blogの書きかた

普段気をつけていることとか。

数字的なもの

XREAアクセス解析では、調子のいい日はこんな感じ。

リクエスト成功件数: 43,599 異なるサービスホスト数: 6,525 データ転送量: 1.00 ギガ (10億) バイト

ディレクトリごとのアクセスは以下のとおり。

リクエスト数: バイト数の割合 (%): ディレクトリ ------------: ------------------: 15708: 35.40%: /blog/ 8641: 16.90%: /man_2004/ 2353: 9.77%: /monitor/ 2374: 8.03%: /echo/ 1220: 7.82%: /stecg/ 3274: 6.39%: /kokyuukannri/ 871: 3.82%: /kidoukakuho/ 555: 2.36%: /wave/

サイトを作って大体5年。

平日はこのぐらいで、日曜日になるとこの2/3ぐらいのアクセス数。

総はてブ数が2000 程度の、 中堅どころのサイトで分かったこと、気をつけていること。

長すぎると読んでもらえない

文章は、あるていど短くしないと読んでもらえない。

普段はエディタで文章を書いていて、最初の段階では、 1 エントリーあたりだいたい6000 字から10000 字程度。

それを削って、短いのは3000 字後半、長いのは8000 字ぐらいにしてアップロードする。

文章を書いている側の感覚としては、「言いたいことを言った」と満足できるのが、 7000 字を超えたぐらい。 文章量が3000 字ぐらいになると、不安なぐらいに短く感じる。

どうやったらブックマークをもらえるのかというエントリーがいくつか出たとき、 「とにかく長い文章を書くとブックマークがつく」という指摘が出たけれど、そうでもない。

長い文章というのは、それだけ「思い入れ」は強い文章だけれど、 文字数が5000 を越えると、全くブックマークが伸びなくなる。

逆に、ブックマークが伸びて、人気エントリーに名前を載せてもらえるような文章というのは、 いつも文字数が3000 から3500 字程度のもの。

「なんでこれが?」と、書いたほうがびっくりすることは、結構多い。

エントリーを読む時間はだいたい4分

最近、googleアクセス解析を入れた。

これをみてみると、一つのエントリーに目を通す時間の平均値は、3分から5分の間。

エントリーを上げてから数日すると、この時間はだんだんと短くなって、2分ぐらいになってしまう。

たぶん、新しいエントリーをアップした最初の数日は、ほとんどの人が文章を最後まで読むのに対して、 数日経った文章というのは、書き出しがつまらなければ、すぐに閉じられてしまうのだろう。

自分自身、他人様のエントリーを読んでいて、同じ場所には3分といない。

普通の人の平均読書スピードというのが、1分間に800 字程度と言われている。

自分の読書スピードを計測すると、だいたい1分間に1500 字から2000 字程度だから、 3分間で5000 字前後。

忙しい人相手に最後まで読んでもらうには、「5000 字以下、できれば4000 字以下」 というラインを守らないといけないらしい。

「起」と「結」はいらない。

エントリーの中に「起承転結」を全部入れようとすると、3000 字では絶対おさまらない。 5000 字以内でも相当苦しい。

ある程度の物語の面白さを残しつつ、文章量を削ろうと思ったら、文章の導入部分と、 結論部分は省かざるをえない。

当然、文章としては未完成になる。

題名のあと、いきなりエピソードが始まって、作者が考えた内容がいくつか書き綴られて、 エピソードから導かれるテーマは、書かれずに終了。

3000 字で文章を書こうとすると、こうなってしまう。

少し前までは、こうした未完成品の文章を書くのには抵抗があって、 長くなろうが、面白さが落ちようが、導入と結論とを必ずつけていたけれど、 最近は考えが変わりつつある。

大切なのは「気づき」の過程やその感激を伝えることで、 一般化した結論なんかには、意味がないんじゃないか?

以前書いた「部長のみっともない治療」というエントリーに対して、 自動ニュース作成Fというサイトで、 「こんなにいい尽くされたテーマを言うために、このバカは何文字費やしてるんだ?」 という感想があったけれど、たしかにそのとおりだと思った。

演劇の世界では、演劇を通じて「テーマ」を伝えるという考えかたは前時代的な手法なんだそうだ。

世界平和とか、恋愛最高とか、そうしたテーマはもう言い尽くされてしまって、 主人公がそんな結論を叫んだところで、しらけるだけ。

テーマはもはや言い尽くされたけれど、それでも劇作家には「伝えたい思い」というのが まだいくらでもあって、それを観客と共有しようというのが、現代劇の思想なのだという。

結論とか、テーマといったものは、きっと読者の中に自然発生する。

「起承転結」全てのコンポーネントを文章の中に内包させることをやめて、 特に結論部分は読者にゆだねてしまって、その前の体験や発想の段階の ディティールを伝えることにエネルギーを使ったほうが、 blog の文章としては正しいような気がする。

出来の悪い完成品よりも、出来のいい未完成品を目指すような。

読者を信じる

昔、はてなブックマークを意識して書いてた頃の文章には、「このあたりを引用するだろう」という 思惑で、20字程度の「言いきり」の文章を入れてあった。

引用したいという心があれば、きっとブックマークもしてくれるに違いない…という 下心の産物だけれど、そうした部分のほとんどは、全く省みられなかった。

みんな、作者が思いもしなかったような場所を、「興味深い文章」として引用した。

読者は本当に多様で、多様な読者が集まってできた「集合知」の鋭さは、作者の想像を簡単に越える。

誰が、どんな部分に興味を持つのかなんて、本当に分からないし、 作者の思いいれなんて、読者になってくれる人には全然関係がない。

ステレオタイプ化した読者を想定して、 「あなたがた、こういった文章が好きでしょう?」なんて発想はたぶん読者を どこかで見切った発想で、それはあんまり正しくなくて。

作者が自分勝手に面白いと思ったことを書き散らしても、 読者はきっと、その中から作者が想像もしなかったような有益な部分を勝手に抽出して、 何かの結論を見出してくれる。

読者を信じるというのは、たぶんそんなことを信じることなんだと思う。