「最初の1回だけ無料」ルール

トイレに入るときの救急隊ルール

  1. トイレに入ったら、まずトイレットペーパーを手にとる
  2. それから便器に座る

消防や救急、レスキューというのは いつ呼ばれるから分からない仕事。呼ばれたらすぐに尻を拭いて、現場に飛び出せるように。

地元の救急隊にも確認したけれど、これは全国ルール。もっとも、今はトイレの中にも無線が 入ったから、「慌ててトイレットペーパーをとる」ぐらいの時間はできたらしいけれど。

感染性腸炎が流行して、今すごいことになっている。

療養病棟2つは満床。急性期病棟の利用率は、この3日ぐらい9割越え。身動き取れない。

救急隊も休めないらしい。

日中は、食事が取れなくなった老人の搬送で手いっぱい。夜になると、日中がまんしていた 若い人が耐えられなくなって、朝の4時とかに「昨日からの吐き気」で救急搬送依頼。

救急勤務は24時間交代。

何もないとき、救急車は消防署にいて、搬送要請があったら、そこから出動する。 この前聞いたら、「今日はもう、17時間乗りっぱなしです…」と。

警察と消防隊の鍛えかたは人間レベルじゃない(制服の下は全部筋肉)から、 たぶん17時間ぐらいの勤務では全然何ともないんだろうけれど、 その日はさすがに疲れた顔をしていた。

流行性腸炎は、やっとピークを越えつつあるけれど、ここにインフルエンザがやってきたら、 たぶんこの地域の救急は終わる。

有料ルールは最適解か?

救急車を有料化しようという話は前からあるけれど、あんまりうまくいかないような気がする。

実費でやると、1回の救急搬送代金というのは、たしか7万円ぐらい。

救急車事態がとても高価なものだし、訓練を受けた専門家が24時間待機してるんだから、 あの制度にはものすごいお金がかかってる。

そのまま請求するのはどう考えたって無茶。せいぜい取って 1000円とかそのぐらい。

美しい国」には、そもそも税金を使って救急車に乗る非国民なんて 想定されていない存在なんだろうけれど、政府だって世論を気にするだろうから、 たぶんタクシー代よりも安い程度。

有料化の厄介なところは、不利益を生じる人がまちがいなく出る反面、 本来使用を抑制してほしい人に対する抑制効果はあんまり無いこと。

「救急車に乗ってきて欲しい人」というのは、要するに重病人。老人の多くはこれだし、 がまんする人今でも結構多いから、「有料化が原因で亡くなった」という叩きは避けられない。

医療者側のやる気をそぐ原因になっているのは、救急車をタクシー代わりに使う人。

某市では、改革派市議のシンパの人たちが「病院を監視しよう」という運動を 展開していて、夜中にわざわざ救急外来を「視察」する。 朝の4時。3日前から風邪を引いているという子供を連れた親御さんが救急搬送。 帰り際に一言「我々は税金を払ってますから、あなた達には感謝しません」とにっこり。

改革派に泣かされた看護婦さんはそこを辞めて、今うちの病院にいる。

こういう人達はお金持ってるし、そもそもがタクシー呼ぶのが面倒だから119番をかけるわけで、 抑制するには、相当な金額を吹っかけないと無理。

で、こういう人達は「払った分だけ元を取ろう」とするから、 病院にきてからのトラブル必至。

早く診ろとか。金払ってるんだから、それだけのサービスしろとか。

現場の士気はまちがいなく低下する。

「1回まで無料」ルール

  • 地域の住民に、1年間有効、1回限り使用できる「救急車利用券」みたいなものを毎年配る
  • 利用券は、お互いに交換したり、他人に券を譲ることも可能
  • 2回目以降、あるいは券を持っていない人が救急車を使うには、ある程度の金額負担が必要

「救急が崩壊しかかっています」とか、「利用を抑制して下さい」とかアナウンスしたところで、 しょせんは他人事。

共有地の悲劇というのは、みんなが共有地の崩壊に無関心だからこその「悲劇」。

前提としては無料を維持しながら、救急車の利用を抑制しようと思ったら、 こんな「1回まで無料ルール」の導入は無理だろうか?

「券」をもらったところで、ほとんどの人は救急車なんか使わないから、実質無意味。

本当の病人は自分の券を使うだろうけれど、たいていは家族とか、親戚とか、その人の病気の「重さ」を 理解している人がまわりにいるから、その人から券を融通してもらう。あるいは、医師の判断で、 病院、あるいは役所から券を新たに発行する。

で、救急車をカジュアルに使っちゃう人というのは年に何回も救急車に乗るのが前提だから、 嫌でも「次の機会」を考える。

今救急車を呼ぶのが本当に一番「いい」機会なのか。

2回目からは有料。考えるから、無料券は使わないで取っておこうという動機が働く。

報酬の即時性

共有地のジレンマ的な問題に対処する一つの方法が、それを利用する人に 「即時的な報酬」を付与すること。

未来に生じうる悲劇とか、みんなが救急車の利用を抑制した先に広がる「美しい国」とか、 「今ここ」にあるもの以外のもので人を説得しようとしても、みんなを納得させるのは無理。

たとえ意味がなくても、とりあえず「モノ」をあげて、「利用すると、これがなくなっちゃうんですよ」と やったほうが、ある種の人にはたぶん効果的。

経済活性化のために「インフレターゲットを設定しよう」なんていう意見があるけれど、 あれもまた、反応できるのは経済学に詳しい人だけ。自分も含めたほとんどの人は、 「そうなると、何がおきるの?」と他人事。

同じことをやろうと思ったら、たぶん貨幣の価値に「半減期」みたいなものを設定して、 「使わないで持っていると、お金の価値はなくなっちゃいますよ~」とやったほうが確実。

国滅ぶだろうけれど。

救急制度が吹っ飛んだ先にあるもの

救急体制が何とかなったところで、患者を受ける病院側には 何のメリットもないのだけれど、制度を維持する意味はある。

最悪のシナリオは、マスコミが救急隊を叩くこと。

たらいまわしの問題、搬送判断のミスみたいなものを叩いて、「救急車は信用できない」という 空気をマスコミが作り出したら、病院にはもう後がなくなる。

医者を叩きおこすのに最凶の方法というのは、「自分で直接病院に来る」こと。

救急車を使った場合は、それでも救急隊とのコンタクトが可能。専門外だったり、 自分達の施設で手に負えないようなケースは、他に行ってもらえる。責任は発生しない。

ところが、自分の足で来た患者さんに対してはルールが変わる。

アメリカンフットボールタッチダウンよろしく、病院の門をくぐった時点で患者さんの「勝ち」。 初診の人であろうが、専門外の患者さんであろうが、病院が責任を持って治療する 義務が生じる。

「駄目な救急隊は放っておいて、近所の病院に直接行きましょう」

こんなキャンペーンが張られて、民間の寝台タクシーみたいな制度が安価に開始されたら、 もう当直なんてできない。

救急を断ろうが、当直医が眼科だろうが、門をくぐった時点で生じる診療義務。 自分で治療できなくても、その医師には患者さんを専門病院まで搬送する責任が生じる。

そんな時代、リスキーな飛び込み患者の転院を受ける病院なんかあるわけないから、 当直業務は命がけ。

急患取った時点で負けどころか、泊まった時点で負け。

こうなると、もう内科なんかやる奴、絶対いなくなる。

その一歩手前、救急体制の崩壊を止めるのは結構大切。 お互い喧嘩している余裕、 ないはずなんだけれど。