信頼性と冗長性

ネジやビスみたいな部品から電子機器まで、メディカルグレードというのは いつも一番の高級品で、それに続くのが軍用規格。大分安くなって、汎用部品。

現代の宗教「ピュアオーディオ」業界では、医療部品がよく使われる。 昔、アンプの入力段にNECが出していたメディカルグレードの トランジスタが「音がいい」という評判になって、それが1個1500円だか、1800円だか。 同じ型番の汎用品だと、1個当たり30円ぐらい。

信頼性には本当にお金がかかる。

壊れる人工呼吸器

人工呼吸器というのは、医療機器の中では安いほうだけれど、 高信頼性部品の固まり。呼吸器1台600万円とか、800万円とか。

この数年、技術的には相当進歩した機械が出回るようになったけれど、信頼性は落ちた。

内科が昔から信用しているのは、ベネット7200という呼吸器。 旧式で、大きくて重くて使いにくいことこの上ない機械だけれど、 何があっても動きつづける。

「自分が挿管されたら、この機械をつけてね」という呼吸器の先生、けっこう多い。

最新の機械は壊れる。

壊れるといっても2年に1回とか、ごくまれな頻度ではあるけれど、 それでも「壊れたのをみたことがある」 というだけで、今までからするとありえないぐらいの高頻度。

  • 古い呼吸器は構造が簡単で、そもそも壊れない
  • 世代が古い機械は「枯れて」いるから、壊れそうなところは改良済み

原因はいろいろ。いずれにしても新型の呼吸器は本当に便利になったけれど、 出回って10年ぐらいたった奴のほうが、やっぱり安心。

人間というセキュリティホール

機械に責任はなくても、呼吸器を分解洗浄して、もう一度部品を組むのは人間。

昔病棟で使っていたのは、ドイツ軍のガスマスクなんかも作っている 某社の呼吸器。800万円ぐらいした、今でも最新スペックのやつ。

病棟で使おうとすると3回に1回は絶対に動かなくなって、 「ユダヤ人の呪い」なんていう不謹慎な冗談の種にしていたけれど、 呼吸器を使うときというのは病棟がパニクってる時だから、 機械に裏切られるとダメージ大きい。

「この機械、絶対呪われてるから調べて下さい」

何回か業者の人に調べてもらっても、機械はノートラブル。

不具合というのは、分かってしまうと単純なことなんだけれど、事前に予見するのは本当に困難。

原因になっていたのは、呼吸器回路の部品が正しく組まれていなかったことだった。

使い終わった呼吸器回路は、医療材料部のオバチャンたちが洗って滅菌して、もう一度組み直す。 部品は中に隠れてしまって、外からは確認できない。滅菌から帰ってきた回路は「きれいに」 見えるから、病棟側も無批判に信頼してしまう。で、鉄火場になってこの回路を使って、 大騒ぎになっていた。

「裏切る」機械であっても、裏切りかたのパターンが見えたり、 「こいつは裏切る」というのが分かってしまえば対策はできる。

試運転を最低10分ぐらいやっておくとか、急変の時には常に2台の呼吸器を準備して、 1台目が今一つだったらすぐに次をつなぐとか。使いこなしで、「呪い」は解けた。

価格と信頼性は比例する

アメリカで企業の再編があって、呼吸器は相当安価になった。

技術的に進歩したものは価格が上がって当然なんだけれど、最近の呼吸器は どんどん安くなっている。以前より小型軽量になって、性能そのまんま、値段半分なんてザラ。

何がそうさせたのかを聞いてみると、部品のグレードを抑えたらしい。

部品の信頼性というのは、一種の宗教。「この部品は10万回に1回しか誤作動しません」と 言われたって、そもそも汎用品が誤作動するところだってみたことがない。 「壊れません」の言葉ひとつで値段100倍とか、医療用の高信頼部品にはよくあって、 新しい世代の呼吸器はそのあたり、割り切っているらしい。

今いる病院の呼吸器は安くなったものばかりだけれど、今のところは壊れていない。 もともとが壊れにくく作っている機械だけに、一人の医者の経験程度では、 部品のグレード差を実感できるのかどうか。

信頼性と冗長性と

100回に1回故障する機械の信頼性を、1万回に1回レベルにまで向上させようと思ったら、 取れる戦略は2つ。

  • 個々の部品の信頼性を上げて、「1万回に1回」を達成する
  • 同じ機械を2台セットで販売して、「壊れたらもうひとつを使ってください」とお願いする

部品一つ一つを改良するのは大変。機械の信頼性は、それを構成する全ての部品の中で、 一番壊れやすい物が決定してしまう。機械の信頼性を上げようと思ったら、 全部の部品に「高級品」を使わないと、コンポーネントとしての信頼性は上がらない。

冗長性戦略は簡単。同じ製品2台で、値段が2倍になるだけ。

たぶんどこかにカットオフがあって、 あんまり高価な機械とかではこんなやりかた不可能なんだろうけれど、 うちの病院では今年、安い呼吸器を2台買った。

冗長性戦略のいいところは、目で見て分かりやすいところ。

信頼性はしばしば宗教だけれど、冗長性は数学。

誰かに安心してもらうという意味では、分かりやすさは大事。

伝えられない冗長性

手技中の急変。

現場はみんな浮き足立ってしまって、部長以外はみんな真っ白なんていう場面、 時々あって。

そんなときでも一人落ち着いていたのがトップの人。超人にしか見えなかった。

部長と「その他大勢」とを分けていたのは、「腕の良さ」以外に頭の中身。

  • 鉄火場になったとき、下々の頭の中は「203高地」の戦い。目の前の問題を解決するのに 全兵力を投入してしまって、他の戦略をとることを考えられない
  • 鉄火場で落ち着いている部長は、今やっているやりかた以外に何通りかの方法を考えていて、 「これがダメならこうしよう」とか、いろいろ考えているらしい

鉄火場で他の戦略を考えるためには、経験が必要。

ところが、経験を積んだベテランがいる現場では、ほとんどの場合その人が問題を解決してしまうから、 「他の戦略」があったことすら知らないまま、急変した患者さんが回復して、歩いて帰る。

冗長性を身につけるためには、乗り切らないといけない問題に直面して、 そのときに聞ける人がまわりにいなくて、自分で何とかしないと人が死ぬ、 そんな状況に直面することが必要。

今の時代、新人をそんな状況に置くことなんて 許されないから、冗長性は伝えられない。

技術が継承されていく中で、冗長性戦略は失われてしまう。今まで冗長戦略が可能で、 低コストと高信頼性を両立できた場面でも、次の世代では信頼性戦略がそれを置き変える。 コストはどんどん高くなり、外から見た信頼性は分かりにくくなり…。悪循環。

たぶん、臨床研修の中にスタートレックの「コバヤシマル」試験みたいなものを 組み込んでやると、このあたりの考えかたが伝わるんだと思うのだけれど、 シミュレーションを本気でやるのはお金がかかるし、 それを誰がどう評価するんだか。

こういうの、医療情報の人とか、 医学教育の人達とか、なんかカリキュラム考えないんだろうか?