

いい人はタバコを止めない。薬を忘れる。健康食品に夢中になる。

悪くなる。入院する。みんなこう言う。「私はなにも悪くないのに」。

みんないい人だ。

  • 「こんなになるなんて思ってもみなかった」
  • 「完全に治るまで入院させて下さい」
  • 「もっといいサービスをして下さい」
  • 「どうしてこんなに高いんですか?」

いい人達は、いつまでたってもいい人のまま。どんなに具合が悪くなっても、 「善い人」であろうとするほど、話が進まない。

いくら「善く」なっても、だれも何もしてくれない。いい人にとってはそれは理不尽だけれど、 何もしないんだからしょうがない。

1910年代のメラネシアでは、ヨーロッパの人たちが援助物資を飛行機に積んでやってくるのをみて、 「同じことをすれば、自分達にも物資がやってくる」と思い込む人達がいたそうだ。

彼らは白人がすることを真似て、飛行場みたいな場所を作ったり、 管制官を真似た踊りを踊ったりしたけれど、 もちろん援助物資は来なかった。

こんな信仰を信じた人達は「善い」人達だったけれど、もっと実際的な人、「悪い」連中ならば、 たとえば白人の誰かを人質に取ったり、飛行機をみんなで襲ったり、もっと別のことを考えたはず。

それは「悪い」、利己的な行動で、最初は白人との戦争になるかもしれないけれど、 そのうちお互い折り合って、あるいはそれが貿易の始まりになるかもしれない。

お互いのエゴをぶつけ合う中で、「善い」もまた進化していく。

「善い人」がいくら「善く」あったところで、世の中結局動かない。

世の中から「悪い」が消毒されて「善く」なって、「善い」にとらわれた人達の怨嗟の声 は、なぜか大きくなるばかり。

みんなもっと「悪く」なってもいいんじゃないか。そんなことを思う。


これで1900字。病院新聞のボツ原稿

「原稿用紙5枚ぐらいで、適当に何か書いてよ」なんて先週言われて、 頭ひねってやっと書きあげたら「もう少し、穏やかな文章にしてくれないかな…」と。

一般の人向けに対話形式取り入れたり、けっこう工夫したつもりなんだけど。