医療の行動原理

医療という大きな枠組みの中から「医学」という技術的な側面、 医療経済とか、保険行政といった医療を提供する社会的な側面とを 取り去った後には、たぶん「なんで医療なのか」みたいな問いが残る。

技術と社会と行動原理。まとめるとこんなかんじ。

  • どんな業種も、技術的側面と社会的側面、そして行動原理の3つの側面を持っている
  • 3つのバランスが崩れた業界は、外からみて「何かがおかしい」という目で見られてしまう
  • 技術の崩れに対しては技術の言葉で、社会には経済の言葉で、原理には原理の言葉 で答えないと、「外の人」とは話が通じない
  • 医療の業界には「行動原理」が見えない。 原理の叩きに対して経済の言葉で回答しようとしているから 分かりあえない

業界の3つの側面

最初にできるのは原理。それを実体化させるためにいろんな技術が作り出されて、 その技術に需要が生まれたり、利益が伴うようになってきて、技術に経済装置が実装される。

原理、技術、経済装置の3つが一体化すると「業界」が生まれる。

製造業にしても、医療にしても、マスコミや司法みたいな業界も、みんな たぶんこの3つをそれぞれ内包している。業界が成熟すると、 その区別はつきにくくなって、ひとつの「業界」にしか見えないのだけれど。

業界同士はしばしば交流する。それは経済的な取引のこともあれば、 マスコミの取材、司法の告発などもすべて広い意味での「交流」。

業界にはそれぞれ得意分野、不得意分野がある。

たとえば流通業なんかは経済方面が強いし、軍隊や司法は行動原理が絶対的に強い。 その反面、これら業界を支える技術は製造業のエンジニアが作っていて、 タコツボ化した技術論で会話されると弱かったりもする。

経済の強い業界は経済の言葉で、行動原理が強力な業界は原理の言葉で 議論をしようとするけれど、 議論を受ける側もその分野が得意だとは限らない。

質問する側が得意分野で議論を展開する一方で、答える側も「業界の3面」のうちで 一番得意な面を使ってそれに答えようとする。

言葉が異なる議論は噛み合わない。

「この商品、もっと安くしてよ」というのは経済の言葉。それに対して、製造原価とか、 人件費みたいな話を返せば、議論は進む。経済で答えないで、 技術屋の魂とか会社の社会的な使命なんかを熱く語ったり、 その人にしか分からない、コアな技術論を語りだしたりしても、議論にならない。

議論になっていない交渉というのは実世界にたくさんあって、 それはお互いに分かっていなくてそうなっている場合と、交渉者のどちらかは 噛み合っていないのを分かっていて、あえて話をそらすために自覚的にそうしている時とがある。

バランスの悪い業界は叩かれる

消防隊という「業界」を叩く人は少ない。

「火事になったら火を消す。火事の時以外は火事に備えて待つ」

たぶんこんなシンプルな行動原理がまずあって、そのための技術が生まれて、 火事に備えるために日本中に消防署が作られて、予算が投じられて。

「火事のないときの消防隊は遊びすぎだ」とか、「はしご車の上から見下ろされるのは不愉快だ」とか、 そんな理不尽なクレームも少ないのは、たぶん消防業界の行動理念が分かりやすくて、 それに伴う技術と経済とのバランスが取れているからなんだと思う。

「業界の3面」は、しばしばお互いを潰しあう。

経済は原理を喰うし、原理はしばしば技術の発展を疎外する。 マーケットを無視した技術の暴走は、その企業を破綻させたりする。

バランスを欠いた業界は叩かれる。

たとえば経済的に急成長した業界は、 競争の果てに行動原理が見えにくくなってしまったり、 それを忘れてしまったりする。外からそれを見ると、「手段を選ばない戦略」をとっているように見えたり、 あるいはモラルが失われているように見えたりする。

「モラルが無い」と叩かれた業界の「中の人」にだって言い分はある。

  • 生き延びようとする過程で行動原理が古くなった
  • 理念が足かせになってしまったりしてそれを捨てざるを得なかった

でもそれは原理の言葉では無くて、経済の言葉。「原理が見えない」と攻める 突っ込む外の人に対して、「経済」の言葉で言い訳をしても「詭弁だ」とはねられて終わり。

外の人の力が十分に強いとき、噛み合わない議論というのは一方的な虐殺にしかならない。

世論総出で一つの企業を潰したりする現象というのは、たぶんパワーバランスの著しい非対称性と、 噛み合わない議論との相乗作用。

医療の「原理」とは何か

  • 火を消す=消防
  • 物理で殺す=軍隊
  • 社会で殺す=マスコミ
  • 国語で殺す=司法

どの業界も持っている、分かりやすい行動原理。

世間は医療を叩く。ミスしやがってとか、殺しやがってとか、金のことばかり言いやがってとか。

医療者も弁明する。訴訟リスクの問題とか。 マンパワーの問題とか。技術的の問題とか。

でも通じない。

技術か経済のどちらかが突っ走っていく過程で、行動原理を忘れてしまった

世間やマスコミの人達は、たぶん今の医療業界をこんな目で見ている。

病気が治ることと、「生き延びる」という理念が達成され続けることとは、別の問題。

「治る」のは、技術の進歩のおかげ。ところが、たとえば病院が集約化されて、 今までそこで「安心の象徴」として機能していた施設が撤収されたりすると、 それは「医療が行動原理を裏切った」と見られてしまう。

これは原理の問題。「技術的にはむしろ向上する」とか、「救急体制は維持できる」とか、 「お金がないから…」といった言葉で答えても、これらは技術や経済の言葉。 相手にとっては噛み合わない言い訳にしか聞こえないから、一方的な叩きが始まってしまう。

どうすればいいのか

「医師の行動原理」を再定義するべきなんだと思う。

こんなことができるようになる。

  • 自己矛盾の無い行動原理を定義した上で「我々は自己の行動規定を裏切らずに動いている。ではあなたがたはどうなのか?」と原理に原理で返せるようになる
  • そもそも法律というのは、業界の行動理念があってそれが世間に受け入れられたとき、業界から要請があってはじめて作られるもの。「その法は医師の行動原理に反している」という原理からの訴えが可能になる

たとえば、サバイバルの方法論とか危機管理の考えかたというのは本当に面白い。

参考になるのは警察の人質交渉人の談話であったり、アメリカ特殊部隊の チームの作りかたであったり、あるいは旅客機パイロットの危機管理のやりかたであったり。

いろんな業界には、それぞれの行動原理に基づいた危機管理のやりかたというのがあって、 それはとても参考になるし、読んでいて面白いのだけれど、「じゃあ、医療はどうなんだ?」と 振り返ると、あんまりいい資料がなかったりする。

  • ミスを回避する方法
  • ミスがあっても致命的にならない輸液メニューの組みかた
  • トラブルになった時にまず何を考えるべきなのか、基本的な考えかた
  • 病院という危険な環境で、どうやって自分達の身を守るのか

こんなやりかたを、ひとつの理念でまとめたような本を 昔から探してるのだけれど、なかなかみつからない。

一貫した行動原理を感じられるのは、たとえば軍隊のノウハウを導入した 感染症対策のやりかたであったり、 昭和40年代ぐらいまで伝えられていた「看護格闘術」、不隠な患者を刺激しないで、 自分達の身を守り、患者さんを傷つけないように抑えこむやりかたとか、ごく一部。

世間の人とか、マスコミや司法が叩こうとしているのは、たぶん医療の「行動原理」的な側面。

産科がいなくなった地域では署名が集まる。署名というのは、たぶん原理に訴えようとする働き。 彼らが期待しているのは、たぶん市民が考えるところの「医師の行動原理」に基づいて、 再び医師が赴任することなんだけれど、「署名する行動力があったらお金集めようよ」 みたいな反応をしても、絶対分かってもらえない。

その反応は、原理の行動に対して経済の言葉で答えているだけだから。

医師の手もとには、技術の言葉も、経済の言葉も揃ってはいるけれど、足りていないのが、 一定の行動原理に基づいた言葉の体系化。軍隊で行くと陸軍と海軍は揃っているのに、 空軍を欠くようなもの。戦争になったら負ける。

原理を語って、体系化するのは偉い人の仕事。教科書のどこかに記載されてしかるべきだけれど、 それをちゃんとやっている本は本当に少ない。

崩壊だとか、対決だとかで盛り上がっても、 「行動の一貫性」を外の人達に明示して、「我々は、自分達の理念に矛盾無く行動している」 という弁明ができないと、やっぱりまた叩かれて終わりなんだと思う。