経済と心理

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経済学畑の人というのは、心理というものの影響をどのぐらいに査定しているんだろうか?

過去に起きた出来事の説明なら、たぶん心理はおり込み済み。

その時の人間がどう考えようと、その結果は全て経済活動に現れてくるから、 数字だけを追っかける経済学の結論の中には、きっと人間の心理が考慮に入ってる。

ところが、起きてしまったことを説明するには経済学の手法は有効であっても、 それを用いて未来を説明しきることはできるんだろうか?

「見た目」はけっこう大事

人間の心理というものは、刻一刻と変化する。

時代の要請があって、何かすばらしい経済政策が出来上がったとして、 それを発表する役人の見た目が「悪役」だったとしたら、それだけで有効性激減。

竹中大臣とか、最近引退した日銀総裁とか、たぶんこのあたりでものすごく損している気がする。

心理は読めなくて、理不尽で、またこちらの観察と予測という行為に応じてまた変化する。

相関関係と因果関係ではないけれど、 過去の因果が説明できたからといって、それが未来の因果をも説明しうるというのは、 変化するのが前提の人間の行動を読むには無理がある。

半減期を持つ通貨」のこと

医師が生命倫理について語るのは、売春窟の主人が恋愛を語るようなもの。 だからいつもお金のことを考える。

医療、特に介護の現場にお金が足りない。

老人介護の現場なんか、経済世界の末端も末端。今はどこもお金が足りないから、もう奪い合い。

こういうのは、たぶん分配の問題なんかじゃなくて、単純な量の問題。

砂場のどこかに大きな山を作ろうと思ったら、直感的にはまわりから少しづつ砂を集めて、 高い山を作ろうなんて考えるけれど、経済世界にはたぶん「まわり」なんていう 手つかずの場所が存在しない。

経済で「山を作る」というのは、シャベルカーから大量の砂を砂場に落として、 一番高く積みあがった場所を 「ここが僕の山」と宣言するような、そんなやりかた。

余ったお金なんかどこにも無いけれど、みんな貯金は持っている。

「タンス預金として死蔵されているお金が市場に出回って、世の中がものすごいインフレに 傾いてくれれば、きっと介護にも少しはお金が回るはず貨幣に「半減期」を設定できれば、 みんなお金を使うようになるから、きっとうまくいく」なんて考えていたのが最近のこと。

専門家の方からの解答は、こんなかんじ。

(実際に「半減期のある紙幣」政策があったことに言及をいただいた後半) 皆がいっせいに期待インフレ率を高め、消費・投資判断を変える必要はありません。 目端の利く人間から順次変わっていけばよいわけで、 重要なのは最初に判断を変える者のインパクトということになります。 (中略)したがって、インフレターゲティングの含意が広く周知されることは、 その有効性の必要条件ではありません。最初の段階においては、 少なからぬ企業経営者の将来予測を変えることができるかどうかが勝負の分かれ目になるのです。 リフレ政策の波及経路より改変引用

このあたり、「なるほど」と思いながらも、けっこう違和感があった。

経済学の未来予測というのは、遅れてきた人の「あいつらずるい」という 思いまで織り込んでいるんだろうか?

トラブルを生む「遠い」人

病院でトラブルの種になるのは、近くにいる人なんかじゃなくて、 むしろ遠いところ、普段は病院になんか来ない人。

たとえ医療過誤すれすれ、あるいはもろにブラックゾーンの症例であったとしても、 いつもついている家族の方からクレームが出ることは、まずありえない。

遠方の親族の方は、たいていは休日に病院に来る。主治医だって休んでる。 日曜日の午後に病棟にきて、 「話を聞かせて下さい。○○県からわざわざ出て来ました」と言われて、主治医が呼ばれる。

面倒くさい。でも、これに対応しないと、後が本当に怖い。

こういう方の「わざわざ」の前には「患者さんのために…」という言葉が入ると思っていたのだけれど、 そうではなくて、「主治医のためにわざわざ来てやった」と 本気で思っている人が多いことにやっと気がついた。

「わざわざ」来て下さった方に、「後日来て下さい」とか、 「詳細は他の親戚の人に聞いて下さい」なんて応対をすると大変。

苦労には報いる必要がある。

こっちはそう思わなくっても、相手は絶対そう思ってる。

遠くから、休日を潰して、はるばる出てきた人に対しては、病院スタッフは「迷惑だな」なんて思わずに、 「大変な思いをして、(医者の)休日を潰してまで、わざわざようこそおいで下さいました」なんて、 そんな対応をしないといけない。

理不尽だけれど、どうにもしかたが無い。

集団の中の「平等」ルール

親族は、みんな平等である必要がある。

出遅れた親族の人は、出遅れた時点ですでに負い目を持っている。 こういう人に対しては、医療者はより多くの情報を出さないと、 その人はたぶん、家族の中で「平等」になれない。

不公平感というのは、元情報からの距離に比例して強くなる。

もはや医学でも何でも無くて、本当に他人事なんだけれど、 医療従事者が家族内の情報バランスをうまく調整できないと、 誰かの中に「あいつらうまくやりやがって」という不満足が 残って、話が予想もしなかった方向に展開してしまう。

自らを悪役にしないで、より線形な未来予測をしようと思ったら、やっぱり情報分配を より公平に、「遠い人ほど詳しく分かりやすくていねいに」を徹底しないといけない。

経済政策というのが、素人目に見て必ずしも予想通りに行っていなかったり、 あるいは政策を作る人たちが「成功であった」と総括したプランというのが、 下々から見て必ずしも「成功」を実感できなかったりというのは、 きっとこんな部分、「情報伝達の不公平感」というものが関与している。

持っているお金の額面が下がるのも、物価が上がるのも、原理的には全く同じ。

物価の上昇はその場では分からないけれど、近所のスーパーマーケットで買い物をすれば、 その時点で実感できる。

インフレの到来を、財布を見て実感するのか、それともスーパーのレジで実感するのか。

それだけのことなんだけれど、「スーパーまで歩いてもらう」その手間を惜しむこと自体が 予測の非線形性を生み、未来予測の限界を生んでいる気がする。

医学も経済も。

そんなこと以前に、お前ら医者のやっている営為なんて無駄そのものじゃないかと 言われてしまえば、本当にそのとおりなんだけど。