正義の利権技術屋の利権

正義のお金の作りかた

  1. 正義の名のもとに、何でもいいから大きなものを揺さぶる
  2. 揺さぶられたものを一定の方向へコントロールする
  3. その方向が制御されていれば、その先にお金が降ってくる

ハコモノ利権。病院機能評価機構。

僻地振興を振興したい、あるいはだらしのない病院組織を監督したいという「正義」がまずあって、 それが議会とか、あるいは病院組織に揺さぶりをかける。

正義を制御できる人はいろいろ。政治家であったり、官僚であったり、あるいは弁護士であったり。 技術屋でないことだけは確か。

揺さぶられた先、「じゃあどうすれば正義はなされるのか?」という疑問には、 何故か最初から答えが用意されている。それが「ハコ」を作ることであったり、 国家の監督組織を作ることであったり。

お約束で、議会からは反対意見は出ない。みんな正義の仲間。お金は大事。

建物を作ろう、組織を作ろうという機運が(最初から)十分に高まった先には、 正義に参加したい人たちがたくさん待っている。

正義は成され、予算はばら撒かれ…。

で、世の中は何も変わらない。

正義は誰のものか?

医療裁判にだって利権めいた構造が透ける。

  1. 患者側弁護士は、とりあえず高額の慰謝料を請求する
  2. 世の中には「患者側を必ず勝たせる裁判官」という装置が存在していて、その人に必ず裁いてもらうよう、 訴状の動きをコントロールすることは可能
  3. 地裁レベルでは、患者側が勝つ。1億円の請求に、7000万円くらい勝てる。家族大喜び。 患者側の弁護士が弁護士報酬を手にする
  4. この裁判官の判決は、たいてい高裁レベルでひっくり返るのはみんな知っている。病院側が控訴すると、 患者側の逆転敗訴になり、賠償金は大きく引き下げられる
  5. 病院側の弁護士は、賠償金を引き下げることができれば、その引き下げた割合が報酬になる

行われているのは正義。その流れがコントロールできるなら、正義は利益を生む装置と化す。

弁護士は増える。「法律のパイ」というのは案外小さくて、企業の顧問弁護士とか、法律事務所の 専任弁護士の枠などは、もういっぱい。新しい人を迎え入れようと思ったら、こんなことをして、 パイを大きくしていかないと、喰いっぱぐれる。

訴訟は増え、正義は成される。なんだか誰も幸せになっていない気もするけれど、 正義を執行する側には、この制度を維持する大義も動機も十分。

身内を殺した張本人である医師と、「そいつは犯罪者だ」と声高に叫ぶ家族との争い。

「正義」という賞品をかけた争いは、いつも審判たる法律家の一人勝ち。

「審判」を入れた時点で負け確定。

少しくやしい。

「みんな」がいなくなった後

何か大きなもの、予算とか世論とか、「みんなの意見」を代表する何かが 正義に引っ張られて大きく動いた後には、何も無い原野が残る。

競争者がいなくなった場所。技術屋の利権はこういうところにあるんじゃないかと思う。

確信は無いけれど、皆の意見が単純な解答に収束する状況においては、 そこを外した「どこか」に利権が生じる。

集合知的な立場が正しいならば、同じ条件に皆が殺到しなくてはならない時点ですでに 何か間違っているのだが、あんまりこれに突っ込む人がいない。

地域医療はおしまい。救急はおしまい。産科はすでに滅んだ。

今、地域医療と救急を主にやっているけれど、そんなに滅んで無いし、がんばってもいない。 まぁ病院にはずっといるんだけれど。

それでも、昔は月10回だった当直はだんだん減って、今は月4回ぐらい。

昔は日が変わるまで帰れなかった病院も、だんだんと慣れてきて、 今はもっと常識的な時間に家に帰れる。

全体を見ると状況は悪くなっているように見えるけれど、もっと短い時間軸、 もっと小さな地域ごとにみていけば、「良く」なっているところと 「すごく悪くなっている」ところが混在しているだけで、みんなしぶとく生き残ってる。

いつか泣くんだろうけれど。

ネット時代が来る前。Win95 が普及する前までは、まわりなんか全く見えなかった。

インターネットを見るようになった10年前。掲示板を見るようになった7年前。 PDFなんて便利なフォーマットが あることをはじめて知って、論文をネットで検索するようになったのがそれから数年後。

まだ本当に最近のこと。

今は最初から「全体」が見えてしまうから、逆に局所が見えにくい。

もう1世代前の技術者は逆。全体なんか知らなかったし、局所を最適化して、その場を乗り切って 生き残るのが上手。

今の病院は自分が最年少。

僻地医療なんて悪い話ばかりだけれど、現場はブレていない。

技術継承とレッドオーシャンのジレンマ

大局を操作する正義の利権と、すばやさを武器にその場を生き延びる技術屋の利権と。

病院評価機構。産科事故の無過失補償制度。

「良さ」なんて相対的なものにものさしをつけたり、正しく行われるのかどうか分かるわけがないものに 「正しさを保証する」なんて主張してみたり。

お上は今日も、利権の確保に熱心だ。

  • 「正義」なんて相対的なものの絶対性を主張する、相対と絶対との差分の中に存在するものこそ正義の利権
  • 相対的に変化する「もの」に対してすばやく立ち回って、そのわずかな変化を全て利益に変えることが技術屋の利権

技術屋が正義に「勝とう」なんて思ったら、これはもうすばやく立ち回るしかないんだけれど、 技術の継承がきちんと行われないと、たぶん技術系の負けは確定。

技術屋には、それが生まれてから一般化するまでの第一世代と、それが一般化したあと、 「洗練の競争」を勝ち抜いてきた第二世代とがいる。

この道具はなぜこの形をしているのか。これを変えたときに何がおきるのか。

そういう逸話を伝えられるのは、第一世代の技術者の特権。

第二世代の人達も、もちろん師匠からそういう 話を聞かされただろうけれど、技術はもう完成しているし、 舗装されていない道なんかより高速道路のほうが早い。 そんなヨタ話に耳を傾けていては競争に勝ち抜けないから、 みんなムダというものがない。

西洋医学の業界は、第一世代の人達が、今50代。それより新しい世代の人達は、 みんな第二世代。自分は寄り道ばっかりしてきたから、第二世代の落ちこぼれ。

第一世代の技術者から受け継いだ技術というのは、遅い代わりに汎用性が高い。 いろんな失敗経験の上にある知識というのは、他の分野にもいろいろ応用が聞いて、相当便利。

第二世代の人から習うと、余計なものは身につかないから早いし上手。 その代わりに、汎用性がなくなってしまうから、必然的にレッドオーシャンでの競争から逃れられない。

正義を世界から追い出すために

道産子馬とサラブレッドの違い。

競馬場で走るのが嫌になったとしても、サラブレッドは足が折れると死んじゃうから、 農耕馬に転職することはできない。

若い専門家の人たちとか、みんなすごいな、うらやましいなと思いながらも、同時に大丈夫かな?と 思ってしまうこと、時々。考えていることに無駄がなさ過ぎて、なんだか折れそう。

無駄の無い生きかたを完遂するには、「世界は変わらない」という正義側の人達の前提にすがらないと いけないから、こういう技術者というのは、案外「正義」の側に立っていたりする。

法曹亡国とか、医療の崩壊とか、別に自分が楽しく忙しく働ければどうでもいいけれど、 他人のふんどしの中から勝手にお金をつかみ出す連中がいるというのがどうしてもむかつく。

技術屋さんがみんな一定程度の「幅」を持って、ブラウン運動みたいに中心を持たないランダムな 動きを繰り返して、正義なんて胡散臭いものが介入する余地の無い世界。

コミュニケーションコストがこれだけ下がった昨今、 正義なんかいらない世の中、作れないだろうか?