天秤の反対側に企業が乗る日

今年は皮膚科大人気。某大学の皮膚科医局には30人以上の入局希望が殺到して、 半分近くを断ったとか。景気のいい話。

内科は悲惨。外科はもっと悲惨。

大学院生とか、定期的な収入のない医師は、当直のアルバイトをして収入を得る。 割りのいいアルバイトは取りあいになったりしたものだけれど、今は逆。

大学に人がいなくなってしまって、それでもOBが作った病院とか、断るわけにはいかない 「アルバイト」だけが残って、みんな「お金はいらないから寝かせて下さい…」と 悲鳴をあげる毎日。

医局サイドもいろいろ考えてはいるみたいだけれど、名案なんかない。

忙しいこと、リスクが高いこと、 眠れないことそれ自体がメジャー科の「売り」だったんだから、 いまさらそれに人気がなくなったからといって、捨てるわけにはいかない。

新卒の医学生は、自分の進路を天秤にかける。

  • 臨床と研究
  • やりがいと自分の時間
  • 大学病院と市中病院

いろんな選択。「大学の内科」がぶら下がる天秤の、反対側にぶら下がる相手もいろいろ。

今のところ、天秤は反対側に傾きっぱなし。内科や外科は、天秤からずり落ちる寸前。 産科や小児科は、もはや天秤に乗っかる以前の問題。

いろんな相手。まだまだ少ないけれど、天秤棒をへし折るぐらいに 破壊的な力を持っているのが、「白衣を着ない医者」という選択肢。

白衣を着ない医者

昔は厚生労働省の医系技官。

基礎だろうが臨床だろうが、どの科に進んでも「白衣を着る」という言いかたをしたものだけれど、 唯一の例外が官僚になる道だった。

この方向に進むのは、本当に数年に一人。臨床はやらないで、医療行政にかかわる仕事。 病院に進む進路と、厚生省に入るのと、 両方を経験した人なんていないから、その分野が果たして「いい」のかなんて、誰にも分からない。

最近話題になっているのが、民間企業やマスコミ方面への就職。

いわゆる「大手企業」の中のいくつかは「医師枠」というのを設定していて、 医学部を出た新卒が、他の学部の新卒と一緒に就職するらしい。医師免許を持っていると、 他の学部に比べて就職が有利だったり、一般企業の中でもいろいろ便利なときがあるのだとか。

医学部を出たのに病院に就職しないで、一般企業に就職する

自分達の世代の感覚ではありえないし、今の世代の人達に聞いても「都市伝説では?」というぐらいに 少数派らしいけれど、こういう人がわずかずつ出てきているらしい。で、この分野に進む人が これから増えて、医学部の中でも優秀どころがこちらに動くと、たぶんすごいことになる。

そもそも研究は趣味

もともとが、研究職なんて趣味人の遊びみたいなものだった。

寺田寅彦あたりが現役だったときの「教授」なんて、自宅に弟子を何人も住ませていたり、 ポケットマネーで誰かを留学させてみたり、もともとが大金持ちの人ばかり。

林望のエッセイにも出てきたけれど、大学教授がスーツを作るときは、銀座の「英国屋」が定番。 一着30万円近く。こんなのを年に何着か新調するのが昔は当たり前だったとか。

自分が小学生だった頃の年始回りもそんなかんじ。

当時はまだ、父親みたいな「普通の人」が研究方面に進むのは例外中の例外。

うちは2間のアパートだったけれど、年始回り先は、どこも東京の真ん中、 「屋敷」といったほうがいいぐらいの大きな家ばかり。 やたらと毛足の長い絨毯とか、ジャングルみたいに大きな木の生えた庭の真ん中に、 巨大な池があったりとか、そんな断片を覚えている。

最近のオーバードクターの問題とか、ポスドクの問題とか、本当に深刻だけれど、 日本ではそもそも「研究で食べていく」ことなんて想定されていなかったんじゃないかとも思う。

優秀な人は実業を目指す

アカデミックポストの暮しむきは相当に悪い。

うちの実家は、その地区半分ぐらいが「元○○大学教授」の地域で、 地域のの平均学歴みたいな統計を取ったらすごいことになるんじゃないかと思うけれど、 これも土地が安くて、みんなそこしか買えなかったから。今はよくなったけれど、 昔は台風がくるたびに地域が水没したりして、大変だった。

研究職についても経済的には幸福になれないのは、洋の東西を通じて同じ。 数学とか、物理の研究者の人も、3年ごとにポスドクの仕事を転々として、 成果を出せなければ「次」がない世界。

貧すれば貪す。論文データを捏造してみたり、基礎系の成果の「産学共同プロジェクト」の産物が、 「○大の先生ご推薦の健康ドリンク」だったり、なんだかグダグダ。

アカデミズムの世界が苦しい一方で、「実業」の世界は華やか。 優秀な人達は、最近は金融方面に進出したり、google みたいな新興企業に応募してみたり、 流れが変わってきているらしい。

医学部だって一応理系の端っこだし、 東大や慶應京都大学あたりの医学部生は超絶に頭いい人ばっかりだから、 こんな流れがきたっておかしくないはず。

「外」を伝える大人の存在

自分達の学年にも10人ぐらいいた、「大人」の人達。

外の企業を出てきたり、薬学部を卒業してから医学部に入りなおしたり。

学部卒の人達というのは経験があって、時間の大切さを知っていて、 新卒の連中が馬鹿をやるのを生暖かく見守る、そんな存在。

高校を出て医学部経由で病院に入ってしまうと、他の人達がどんな働きかたをしているのかとか、 「外」の話なんか全く聞こえない。大人達からいろんな話を聞いたり、彼らが「やっぱり臨床をしたくて」 みたいなことを言うのを聞いて、「やっぱり俺ら、正しいんだ」なんて安心したり。

自分達の世代の「大人」というのは、白衣を着て病院に就職する流れを補強する存在だった。

でも、もっといろんな大人がいてもいいはず。

たとえば一般企業に就職して、 「ここで医師免許があれば、わざわざ医者に頭下げたりしなくても簡単なんだけど」 なんていう場面が何回かあったとして。

海外留学してMBA を取る企業人が増えているけれど、あんなのを受験するぐらいの実力があれば、 同じ4年間で医師免許を取るのだって不可能ではないはず。

企業側にそうした需要があって、「医師免許を取る」のがゴールではなくて、 それを単なる通過点としか思っていない「大人」がどこかの医学部にいて、 その人が新卒に対して「外」を語ったら、我々の世代とは相当異なった印象を受けるだろう。

  • 厳しいけれど華やかそうな、外の世界。同級生にそれを体験してきた人がいる
  • 厳しい上に危なそうな、病院世界。ネットの情報は悲惨だし、上級生はみんな疲労困憊

こんな「天秤」を想定している医学生がどこかにいて、そのうち優秀どころが研究職じゃなくて、 企業への就職を考えるようになったりしたら、相当おもしろいことになる。

レッドオーシャンに残されるもの

優秀な人たちがタコツボ化した業界内での苛酷な競争を放り投げて、競争相手のいない 「ブルーオーシャン」に乗り出していった後は悲惨だ。

ブルーオーシャン戦略のひどいところは、成功した「ブルー」側がもてはやされる影で、 苦労しまくっていた「レッド」側が笑いものになってしまうところ。 最近だと、任天堂にこれを仕掛けられたソニーとか、ソニーとか、ソニーとか。

進路の天秤に乗っかる相手に「外の企業」という選択肢が当たり前になる日がくると、 今まで大学でがんばってきた人達の立場が無くなる。

  • 優秀な人は、企業で全然違う仕事についたり、「マネージャー」として現場に戻ってきたり
  • 「医療界で競争する」というのは、しょせんはトップになれなかった人達の小さな世界での競争

医師を取り巻く世界観がこんなふうに変化すると、たぶん現場の医師の心は折れる。

医師免許というのは、企業から見れば「30兆円市場に参入するためのパスポート」みたいな ものだから、たぶんそれなりに使いようはあって、「使いこなし」の競争を仕掛けられたら、 しょせんは中小企業の集まりにしか過ぎない病院なんて、絶対勝てない。田舎の商店街が、 ダイエージャスコと競争するようなもの。

ブルーオーシャン戦略」の怖いところは、旧来の「レッド」側にできることがほとんど無いこと。

「企業に就職する医師」というのが選択肢として考えられるようになって、 いろんな企業が本格的にこの業界に参入するようになって、伝統的な病院は「グループ」として 企業に買い上げられて、「社員」となった医師が、企業主導で地域に再配置される。

こんな未来図を考えている個人とか、大企業が世界のどこかにあったとして、 それに対して自分達の世代ができることはほとんどない。

今の医療界はそれはそれで、お互いの競争に必死。法律に追いつかないと 病院潰れるし、勉強しないと取り残される。

「医者らしく生きたい」とか「白衣を着る夢を実現したい」とか、そういう感覚が当然なんじゃなくて、 それを「馬鹿じゃないの?」と言い切る感覚。それは自分達の世代からみると 明らかにずるくて不都合で悪いことだけれど、今はそんな感覚の方が「古い」といわれる。

「企業に就職する医師」の夢は、若い人達の独壇場。

あとは「向こう側」に移るために必要な資質と、「パイの大きさ」の査定。

未知の大陸が測量されて地図ができて、そこで生きていくための知恵が蓄積されてしまえば、 そこはもはや新大陸なんかじゃなくて単なる新興住宅地。お金のない、優秀な人たちは 嫌でもそこに殺到する。

最初のうちは、毎年のように水没したりするだろうけれど。