メディアの読みかた

  1. 報道されていないことが大切
  2. その報道で誰が得をするのかを考えるべき
  3. その人、その企業だけが叩かれるのには何か理由がある
  4. どこまで分かった上で報道しているのかが分かれば反論できる
  5. 「みんなの意見」は中立ではない
  6. 「無視」という最強カードを切られたら負け

何が報道されていないのか

報道された事件をみるときには、「報道された事実」を検証する作業とは別に、 「報道されていない事実」が何なのかを調べるのは大事。

どんな事件でも、報道には一定のパターンがあって、ある報道がそのパターンから外れたときは、 たぶん何か報道できない事情があると考える。

たとえば殺人事件。

最初の日は、犯行の手口、犯人の氏名や生い立ち、被害者との関係から殺人の動機。 何日かすると、今度は被害者の番。最後は、どちらが加害者なんだか分からないぐらいに 執拗なプライバシー暴露大会に至って、みんなが飽きたら次の殺人を探すのが、普通の報道パターン。

犯人の氏名や加害者家族のプライバシー暴露が遅れたり、 あるいは報道が「手ぬるい」ように見えたときには、たぶんそこに大切な事実が隠れている。

立花隆が、以前インタビューの中でこんなことを言っていた。

歴史上の人物を調べるときは、「空白期間」に注目すると面白い事実が見えてくる。

真言宗の開祖「空海」は、中国に渡って密教の修行を積む直前の行動はよく分かっていないそうだ。 若い頃の空海が何を考え、どうやって中国渡航の算段をつけたのか、そのあたりに注目すると、 いろいろ想像が膨らんで面白い。

得をするのは誰なのか

納豆万歳の健康番組にしても、食品会社の不祥事叩きにしても、 報道の先には「それによって利益を得る人」が必ず存在する。

どんな情報であっても、他の人よりも先に知ることができれば利益が上がる。 報道されて、不二家の株価は下がったけれど、ゴールドマン・サックス証券不二家株を空売りして、相当儲けたらしい。

マスメディアの「中の人」だって、得をする側の人。

朝日に嫌なことを聞かれたときは、「御社の月給はいくらでしたっけ?」と聞けば、 彼らはたいてい黙るんだ

そんなことを言っていたのは、誰だか政治家の人だったはず。

何故その企業なのか?

もちろん不祥事をおこしたから叩かれるんだけれど、 同じ業界の中では、同業他社だって同じようなもの。

ひとつの企業が不祥事をおこしたら、その業界全体にだって 同じような不祥事のタネがあるかもと考えるのが自然。

その企業だけが悪者の集団みたいな報道がされているときは、 何でその企業だけが叩かれるのか、 他の企業はどうして報道も取材も入らないのかを考えるべき。

マスコミに絶対叩かれない某病院は朝日新聞が経営参加しているとか、 製薬メーカーの大株主になっている国務長官の話とか、 そんな話題はきっとどこの業界にもあるはず。

同じような仕事をしているほかの企業、あるいは同じような立場の人物を挙げて、 「その人と、叩かれなかったその他大勢との違い」みたいなものを探していくと、 何か分かるかも。

叩かれて潰された企業や人間が新参者だった場合は、その業界の既得権者にとって、 何か相当に「痛いところ」をついていた可能性がある。

どこまで分かった上で報道しているのか

断片的な情報だけでトバシ記事を書いたのか、全部分かっていた上で、 何かの意図の元に断片だけ報道しているのか。

毎日新聞が西日本の医療を壊滅させた報道なんかは、 断片的な情報だけを元にしたみたいな印象。

マスコミ各社の報道姿勢を比較して、それが横並びならば何か「意図」があって、 どこかが突出して突っ込んだ記事を書いていて、足並みがそろっていない印象が あるならば、たぶん出回っている情報自体が足りていない。

  • 利権の絡んだ「意図」を見抜く
  • 足りていない情報の存在を指摘する

どちらかが達成できれば、マスメディアの不誠実さを効果的に指摘できるかもしれない。

「みんなの意見」は中立ではない

ランダムな要素は、いくら重なっても中立に戻ることはない。

世論はランダムな意見の集積だけれど、ランダムウォークは中立性を担保してくれない。 ランダムさの集積は、むしろ「極めて高い確率で、中立以外のところに落ち着く」 可能性が高い。

道の上をフラフラ歩いている酔っ払いは、ランダムに歩いているけれど、 永久にまっすぐ歩けるわけがなく、いつか道を外してドブに足を突っ込む。

ランダムさが支配する世論には、自然治癒力はない。

メディアが発信する情報は歪んでいることが多いけれど、 「歪み」に対して「正しさ」で対抗したところで、 できることは歪みの希釈だけ。是正は不可能。

歪みを残した単なる希釈では、世論は中立に戻らない。

歪んだ報道を是正して、世論に公正な判断を仰ごうと思ったら、 対抗する側が報道の歪みを打ち消す「歪み」を持っていなくてはならない。

無視をされないために

マスメディアは報道して火をつけて、飽きたらそのまんまどこかにいってしまう。

圧倒的に力が強いマスメディアは、たとえ反論が可能であったところで、 事件自体を無視する、そんな話は最初から無かったことにするという最強カードが切れる。

マスメディアがつけた火は、マスメディアの力でしか消すことは出来ない。 相手に交渉の土俵に乗りつづけてもらう努力は欠かせない。

意図に反した報道に対して「あれは誤りだ」と攻撃的な反論を行っても、相手の 意欲を減らすだけ。無視されればおしまい。

  • 報道の間違いを笑いの対象にする
  • 不完全な報道の意図や、見逃されたもっと面白い話を公開する

「火消し」をお願いするときの基本的な戦略は、 マスメディアが自分の力で幕引きを考えざるを得ない構図を 考えて、相手をその構図にはめること。

意図の作る物語

コミュニケーション能力とは、本質的には単なる多数決システムか、あるいは行動支配手法の別名でしかない。字面から「自分の意図を正確に相手に伝える能力」などと思い込んでしまったら終いである。この言葉に限った事ではないが、本質が汚い物ほど美しい名前が付き、何者かの意図によって意味が曖昧に「され」やすい点に注意すべきだ。 言霊の怨霊はいつでも殺意に満ちた目でこちらを見つめている。 文系はコミュニケーション能力という名の処刑斧を振るった - うさだBlogより引用

やっぱり「意図」というのは存在するんだと思う。

マスコミ人には、正義感の強い人がとても多いのだそうだ。彼らはきっと、自分達の考える「正義」 というものがしっかりあって、その目標があまりにも力強いから、 目の前の汚い事実に「色をつけ」たくなるんじゃないだろうか。

母集団を恣意的に操作すること。選択肢や設問を工夫して、結論を誘導すること。 相関と因果とを選別しないで、特定の結果が出るまで「調査」を繰り返して、 意図に反した結果を無視すること。

事実の価値なんて、意図の前にはかすむ。 科学的な事実と創作とは、「意図」の前では等価になる。

絵を書くのに鉛筆を使うのか、 それとも筆を使うのか。事実を少しばかり曲げることなんて、その程度の些細な問題。

意図に基づいて作られた物語に対抗できる部分があるのだとすれば、 「マスメディアの考える正義」と、「社会正義」とが必ずしも一致しないこと。

今まではその不一致を「メディアが作る物語の面白さ」が力技で埋めていたけれど、 ネット社会になって、社会正義が実体を持つようになって、 2つの正義が乖離するようになった。

もっと面白い物語を取材された側が供給してしまって、 コモディティ化の泥沼に相手を引きずり込むことができるなら、 メディアに対抗することもできるのかもしれない。

実際のところ、事実を面白く並べる手法はメディアの専売特許だから、 対抗するのは本当に難しいけれど。