現実は夢

時を越える血統の力

みんな自分自身を信じられるほど強くはない。

だから、伝統を信じ、血統を信じる。 そして、未来を信じようと試みる。

成功する人、失敗する人。

「血統書付きの一族」というのは本当にいて、一族郎党みんな大学教授の一家があったり、 頭のいい人の息子さんというのは、やっぱり頭がよかったり。

成功するにしても、失敗するにしても、現在を耐えて未来につながるための努力が 必要なのは、どちらも同じ。

今の苛酷な生活というものが、先の見えない苦労なのか、未来へ至る途中経過なのか。

時を越えるために必要なのは、狂気をはらんだ空想の力だ。

未来への確信がある人というのは、現在を耐えられる。

ところが、何がおこるかなんて誰にも分からないから、「確信」なんて、現実には存在しない。

存在しないものを信じるためには、狂気の力を借りなきゃいけない。

そのよりどころになるのは、自分達が今まで歩んできた過去に対する、熱狂的な信頼。

「血統書つきの一族」の末裔というのは、信念の力がとても強いから、 未来を信じ、現在を耐える能力が高い。苦労を苦労と感じないから、行きつくところまで行ってしまう。

失敗するか、成功するのかは、最後のところは運。 努力は、突き詰めるほど極端な結果を招く。努力しつくした人の末路は、大成功か、大失敗か。

そこまで努力を突き詰める人はほとんどいない。普通は「そこそこ」で止めておく。 結果として、「血統書」を持った人の身内というのは、やっぱり大成功する確率が高くなる。

大学の持つ歴史の力

大学医局。

あの建物の古さ、働きにくさ、時代の変化に対する頑固さというのは、 変わらない未来を信じられる原動力になる。

医局の歴史というのは、大きな大学ならば100年に近い。

歴史には力が蓄積する。

変わらない体制を批判して、体制を変えようと努力して、最後に体制に屈服して。 変わらない歴史を受容することで、その人は時を越える力を得る。

みんな大学病院を批判しながら、それでも大学医局に入局する。

研修システムだけで見れば、民間病院のほうが優れているのに、 大学には凄い医師がいる。

変わることのない、蓄積した歴史の力のなせる業だ。

祭りを放棄した大学

大学が合理化しつつある。

この数年、教授回診も簡素になったし、研修医にも親切になった。 サービスの向上とか、きれいな建物とか。民間施設を見習った「改革」が打ち出されている。

「改革」の結果、研修医は大学離れをますます加速し、 中の人も元気を失っているように見える。

「祭り」と「政(まつり)」とは、どちらが欠けてもうまく回らない。

  • 祭りとは、過去の伝統を保証して、そこから演算した未来への確信を深める手段
  • 政りとは、未来に至る道筋をどう乗り切るかという、現在を生きる実践の知恵

過去と現在。2つの点が決定されて、進む方向は初めて見えてくる。

過去を反省して現在を改革しようとする人達は、施設に伝わる「祭り」を壊そうとする。 それがどれだけ犯罪的なことなのか、絶対に分かっていない。

夜の夢こそ真実

まっすぐ細い道を歩く。

部屋の畳のヘリを歩くのか、落ちたら死ぬ高さにある細い棒の上を歩くのかでは、 意味あいは全く異なってくる。

それでも、人体の動作としては、両者は同じ。たとえ状況が危険であっても、 「危険である」と意識が認識しなければ、現実問題として危険は生じない。

畳のヘリを外す人はいない。認識さえされなければ、高さがどうなろうと一緒。

現実なんて、意識の見る夢にしかすぎない。

先の見えない絶望的な努力だって、それを絶望的だと認識しなければ、 未来に来るすばらしい結果に至る通り道にしかすぎない。

夢は現実を変える。

働きにくい、古い施設の強みというのは、なんといってもその働きにくさ、 古さそのもの。

世間一般的に「悪さ」に見える要素を、考察なしに消してしまってはだめだと思う。