NHK「日本の、これから」

総括

「医療、安心できますか?」という副題。

医療者、厚生労働事務次官、患者代表、メディアがそろう討論番組とあって、興味があった。

舞台立てとしては、真ん中に司会者、タレント、厚生労働事務次官氏、医師代表の本田先生、 医師会長、医療ジャーナリスト氏が集結。 それを取り囲んで、患者代表、地方自治体代表、医師代表がそれぞれ15人ぐらいずつ集まる。

結論は、厚労省の完全勝利。医師全面敗北。

  • 番組開始と同時にドレスコードの違いが目に付く。患者、医師、 司会者まで含め、登場者はみんなノーネクタイで、 ラフな格好。髪型もバラバラ。そんな中で、厚生省事務次官だけがネクタイにスーツ。
  • ホームページを見ると、司会者も普段はネクタイをしている。 今回のノーネクタイは、たぶん意図的なもの。
  • 番組冒頭、救急の話題。患者代表が「ドイツでは、開業医もみんな救急をやる。満足度は90%近く。 なぜ日本の開業医は救急医療に参加しないのか?」と、 いきなり外国の数字をあげて開業医を刺す。 医師側反論できず、画面には目線を泳がせる開業医の先生と、 「開業医」の文字が入ったネームバッジ。カメラマンはいい絵撮りすぎ
  • 救急の話題。事務次官が止めを刺しにくる。「日本の勤務医の先生方の頑張りには、我々は 本当に頭が下がる思いです。だからこそ…」。勤務医だけをほめ殺す。分断工作。
  • 中盤。産科医療の話題。「なぜ、日本の産科医が減っているのか?」 という質問。 「足らないんじゃない、婦人科だけやる医者ならたくさんいるんです」ジャーナリスト氏がすかさず、横から質問を奪う。 本来なら「たくさんとはどのくらいですか?」と反論しないといけない場面。医師側の反論なし。
  • 前半の終盤。医師代表の本田氏、いろいろなデータをあげて反論を試みようとするけれど、 途中でタレントが「私の家族の話では…」と、的確に話の腰を折る。 完成した議論をほとんど展開できず。
  • 後半開始。ようやく、医師側も議論のルールが間違っていることに気がつきはじめる。 ジャーナリスト氏が医師の意見と称して、「現場の意見では…」とミスリードを誘ったとき、 すかさず本田氏が「伊藤さんは勤務医じゃないでしょう。 我々勤務医はみんなうなずいて居るんですよ。 なぜ現場のことがわかるんですか、伊藤さんは。」と刺しにいく。 下品だけれど、これが本来求められていた戦いかた。
  • 終盤。医師代表本田先生、ようやく「厚生省の無策が医療をここまで駄目にした」 という論を張る。 地方自治体代表がそれに賛意。ところがその矢先、 厚生省事務次官氏が「地方公共団体の頑張りで地域医療が回っているのは、 我々も本当に頭が下がる思いです。 それを無駄にしないためにも…」すかさずほめ殺し自治体を刺す。 長い話なのに、司会者もそれを止めない。自治体側からの攻撃は、1回で沈黙。
  • 終盤。本田先生が何とか気を吐いても、多勢に無勢。番組のエンディングを締めたのは、 スーツにネクタイの事務次官氏。

誰が勝ったのかは明らかだった

ファシリテーターのいない議論=潰しあい

司会者の態度によって、議論というのはルールが変わる。

  • 結論があって、よりよい意見を求めるための議論では、正しい論を張る人が求められる
  • 結論のない、楽しい泥仕合の絵が欲しいだけの議論では、相手の意見を潰して、時間が終了したときに喋っていた人の勝ち

この討論番組のルールは後者。

参加者は、司会側、厚生省、患者側、ジャーナリスト、 医師の大きく5系統。

  • NHK の司会者は、明らかに結論の誘導を放棄していた。 医者側に問題提起から結論までを含んだ論理を展開されてしまうと、 後の話題が続かなくなるから、「空気の読めない人」としてタレントが呼ばれ、 論理が張られるたびに特攻してきた。 あのタレントの人は、「自分の仕事」を分かっていて、あえて突っ込んできていた。
  • 厚労省側には、たぶんPR 専門の会社が入っていて、想定質問のリハーサルをこなしている。 相手をほめて刺したり、医師側を分断したりするのは高度な技術で、 アドリブでやるのは無理。シナリオがあったか、少なくとも相手をきっちり潰す意図をもったやりかた。 医師側の想定したルールとは、あきらかに違った戦法。
  • 患者側、ジャーナリスト氏のいずれも、「番組のルール」をちゃんと理解してあの場にいた。 みんなバラバラに発言するだけだったけれど、医師側の発言を殺して、 ジャーナリスト氏の論をサポートする 役割は十分にこなしていた。
  • 番組前半の時点では、医師団は番組のルールを読み違えていた。 みんな、「相手の話をまず聞いて、それから 自分の論理を展開する」つもりでいたから、様々な立場の医師が片端から刺され、 発言できなくなっていった。
  • 医師代表の本田氏は、後半になって「下品な」戦略に転換して、 積極的にジャーナリスト氏を潰しにかかって いたけれど、その意図はたぶん、最後まで全ての医師には伝わらなかった。

たとえば、柔道の試合をやるつもりで会場にいってみたら、柔道着を着ている人なんて誰もいなくて、 みんな思い思いの凶器を持って、プロレスをはじめていたという…、 今回の番組は、そんなかんじ。

論旨はさておき、 事務次官氏の議論の技術はすごかった。たぶん、あの人はもっと下品な戦いも想定して 現場にきていたけれど、そういう戦いを予防する腕前があまりにも見事で、 誰も事務次官氏を刺しに行けなかった。

自転車置き場の議論

原子炉の建設のような莫大な予算のかかる議題については誰も理解できないためにあっさり承認が通る一方で、 市庁舎の自転車置場の屋根の費用や、果ては福祉委員会の会合の茶菓となると、 誰もが口をはさみ始めて議論が延々と紛糾する。(中略) FreeBSD のコミュニティでは、この現象は自転車置場の議論 (bikeshed discussion) として呼ばれている。 いやなブログ: 自転車置場の議論

今回の番組は、まさにこれ。

原子炉をどこに作るのか。本当にそれが必要なのか。代替案は何かあるのか。

そういったことを 検討するためにみんな集まったのに、市民団体は原子力発電所の自転車置き場の屋根の費用を論じ、 ジャーナリスト氏は発電所の外壁を彩るペンキの色の効果を論じた。

医師団は、原子炉の話をしようとしたけれど、その青写真を展開する前に、 タレントやジャーナリスト氏に図面を破かれてしまった。

NHK と厚生省は、問題の中心が原子炉だと分かっていたけれど、 たぶん分かってて議論が紛糾するに任せ、 最後の最後で「本当に問題を把握しているのは、厚労省だけ」というアピールをして、 番組を締めた。

そのための、会場でただ一人のネクタイ。政治集会のとき、ヒトラーだけがナチスの 帽子をかぶらないのと、意図するところは同じ。

政治家の討論番組では、みんなてんでばらばらに喋りだして、品のないことおびただしい。

でも、まずあれをやって、議論の場に党の政策を展開しておかないと、 議論が相手の土俵の上で進行してしまう。

俺の原子炉を見てくれ……こいつをどう思う?

医師代表の先生が「医師の考える理想の原子炉」の論を展開できていれば、後半の患者側からの 突っ込みは、全部この一言で返せたはず。ところが、論を展開するだけの時間は、 与えられないまま番組が終わってしまった。

第2ラウンドがあるとすれば

メディアと手を組んだ厚生省なんて、限りなく無敵に近い存在だけれど、 医師側ももっと品の無い戦いかたをしていれば、あるいは結果を曲げられたかもしれない。

  • チームプレーの徹底。ワールドカップのオーストラリア戦。ジーコジャパンは11人で戦ったけれど、 オーストラリアは最初から選手を入れ替えるのを前提に、「15人」で戦おうとしていた。戦略面では、 日本は最初から数の上で劣勢だった。今回の反省点もそれ。
  • 具体的には、善なる医師を代表する論を張るのは本田先生に任せ、後ろに控える医師は、 厄介な相手を潰す「悪役」に徹する。
  • 「開業医は救急やれ」といわれたら、「自分は年老いた両親を介護するため、開業しました…」 という老医師とか、「救急当直をしていた晩、父が亡くなりました。 生きていればあなたぐらいの年です」という 研修医とかがすかさず反論する。 たぶん、会場の全ての開業医は老親持っていて、全ての若手医師の両親は当直中に亡くなっていたり することになっちゃうけど、そんな些細なことを気にしてたんでは喧嘩に勝てない。
  • 「婦人科医はサボって産科をやらない」は、最初から想定されるべき質問。 婦人科の女医さんをメンバーの中にいれて、お腹の中に丸めたタオルでも突っ込んでおけば、 悪者になるのはジャーナリスト氏。女医さんが泣き出せば、たぶん二度と発言できない。 NHK も、まさか女医さんを捕まえて「スーツの腹をまくってください」とは言わないはず。
  • まともな論を張るのには、どうしても時間がかかる。 NHK 側は、相手を潰すために「高負担にあえぐ老人」とか、 「難病で苦しむ若者」を刺客として仕込んできている。 そういう人に「あなたが1ヶ月生きるのに何百万円かかるか、 知っていますか?」なんて身も蓋もない正論で反抗する、「空気を読まない若い医者」が、身体を張って 本田先生が攻撃論理を展開する時間を作る。
  • できれば、「医師会が考える理想の医療制度」みたいなものを立体もので作って、 会場の真ん中におく。 どかすのはNHK側の人物。 「NHKが医師の考えを排除した」みたいなビジュアルイメージを作れれば、つけいる隙が できるかもしれない。

いずれにしても、こんな番組は印象操作の戦いなんだから、 医師会ももっとPR の手段を考えてほしかった。負けっぱなしはとてもくやしい。

まじめ一辺倒なんじゃなくて、勝てないならば、まじめな議論をお笑いにしてしまうような やりかただってできたと思うし。