改革は外からやってくる

医療の自由化に欠けているもの

公平配分政策から、傾斜配分政策へ。

資本を公平に分配することを止めて、富を生み出す力が強い人達に集中して分配すると、 社会全体が活性化してみんなが豊かになる。

貧富の差は当然激しくなるけれど、社会全体が豊かになれば、 贅沢で新しい技術はすぐ安価になって、やがて社会全体に行き渡る。 テレビやクーラー。昔はごく限られた人々だけの贅沢品だったこうした製品も、 今では一人暮らしの学生だって持っている。

新自由主義がよりどころにしているのは、こんな考えかた。

医療の自由化も進む。

医師は地方から引き上げて、目先の効く研修医はみんな都会へ。 もうすぐ混合診療が解禁されて、自費にはなるけれど、海外の薬も使えるようになって、 医師の収入はもう少し良くなって……。

自由化すれば、保険の制約がなくなる。できる人達の対価は、きっとアメリカみたいに天井知らずに なるけれど、できない人は地べたを這うことになる。

傾斜配分社会が健全に成り立つ前提は、大量生産とコストダウン

自由化が進むことで、医師の地位は上がる一方にも見えるけれど、 その先にあるのは技術の一般化。医療の技術が貴重なものではなくて、「当然のもの」と 査定される時代がくれば、現状維持ができる人なんて本当に少数になる。

始まりは海外から

医師の技術が高価になりすぎてしまったアメリカでは、 診療資格を持った看護師による「ミニクリニック」という試みが始まっているそうだ。

アメリカで最近誕生しているのが、異業種の医療サービス参入による「ミニクリニック」だ。 ウォルマート、ターゲットといった大手小売チェーンや、ウォルグリーンなどのドラッグストアチェーンが、 次々に店内に簡易クリニックを設置するトライアルを始めている。 従来型の病院では一回あたり110ドルかかった診療を、40-60ドル程度とほぼ半額で提供。 行うのはちょっとした怪我や風邪、予防接種といった簡単な医療行為のみで、 少しでも問題がある患者は一般病院に行くように指示する。予約は必要なく、 待ち時間があっても、併設店舗内の買い物で時間をつぶすこともできる。 トンデモない米国医療システムからイノベーションが生まれるのか

あるいは、最近のフィリピン。医師の海外流出が激しくて、医師のいない地域があちこちにできている この国では、医師の仕事を看護婦さん達が引き継がざるを得ない。

この2ヶ所で始まっているのは、「医師なしで医療を行う」という社会的な試み。

まだまだ実験なんていうレベルではないだろうけれど、社会的な要請があったり、他の選択肢が ありえない地域では、医師以外の人が医療行為を行う機会というのは増えるはず。

現場で必要になるのは、以下の3つのツール。

  • 「病名別」ではなくて、「症状別」の診断/治療のチャート
  • 「こうなったら医療機関を紹介する」というガイドライン
  • 医師以外の人でも安全に処方可能な薬のリスト

フィリピンの保険行政の人が作るのか、あるいは支援に入ったWHO 系の人達が作るのか、 たぶん誰かがこんなガイドラインを配布して、他に選択肢のない政府がそれを承認する。

何年かして、今度は医療経済畑の人が入ってきて、 「本当に医者なしで大丈夫なのか?」という検証を行うことになる。

「大丈夫だった」という結論は最初から決まってる自由主義社会がそれを要請しているから。

はじまりの終わり

「1+1 」はいくつか?

  • 数学者 「2ですが、そうならない公理体系構築することは不可能ではないと思います」
  • 工学屋「ちょっと足して実験します」
  • 経済学者 「あなたはその結果をいくつにしたいのですか?」

統計の結論というのは、事実が決めるんじゃなくて社会が決める。

リスクの低い状態ならば、医師以外にも医療ができて、それは危険でも何でもない

「医療技術の進歩の結果、医療のコストが下がって、誰のもとにも行き渡るようになる」というのは、 自由主義的な考えかたにとっては「当然」の結果であって、そもそも検証にすら値しないもの。

医療技術の進歩は、いつも植民地だった国から始まる。 人「権」費が安い国で十分な検証を積んだあとは、アングロサクソンがそれを利用する。

たぶん、欧米諸国にも同じような診療チャートが導入されて、個人が負担する医療費は安くなる。 本当にリスクの高い患者さん、あるいは相応の負担を厭わない患者さんは、今までどおり病院へ。

社会科学系の仕事では、アメリカという国は何をやっても「うまくいった」という結論しか出さない。 こんな制度はそのうち日本へ。どうせそのころには地方の医療なんて滅んでるだろうから、 他に選択肢はないはず。

終わりのはじまり

  • リスクの低い患者さんは、チャートに従って投薬
  • 危なそうな人は、その時点で病院へ

助産院と病院との危険な関係は、たぶん全科に適応される。

免許持ってるだけで食べられた時代は終わり。風邪薬だけ出して、笑顔振りまいてればお金になった 時代は終わり。そんな仕事はもっと人件費の安い人達が全部奪ってしまうから、 病院に回ってくるのは重篤な人、トラブルになりそうな人、何が原因なのかさっぱり分からない人、 そんな人たちばっかりになる。

医師の対価は、その人が背負えるリスクに比例するようになる。

法律の改正は最小限で行ける。「応召義務の強化」一点のみ。

訴訟社会への流れが逆転することはないだろうから、ここから先は本当の自由競争。 低リスク低対価をとるか、高リスク高対価をとるか、二者択一。

助産院から「どうみたって手遅れだろ…」みたいな人が送られてくる。 生まれてくる子供の顔は真っ青。産科医の顔はもっと真っ青。

そんな光景は、もう少ししたら日本中の総合病院で見られるようになるだろう。

安売り競争の時代を越えるには

公平ルールか、傾斜配分か。今いろんな業界でおきているのは、2つの分配ルールをめぐる衝突。

医療の世界に自由競争を望む声は大きいけれど、それは当然、医療技術の低価格化を生むし、 たぶんそれなりの割合の医師は、その波に飲まれてしまう。

医師会はきっと反発してくれると思うけれど、 こうなった時代を乗り越えるやりかたを考えておいても、 損にはならないと思う。

本当の万能選手は滅多にいない。診療はできても、外来から入院のマネージメント、 保険行政から病棟掃除のコツまで分かる人はいない。

スペシャリストになる。レントゲン写真が読める人はたくさんいるけれど、写真を自分で撮れたり、 放射線設備室の設計を自分でできる人はほとんどいない。その分野のスペシャリストというのは、 全部知っている人。

昔診させていただいたエンジニアは、製品を各国の電力法規に合わせて 調節する技術で身を立てておられた。 「調整」ができるためには電気回路を理解していて、 各国の法律や、製品検査のやりかたを熟知していて、 さらに製品を「調整」したらどんな問題がおきて、それを回避するにはどうすればいいのか、 そんなことを全部知っていないといけない。

万能選手でスペシャリストになるというのは、たぶんこんなことだと思う。

常にチームの最下位でいる。自分よりも上手な人達と仕事をし続けないと置いていかれる。 研修医の人で、もしも自分が同級生で一番優れていると感じている人がいるならば、 そこはもはやあなたのいる場所ではないかもしれない。

魚の釣りかたを学ぶ。魚釣りの技術をマスターすれば、毎日魚が釣れるけれど、 多くの人は魚を一匹もらったら満足してしまう。 誰かに助けてもらったら「どうやったのか」を自分のものにする。

まじめにやる。どうせいなくなるからとか考えて、下働きで不十分な力しか出せない人は、 本当に全力を出す機会そのものが来なくなってしまう。

失敗を学ぶ。間違いを問題にすることを恐れないで、 できれば解決策を提示できるようになるか、誰かに聞いて、問題の解決にかかわれるよう努力する。

作文する/友達を作る。雇用が流動的になったとき、頼れるのは「どんなことをしてきたのか」という証と、 友達の数。書類仕事をサボらないで紹介状をやりとりしたり、症例を発表したり。

ここに挙げたのは「勝つ」ための方法じゃなくて、「負けない」ための方法論 (「My Job Went To India オフショア時代のソフトウェア開発者サバイバルガイド」という本の改変)。

本当のトップを目指す人達はこんなこと考える必要なんかなくて、ひたすらに自分の腕を磨けば いいのだけれど、才能なんか無い奴にとっては「自由になった世界」なんて地獄そのもの。

そんなふうには絶対になってほしくないし、またそうならないと信じてはいるのだけれど。