介護はこの先生きのこれるのか

現状と将来

  • 介護病棟は減っていく。現在25万床あるある介護病棟は、 2011年度までに15万床まで減らされる。行き場のない人が10万人増える
  • 福祉に回される予算は、減らされることはあっても増えることはまずありえない
  • 入院できる施設が作られたとしても、補助はないから高額になる。 人件費とか食事代とかを考えても、補助なしだと、月に20万円ぐらいもらっても、たぶん全然足りない
  • 家族の労働対価は、今後も「ゼロ円」として査定され続ける。タダより安いものはないのは真実

10年前から状況は同じ。

高齢の人が入院するとき、一番問題になるのは「行き場」がないこと。

介護の問題は突然やってくる。入院前までは家族の中で空気みたいな存在だった人が、 本当に些細なことで寝たきりになる。

寝たきりになった人は、「寝ている」という事実だけで、 残りの家族に「介助者」としての役割分担を迫る。

体験したことのない役割には、誰も覚悟なんかできない。大体2週間の入院期間。 家族だった人は急激に他人になり、「うちでは看られませんから、どこかの施設へ…」という 返事になることがほとんど。

「どこかの施設」なんか、どこを探したって満員。

これからは、その状況がもっとひどくなる。

「ハコの介護」のリスク

医療機関付属の介護施設とか、介護保険に乗っかった施設じゃなくて、 国の懐が痛まない、老人を収容してくれる施設を民間が作るというのは、 リスクが大きい。

  • 建物を作るのが難しい。補助が出ない割りには、 施設の基準だけはやたらと厳しいから、建築コストが膨大になる。 郊外型のショッピングモールみたいなわけにはいかない
  • 局所人口の増減は激しい。総人口の変化は穏やかだけれど、 市町村単位の人口変化は、3年ぐらいで激変する。 先が読めないから、設備にお金のかかる介護ビジネスはリスクが高い
  • そもそも対価が少ない。1枚の絆創膏を4つに切って使って、やっと赤字にならないぐらいの、 薄利多売の世界。 クレームひとつで100人分の利益が消し飛ぶ。中学生の万引きで本屋が潰れるのと同じリスク
  • 絶対に悪くなる人を看る商売だから、顧客満足度はどうやっても上がらない。クレーム対策必須

ハコを作って商売になるのは、高所得層向けの高級老人倶楽部みたいなものだけ。

もともと、老人保健施設というのは、そこそこ成功した私立病院の「道楽」で建設されたものが多い。

自分達の終の棲家とか、医師を引退したあとの引退先とか、理由はいろいろ。儲け度外視。

大手が大規模に展開して高齢者ビジネスを巨大市場に仕立てて…なんていうのは、たぶんありえない。

介護病床が減って、あぶれる10万人。高齢者人口が増えるから、本当はもっと多い。

そのうち1万人ぐらいは「民間」のお客になる可能性はあるけれど、 月に30万円ぐらい「ポン」と出せる人じゃないと、商売にするのは無理。

残った9万人、人口増加分足して、結局もとの10万人をどうするのかが、今後の課題。

残った人にサービスを供給するには

生活なんて、みんなぎりぎり。介護に新たな負担をするなんて、実際ムリ。 こんな層から何とか対価を集めて、ビジネスとして成立させる。

所得が比較的低い層を相手にして、競合者のいないサービスを展開するには、 以下のような注意が必要。

  • 価格を極端に低く、できればゼロにして、サービスからの対価は何か別の分野からもらう
  • 対価をなくすことで、有償サービスに伴う責任を回避する
  • システムの中に「すっぱいぶどう」を排除する機構を組み込む

サービスの中心になるのは、訪問看護と、ボランティアのネットワーク。 これを「無償」で行う。

会社が対価として得るのは、介護保険を通じて得た代金と、オムツなどの介護用品、 給食のサービス、生活必需品などを、訪問看護を通じて購入してもらった料金。

別の分野に競合者を求める

このサービスの本当の競合者は、スーパーマーケットとか、 コンビニエンスストアなどの流通業者。

病人を抱えた家では、誰かが買い物にいくのも困難だから、品物を選んでもらって、 これを配達するついでに、介護のサービスを一緒に提供する。

料金を無料に設定できれば、表面上の競合者である、その地域の訪問看護ステーションは全滅する。

地域の流通インフラを乗っ取れれば、広く、薄くのサービスが可能になる。

訪問看護の人を受け入れるというのは、その家の「ポートを空ける」行為。 家に何があって、何が足りないのか、その家の介護の問題点は何で、それに対してどういう商売が できるのか。そういったものは、定期的に訪問看護をすればすぐ分かる。

訪問セールスは、相手に「家のドアを開けてもらう」のが仕事の全てだけれど、 訪問看護の人達は、「介護」の一言でこれをクリアできる。

看護の知識を持った人というのは、病人を抱えた人にとっては一種の権威者だから、 そういう立場の人がものを売るのは、一般のセールスの人に比べて、相当楽。

無償ルールによる責任の回避

医療の分野は、「責任」がかかってくると天文学的なコストがかかる。

医療用の様々な物品は、市販の同等品に比べると、本当に高価なものばかり。 価格差のほとんどは、「信頼性」という万が一の時に備えたコスト。 中身の部品の性能自体には、多分そんなに大きな違いなんかない。

薄利多売でビジネス展開を挑むときには、「有償」による利益よりも、 「無償」によるリスク回避のほうが、より大きな価値が出る可能性がある。

このあたりはリスク回避の契約が本当に交わせるのかどうかで変わってくるけれど、 介護の世界というのは、有償の職員によるサービスよりも、 無償の職員によるボランティアのほうがうまく行くような気がする。

もちろん、無償なのは介護レイヤでの話で、他の分野から対価をもらう必要はあるわけなんだが。

「すっぱいぶどう」を排除する村八分システム

アメリカの民間健康保険では、「さくらんぼ摘み」という行為が横行した。

民間の健康保険は、始まった当初はけっこううまく機能した。 ところが新規の保険機構は、既存の保険者の中から健康な人を対象に、 よりよいサービスの保険を安価で 提供してしまい、もともとの良心的な保険には、病人しか残らなくなってしまった。 結果として、病人だらけの既存の保険は赤字になり、従来の金額を維持できなくなって撤退した。

集団の中で、より「よい」人達をターゲットに商売するときには、こうした「さくらんぼ」がどこにいるのかを 探す必要があるから、後発のほうが有利になる。

最初から第2グループをターゲットに商売を計画しようと思ったら、これとは逆の発想をする。

  • 最初から「おいしくない」人達しかいない業界には、競合者はいない
  • 一人から得られる利益がごく少ない業界では、「ただ乗り」に伴う不利益が非常に大きい

無償訪問看護のビジネスモデルというのは、たとえば1ヶ月に10万円分のサービスを無償で 提供する代わりに、その家から10万1000円の品物を買ってもらい、一軒1000円の利益を 地域ごと総取りしようというもの。

このやりかたには競合者がほとんどでないけれど、サービスだけ「もらいっぱなし」で、 生活雑貨を近所のコンビニで買われたりすると、1件あたり10万円の損益が出てしまう。

かといって、「月10万円の買い物」を契約すると、その時点で介護にも責任が発生する。

こうしたただ乗り屋を排除するための、「村八分」のシステムを最初から組み込んでおかないと、 たぶん失敗するだろう。

このために、「世間」というシステムを作る必要が出てくる。

「世間」を強制するボランティア

世間とは、社会を構成する個人をお互いに査定しあうシステムのことだ。

人が集まれば、そこに「その集団の中の平均的個人」とでも表現するしかない、 メンバーはかくあるべきといった不文律のようなものができて、 メンバーはそれから大きく外れないように しないといけない。

規則は明文化されてはいないけれど確実にあって、 これに抵触したと判断された場合は、問答無用に「世間」から排除される。これが村八分

「世間の不文律」は、外からは分からないし、作れない。企業の訪問看護の人は「外の人間」だから、 「世間システム」を動作させるには、どうしても地元の人の協力がいる。

具体的には以下のようなことを考える。

  1. 看護行為は地域のボランティアの人がやる。ボランティアは企業に登録していて、 訪問先までの交通の便を計ってもらったり、あるいは企業からなにがしかの対価を受け取ったりする
  2. 病人を持つ家庭と企業とは、ネットワークで結ばれる。 家族は「こういうボランティアがほしい」という依頼を 出して、一方ボランティアは「こんな家に行きたい」という要望を出し、両者が合致した時点で 訪問先に行き、家族の人を手伝う
  3. 家族とボランティアは、お互い匿名で、相互評価ができる
  4. 「ただ乗り」ばっかりだったり、あるいはボランティアに対する扱いが悪い家族は「嫌われる」。 申請を出しても、なかなかボランティアがみつからないから、排除されることになる

結局何をしたいのか

こういうビジネスは、大手の医療用品メーカーが参入できるかもしれないし、あるいは セブンイレブンみたいな流通組織が、あらたに介護分野に参入してくるときの 戦略に使えるかもしれない。

個人的にはどっちだって全然かまわないのだけれど、とにかく数年以内に何とかなってほしい。

今いる地域は土地が安いからなのか、急性期のベッド1床に対して、 慢性期のベッドが多分8床ぐらいある。老健施設の町。

これだけあると、救急車でくる高齢者を断らなくても、何とかベッドが回るし、 家族の人もすんなりと退院に同意してくれる。

前いた地域はもっと都市部だったけれど、もうめちゃくちゃ。

  • 主訴「食欲不振」を受けたら負け
  • 寝たきり老人を救急車から降ろしたら負け

医学的には「軽症」な寝たきり老人だって、病院以外の場所では生きていけない。

一生入院させて下さいとごねる家族と、そもそも入院の必要なんてありませんから…と説得する医者。 歩み寄るなんて最初から無理。ストレスいっぱい。

今いるのは小さな病院だし、何でも診なきゃ行けないから忙しいけれど、 「寝たきり老人の入院希望をそんなに断らなくてもいい」というだけで、気分的には本当に楽。

この地域ですら、もう近くの施設は身動きが取れないぐらいにいっぱい。患者さんの回転は だんだんと悪くなって、入院を取るのにストレスがかかるようになって来ている。

今度の「10万床削減計画」の煽りで、事態はもっと悪くなる。

何とかして、介護というものを何らかのビジネスにして、そこに多くの人を引っ張れないと、 老人というのが、本当に単なる荷物になってしまう。自分も年をとるし、 仕事柄、それは絶対にいや。

普通に忙しく働かせてくれれば、もうそれで十分満足なんだけれど。