症例報告のソーシャルブックマーク化
水痘肺炎の患者さんのこと
水痘肺炎の若い方を診療する機会があった。
水痘の発疹が全身に出ていて、40度以上の高熱があって、単純写真真っ白。 そのレントゲンを見た主治医の頭も、同じく真っ白。
成人の水痘は肺炎を合併する可能性があることは知っていても、 本当にそうなった人をみたのははじめて。
とにかく具合が悪くてすぐに入院、空気感染だから個室隔離、ナースのシフトを 水痘既感染者に限定してもらって、とりあえずゾビラックス点滴。 そこまでは手持ちの知識で時間稼ぎ。
状態は相当悪くて、このまんま何もしないで診るの無理。教科書調べても、水痘肺炎のことは ほとんど書いていなくて、ゾビラックスと水痘免疫グロブリンと、あとは致命率が高いことと。
経験の裏づけがない知識なんて、現実の前には何の役にもたたない。 嘱託で来ていただいている呼吸器の先生も経験は無く、大学の 呼吸器の先生に聞いても、やはり「診たことないなぁ…」との返事。 大学のベッドもいっぱい。
ここまで1時間。
google さんに聞いてみた
分からないときはネット。
- まずは「水痘」「肺炎」で検索。いきなり死亡症例の報告が続いてドン引き。とりあえず、日本語で 参考にできる情報はなくて、「水痘」は「Chickenpox」だということが分かった
- 英語が分かれば、次に引くのはPubMed。「Chickenpox」「Pneumonia」で検索をかけて、 Limits に 「Link to free full text」を追加すると、田舎の病院からでも全文が読める ジャーナルにたどりつける。「全文に当たれる」ものでないと役に立たないから、 この限定はとても便利。論文の題名をみると、 引くべき単語は「VARICELLA PNEUMONIA」であることが分かった
- もう一度、VARICELLA PNEUMONIA でPubMed 検索。 検索ワードに「treatment」を追加すると臨床論文 だけになる…なんていう小技を使うまでもなく、臨床系の論文ばっかり出てくる。 印刷する時間がないので、全部モニター上で読む
- 大雑把に、ゾビラックスと免疫グロブリン、あとステロイドを使うといいらしい。 ウィルス感染にステロイドなんて、本当にいいのか? 量も分からない。まだ情報不足。 今度は「VARICELLA PNEUMONIA」「steroid」で検索をかけると、そのものずばりの論文が引っ張れた。 比較的少量で効果があって、使ってから4時間ぐらいで熱が下がって、 呼吸も改善するらしい。「これはいけそう」と期待が高まる
- 大学の呼吸器チームともう一度電話。「やっぱりステロイドだね」
ここまでやって30分。ブロードバンドは本当に便利。
それでもまだまだ不安
教科書ベースの知識に決定的に欠けているのは、知識を実世界に展開する感覚。
単なる知識と、知識化した経験との決定的な差。
薬を使ったとして、何時間ぐらいで効いてくるのか。 薬の使用期間。患者さんを入院させておくべき期間。絶対安静をお願いする期間。 何がおきたら「うまくいった」と安心していいのか。「失敗した」ら、次に何をするのか。
こんな情報は、教科書や論文にはほとんど書いていなくて、症例を経験した人の 話を聞いたり、症例報告を調べたりしないと分からない。
とりあえずの指示を出した時点で、あとは待つことだけ。ここから先は日本人のデータでないと。 医学中央雑誌のデータベースを調べたら、日本内科学会雑誌に2例だけ、症例報告があった。
当院にも過去10年分ぐらいの日内会雑誌は置いてあるので、今度はそれを探す。
医中誌のデータベースは腐っていて、日内会に至ってはネットで調べることすらできないので、 本当に不便。見つかったのはたったの2例だったけれど、それでも本当に貴重な情報。
考えていた治療はほとんど同じで、症例報告に載っていた画像所見も、入院患者さんとそっくり。
今度こそ、少しだけ安心して待つことができた。
患者さんは比較的いい経過で回復して、歩いて退院された。
「教科書・論文・症例報告」
- 教科書は、まとまっている代わりに時間の概念が薄くて、作者の思考をトレースできない
- 論文は、作者の思考過程が反映されているけれど、知っている事の確認にしか使えない
- 症例報告はすぐに役に立つけれど、信憑性を保証できなくて、検索も不可能
経験も大切だけれど、やっぱり知識はもっと大切。 それぞれ一長一短があるけれど、一番現場から遠いのが教科書で、現場に一番近いのが症例報告。
教科書の問題点
教科書というのは、知識のエッセンス。いろんな症例報告とか、論文などを参照して、 現時点で正しいことをまとめて記載する。
残念ながら、エッセンスを薄めたところで、それを原液には戻せない。
ヒヨコを1匹ジューサーにかけると、ヒヨコの成分からできた液体になる。 ジューサーからは何の物質も失われていないのに、液体がヒヨコに戻ることはない。
きれいにまとめられた教科書からは、それを臨床に応用するための「何か」が 失われてしまう。それは薬を投与したあと、反応が出てくるまでの待ち時間であったり、 不完全なデータだけで緊急の事態を乗りきる方法であったり。
教科書の知識というのは、現場で経験したことをあとからまとめるのには 役に立つけれど、全く経験したことがない状況を乗り切る武器としては、少し足りない。
コアダンプを読む重要性
教科書の大きな問題点が、「あまりにもまとまりすぎてしまっている」こと。
臨床の現場では、みんな迷走する。迷走の中で、何かきっかけがあって 答えを見つけたり、時々「力技」を使って、答えが分からなくてもゴールに 突っ込んでしまったり。いろんなやりかたをするけれど、最後は患者さんが治りさえすればいい。
教科書というのは、そのあたりの「汚い」部分が整理されてしまっているから、 作者の人がまるで神様みたいに迷いがない。
神様は顔を見せない。「○○らはこう報告している」みたいな記載は医学書の定番表現だけれど、 こちらが知りたいのは「こんなときあなたはどう考えるんですか?」ということ。
臨床の勉強というのは、自分よりもできる人の思考をトレースする行為。 「この場面でこの人ならどう考えるんだろう?」という感覚を身につけるのは、 一種のリバースエンジニアリングだけれど、 教科書を読んで、作者の思考をトレースするのはほとんど不可能。 顔の見えない相手の思考なんて、読めるわけがない。
中身がのぞけないプログラムがどう動いているのかを観察しようと思ったら、 プログラマの人達は、アプリケーションの動作中に強制終了をかけて、 そのコアダンプを解析する。
コアダンプというのはパソコン用語。プログラムの実行を中断させて、 強制的にそのメモリ空間やレジスタの内容などを読めるファイルに書き出したもの。
症例報告とか、論文の考察部分は、作者の思考のコアダンプ。思考過程がよく見えるし、 良い意味で準備が足りていなくて、発表者の思考の「穴」が見えたりもする。
穴があっても正解にたどりつけるなら、その知識は病気の治療にとって本質的でなかったということ。 教科書はこの「穴」が最初からふさがれてしまうから、何が大切で、何がそうでないのか、 案外分からなかったりする。
基礎体力の必要な論文
「何かを知る」のは簡単。「自分が何を知っているのか」を知るのも簡単。 難しいのは、「自分が何を知らないのか」を学ぶこと。
論文は知識を拡大するための道具。作者と読者とが莫大な基礎知識を共有しているのが前提条件に なっているから、その分野で「既知」になっている内容は記載されない。
自分の知識に多少の穴があったって、論文自体は頭に入るし、実地に応用することもできる。 ところが、論文は「読者の穴」の存在を教えてくれない。
- 論文を読んでいる自分が、想定読者として要求されている知識を全て持っているのかどうか
- 実は重要なコンポーネントが足りていなくて、「足りない」奴が論文そのまま実行したら 大惨事になったりしないのか
論文がそのあたりを保証してくれることはない。
良くも悪くも論文は劇薬。研修医の頃、足らない知識で患者さんに劇薬突っ込むような真似を しょっちゅうやってたけれど、あれは部長級の先生がたの強力なバックアップがあったから。
今の自分に同じことやるの無理。
「穴」を潰そうと思ったら、知っていることから順番にたどっていって、 網羅的に穴を探すこと。具体的には教科書を読む。症例報告をあさる。 全分野を通し読みするのは大変だけれど。
検索できない症例報告
現場の感覚に一番近いのが症例報告。
自分の患者さんと同じ病気を扱った 症例報告を読めたなら、自分の「穴」を探すのに本当に役に立つ。
日本では、症例報告の種にはこと欠かない。内科の地方会は毎週のように開かれているし、 研究会というものもまた、基本的には症例報告を行うための集まり。
過去の症例報告は役に立つ。 ところが、この貴重な情報を検索する手段はほとんどなく、また 症例報告の信憑性を担保するシステムが全く実装されていない。
- 行き当たりばったりで探すしかない
- その情報が信じられるのかどうかは運次第
症例報告の集積は、この問題があるから学習の対象にはならず、毎週のように 症例発表が行われては捨てられ、生かされない。
症例が気軽に検索できて、症例の信頼性や新しさ、報告のまとまりかたとか、「情報の重みづけ」が 何かの形でなされるならば、教科書ベースの勉強とは別に、患者さんを診察しながらの勉強、 症例報告ベースの勉強という展開が期待できて、とても面白いことになると思う。
何をしたいのか
- 学会誌とか、地方会の症例報告がネットで全文検索できること
- それぞれの症例報告には「肺炎」「胃がん」「手術」みたいな単語で 検索できるように「タグ」がつけられること
- 単純に検索できるだけではなくて、勉強になる症例報告はどれか、信憑性の高い治療法を紹介している症例はどれか、 「情報の重みづけ」をするシステムを実装することが必要
- 病名で検索する「問題オリエンテッド」な検索手段以外に、 「○○教授が今月参照した論文」みたいな、 勉強に役立つ検索手段も別途用意すること
………何のことはない、「ソーシャルブックマーク」を内科学会内部でやればいいだけのこと。
はてなブックマークをはじめ、ソーシャルブックマークのサービスはもう運用されていて、 運用に必要なノウハウとか、問題点なんかももう出尽くした。
すでに出回っている技術、あるいはサービスを利用するだけで、かなり面白いものができると思う。
- まずは内科の関東地方会あたりで発表された症例報告のパワーポイントファイルをネットに上げて、 検索可能にする
- 内科学会員の会員番号あたりで認証して、医師にIDとパスワードとを発行する
- ログインした会員は、検索した症例報告に投票したり、「肺炎」「糖尿病」「鋭い考察」「よく気がついた」 みたいなタグをつけたり、簡単なコメントを加えることができる
- 「全文検索」「タグで検索」「今週の人気症例」などの入り口とは別に、 「○○先生が今週読んだ症例」の検索も可能にしておく
- 会員は、外部リンクを利用した症例を投稿をすることも可能
- 面白い症例や、役に立つ症例に対しては、会員はひとり1票ずつ投票を行うことができる
- 検索結果は、日付順、検索ワードに合致した順、投票の人気順の3通りを表示可能にしておく
- 特定のIDを持った医師がどんな症例を読んだのか、どれに投票しているのか、 ログをたどる手段を実装する
だいたいこんなかんじ。
可能になること
医師の学習形態が変わる可能性がある。
「問題発生 => 論文で確認 => 誰かの経験で確認 => 実践 => 教科書で確認」が いままでの流れであったが、 これが「問題発生 => 同じ症例を検索 => 実践 => 論文や教科書で確認 => 参考になった症例報告に投票」になりうる。
今までは他の医師との学習結果を共有することは出来なかったけれど、投票システムを実装すると、 全ての医師がデータベースの洗練に貢献できることになる。
症例の投稿が可能になるなら、自分が経験した症例を投稿して、誰かの反応を得るという 生活サイクルが出来上がるので、医師の学習意欲が増すかもしれない。 投稿の量が増えて、それを評価するサイクルが確立すれば、 結果として症例報告の質も向上するだろう。
日本の中での自分の立ち位置や、知識の「穴」を確認するには最適な手段になると思う。
自分が共感できなかったやりかたの症例報告に多数の支持が集まっていたり、 あるいは自分が知らなかった知識でもっとエレガントな治療を行った症例報告を 発見できれば、「他人の目から見た自分」を嫌でも意識できる。 自分で症例報告を投稿する機会があれば、なおさら。
矛盾した意見を参照できるのも大きな魅力。
検索が充実すれば、同じ病気を治療した症例報告でも、 全く異なる経路を取ったものが複数見つかるはず。
症例報告というのは実世界での臨床をコアダンプしたものだから、 本質的に矛盾を内包している。矛盾を解決したり、「どちらが正しいのか?」という疑問に 答えるためにも、会員による投票とコメントのシステムが必要だと思う。
できないこと
「症例報告データベース」の学習は、穴を埋めるためのものであって、 そこから新しいことを生み出すことはできないと思う。
できることは、あくまでも過去の経験を効率よく参照することだけ。 自分の知識をより完全にすることはできても、 新しい「何か」を思いつくのは、たぶん何か別の手段が必要。
それでも、そもそも「過去を知らない人間が、未来に切り込んでいけるのか?」 という疑問は常にあるし、 効率よく過去を学習できるデバイスが実装できるなら、それはそれできっと便利。
「行儀正しい自由」を担保する「世間の狭さ」
コミュニティに参加するモチベーションは、ルールの自由さに比例する。
- 厳格なルールで運営する集団には、新参者は入りにくい
- 匿名掲示板みたいなコミュニティには誰だって入っていけるけれど、無法地帯になやすい
ルールが自由になればなるほど無法化の危険が増すけれど、 「内科医しかいない」という極端な世間の狭さは、 このデータベースの安全さを保証してくれると思う。
- IDは匿名でも実名でもいい
- どんなものでも投稿可能。「昨日見たアダルトビデオの感想」みたいなものでも許容する
- 信頼性は投票システムで保証する
匿名運営か、実名運営かは意見が割れるだろうけれど、原則として匿名を許可する。 匿名可能ルールを原則にしても、大学の教官とか、大病院の部長級は基本的に 実名を出すのを「暗黙のルール」にして、「役職付きなのに実名を出さない奴はチキン野郎」 だという場の空気を作ってしまえば、「えらい人は実名」というルールは実装できる。
実名ID持ちの人の行動は、たぶん多くの匿名読者に影響を与える。 その一方で、えらい人の行動は、多くの匿名若手医師から監視されつづけることになり、 コミュニティに緊張感を付加するだろう。
投稿された内容の保証は、「複数の医師が確認した」という事実で行う。
ウソ症例を投稿されたり、抗がん剤の容量を1ケタ間違えた症例報告が一人歩きしたら大変だから、 投稿する際には作者と他の医師のダブルチェックを義務にする。
インターネットでは「ゼロ票」の情報も検索されるけれど、このサービスでは「2票以下」は 最初検索の対象に含めない。下らない投稿をするのも自由だけれど、作者以外にもう一人、 それを「下らなくない」と保証する人間をつけないといけない。
たとえ匿名IDであっても、たかだか1万人ぐらいのコミュニティでは「笑いものになる」というのは 恐怖だから、相当しっかりしたチェックが入るはず。
投稿症例のスタートは「2票」でも、たとえば地方会での発表症例ならば 他にも査読者が複数いるのが当たりまえだから、最初から「4票」とか「6票」とか、 得票数の多いところからスタートでき、検索の上位に上がる可能性が高くなる。
ネット投稿が可能になっても、実世界での発表に一定のインセンティブを付加することができるから、 投票システムはうまくいくんじゃないかと思う。
「エレガントでない治療」を学ぶ夢
個人的に一番興味があるのが、エレガントでない解法が公開される可能性。
- 「何がおきたのかわからないけれど力業で解決した一例」
- 「診断からして間違えていたのに、結果として治癒退院した一例」
汚い治療。無様なやりかた。今までなら恥ずかしくて発表なんかできないような、 こんなやりかたがネット世界で公開されて、そのやりかたを学べるようになると、 本当に面白い。
その方法が本当に参考になるのかどうか、医学的にそのやりかたは「あり」なのかどうかは、 それこそ投票で決めればいいし、コメント欄で簡単な議論だって可能。
偶然の成功と意図した戦略は紙一重だし、単なる手抜きと、分かった上での省略だってしかり。 正しいのか間違いなのか、じゃあどうすればよかったのかも含めて、グダグダな経過の症例を みんなで議論できたら、こんなに楽しいことはないと思うんだけれど。