労働運動のフリーウェア化

準備が進む美しい国づくり。

審議会の面々がキ○ガイ発言を連発してみたり、説明会の壮大な自作自演が 発覚してみたり、なんだか出だしからグダグダだけれど、とにかく前に進んでる。

反対意見はあんまりでない。

ネット界隈ではいろいろ騒がれてはいるけれど、実世界は静かなもの。

政府は支持率を下げているけれど、対抗馬もいないから、なんとなくこのまま進んじゃいそうな気がする。

国が「美しく」なったところで、田舎で医者をやっているぶんにはあんまり変わらない。

仕事は忙しくなって、たぶん今より訴訟ももっと増えるだろうけれど、たぶんそれだけ。 もう十分お腹いっぱいになるぐらいに悪いから。

どこもかしこも、救急病院のベッド数はもう限界。

あと何年かすると、精神科と老人病棟のベッドが大幅に削減される。 行き場のない人が増える。

そうした人たちがそのまんま「退院」できるわけがないから、たぶん残されたベッドをめぐって 苛酷な「椅子取りゲーム」がおきて、あぶれた人は施設や病院じゃない、どこかに行く。

たぶんそれは、役所からは「解決」案件として処理されて終わり。それだけ。

もっとみんな、現状に対して怒ってもいいと思うんだけれど、明確な反対意見を唱えているのは 共産党民社党ぐらい。

どうやって声をあげるのか? 今は組合もなけりゃデカイ団体もない 政治家に訴えるしかないと言っても、聞くやつなんかいるかな?

ネット社会の現在、「サヨク」は本当にかっこ悪くて、時代遅れ。

サヨク」の思想に迎合するぐらいなら自民党に投票したほうがまだましだけれど、 あの人達の持っていた技術、デモを組んだり、不正を暴いたり、 世論に訴えたりといった「労働運動の技術」は大切。

技術が先か思想が先か

最初は「技術」から始まったんじゃないかと思う。

労働者が苛酷だった三池炭鉱。エネルギーの持って行き場が無くて、とにかく暴れたかった学園紛争。

最初にあったのは「現状を何とかしたい」という需要。 それを何とかするための技術として組合が生まれ、 団体交渉が生まれ、オルグの技術や組織術、ゲバ棒やヘルメット、 火炎瓶みたいな「闘争」の技術が生まれ…。

みんな何とかしたかった。技術は広まって、最初はみんなそれを学んだ。

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思想はそのあと。

炭鉱労働者に資本論を教えたのは、後から来た社会運動家の人だったし、 マルクス経済学を否定した毛沢東思想なんて、 あれは暴れた若者を正当化するためのあと付け。

時代は変わった。技術は隠され失われ、思想だけが残った。

  • 技術というのは知っている人に力をもたらす。技術が拡散すると、それに反比例して力は落ちるから、技術を習得した人はそれを隠そうとする
  • 思想もまた、知っている人に力をもたらす。思想は拡散すればするほど力が強くなるから、みんなが広げようとする

総和が一定の「技術の政治力」に比較して、「思想の政治力」というのはねずみ講的な性格を持つ。

時代が進んでも、技術を知っている人の数は増えない。 ところが思想を語る人の数だけは加速度的に増えつづけ、 そのうち思想は一人歩きをはじめる。

革命をおこすための技術がなくなっても、革命をおこすための思想だけは残った。

反革命的である」というよく分からない理由で殺された人が出て、 ついには「サヨク」はかっこ悪いものになり、 「サヨク」の持っていた技術もまた、かっこ悪いものとして葬られた。

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「怒るための技術」は継承されずに思想だけが残って、 元革命家の人達は現在、政府じゃなくて成人病と戦う日々。

Old soldiers never die

どうすればいいのか?昔の活動家は、その答えを知っている。

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時代は変化する。変化を拒む思想は消える。

でも技術は死なない。それは継承されて、新しい状況に適応して進化する。

組合の作りかた。仲間の増やしかた。上層部の不正の暴きかたや、 分断工作の防ぎかた。いろんな嫌がらせ。恐喝のやりかた。

団塊世代といわれる人達のどこかには、まだこうした技術を継承している人、 きっといるはず。

「技術が知りたかったなら、まずは我々の思想を受け入れよ」という立場はやっぱり 技術屋的な見かたからすると間違いで、技術と理念とは、本来が分割可能なもの。

ネットでいくら怨嗟の声をあげたところで、いまの政府には届かない。

今の政府がやられて一番嫌なことというのは、たぶん葬ったはずの「昔の技術」が再開発されて、 それがばら撒かれてしまうこと。

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支持する思想がバラバラであったとしても、「現状を何とかしたい」 「経営者がおいしい思いをするのはとりあえず腹が立つ」という思いだけは、みんな同じ。

サヨク」の思想がかっこよかった時代は終わり。サヨクの技術拡散を防ぐ理由も無くなった かわり、その技術を利用したい需要だけが残った現在。

需要があって、そこを何とかする技術があるなら、それを「フリーウェア」の形でばら撒けば、 それはたぶん政府に対する最高の嫌がらせ。

時代に対する思想の弱さ、時代を超えた技術の恐ろしさというのは、たぶんそういうこと。

まず理念ありきじゃなくて、まず方法論。思想については多数決を取ったり、 それこそgoogle さんにおまかせ、というスタンスで、まずは方法論を広める。

今の若者は怒らない、理念が無いと嘆く前に、大人の人達、もっと技術の継承を考えるべき なんじゃないだろうか?

今の「教育基本法」を審議する人たちが、セルパンテスの『薔薇の詩』見たいな冊子を 復刻配布して、 「できるもんならやってみな」とテレビで大見得を切ってくれたなら、 それはもう熱狂的に自民党を支持するんだけれど。

12月13日追記。挿絵を入れた。

この神漫画、本当に平野耕太の作品?