印象診断と臨床診断

尿路結石=「痛くて苦しんでるのに元気」

尿路結石というのは本当に痛くて、都市伝説では解離性大動脈瘤の次に痛いとか、 「痛い病気」トップ5には必ず入るとか。

強い痛みが突然来るから、救急車を呼ぶ人が多い。痛いから、みんなストレッチャーの上で苦しむ。

尿路結石の人というのは、痛いわりにはなぜか元気そうに見える。

冷や汗もかいているし、痛いだけに血圧も高い。

痛くて冷や汗をかく病気なんていくらでもあるけれど、たとえば潰瘍の穿孔とか、大動脈瘤の切迫破裂 みたいな病気とは違って「ヤバい」印象が何でだか薄い。

第一印象だけで診断するのはいかにも無茶だけれど、外れたケースはほとんど無いし、 医師が代わっても「印象の再現性」というのはかなり高い。これは特殊な能力でも何でもなくで、 医者なら誰でもできること。

ところが、印象を言語化すると、この感覚が伝わらない。

「突然発症した腰背部から下腹部にかけての鋭い痛みで、血圧は○○、呼吸数○○、 体温○℃。腹部は平坦軟ですが、グル音は減弱しています。」

模範的な救急外来の研修医が、上級生に患者さんの話をするならば、たぶんこんなかんじ。

ところが、これだけでは印象が伝わらない。すぐに診たほうがいい人なのか、 それとも待てる人なのか。

致命的な病気の人は、発症直後から何だか「いやな予感」を全身から出していることが 多いのだけれど、それを文章化すると、「いや」が抜けてしまう。

「診断名じゃなくて、客観的なデータを伝えなさい」。研修医のころはこんな教育を受けた。

それなのに、実際自分が報告を受ける立場になると、模範的な伝えかたはあんまりうれしくなくて、 「ヤバそうなんですぐ見てもらえませんか?」とか、「潰瘍穿孔みたいな人が来ました」とか、 模範的で無い言いかたのほうが対応が早いし、決断しやすくてありがたかった。

模範的な報告をさえぎって、「どうなの?ヤバイの?待てるの?」と返答してばっかりいたら、 俺様ルールが通るようになったけれど、下の人達は迷惑だったかも。

患者さんは「症状」を持って来院して、医療者側は「治療」を販売して対価をもらう。 その過程には「診断」なんて必要ないし、ましてや「病名」なんて誰も欲しがっていない。

医療行為がチャート化して、ブラックボックス化がきちんと行われれば、 チャート表の中には「この症状があったらこの検査を行う」「検査の数字が○○以下ならこの薬を出す」 みたいな言葉が並んで、病名を間にはさむ必要はなくなってしまう。

「病名」があって良かったな、と思えるのは、診療中ではなくて、医師同士が話をするとき。

  • 胃潰瘍みたいな症状を訴える人なんですが、なんだか皮膚黄色いんですよね…
  • 症状だけ見るとまるで膵炎なんですけど、もう2ヶ月状態変わんない人がいるんです

いろんな病気を診た人どうしだと、病名というのは印象折込済みのキーワードとして便利に機能する。

細かい症状描写とか、あるいは血圧や脈拍みたいな、その人の症状を描写するための数字は、 印象を伝えるためには何の役にも立たない。

まず印象が近い「病名」を伝えて、お互いに患者さんの印象を 共有してから数字の話をすると、その病名が全く見当はずれなものであったとしても、 けっこう有益な会話が成り立つ。

「症状 => 診断 => 病名 => 治療」という一連の流れには昔から違和感を持っていて、 むしろこれは「症状=>治療」という実用ラインと、「病名」という医師どうしのコミュニケーションツール という2本立てで考えないといけないんじゃないかと思うのだけれど、 あんまり賛同してもらったことがない。本当は、大学病院なんかは臓器別で教室分けたりしないで、 「胸痛科」「全身倦怠科」「発熱科」みたいな分けかたしないとずるいんじゃないかとも思う。

第一印象をそのまんま伝える言語セットが医療にも実装されれば、そもそも こんなこと考える必要もないんだけれど。