疫病のこと

ほとんどの病気は他人には伝染しない。

針刺しなどによる感染の危険というのはあるけれど、 医者の仕事というのは見た目以上に安全だ。

自分自身は安全地帯にいて、そこから病気に対してできることをやる

これが医者の仕事の基本。

伝染する病気を診察するときは、この「基本」が簡単にひっくり返される。

大前提として、疫病は医者にもうつる。最悪死んだりする。そのくせ、病気に対して医者ができる ことというのはそんなに多くなくて、薬も内服薬ばかり。

人から人に伝染する病気に対しては、極端な話医者なんか必要ない。 内服薬を飲んでもらったら、あとは現場に突っ立っているしかない。残るのは、 感染のリスクだけ。

仲間が倒れるのは怖い

麻疹が流行したのは研修医の頃。

子供の頃にみんな予防接種をする病気だけれど、その効果は20年ぐらいで減弱する。 本格的に流行する年は、成人でも発症する。

成人の麻疹は怖い。40度近い熱が出るし、脳炎に発展するケースもある。 感染した人に言わせると、そのつらさはインフルエンザの比じゃないらしい。

麻疹は空気感染する。だから、入院した患者さんは、個室へ隔離する。

医者は一応感染対策をする。けれど、普通の病院には陰圧室なんてないから、やっぱりうつる。

仲間が倒れるのは、本当に怖い。

自分達は普段、病気になった人しかみない。病気になった人の健康だったときなんて、 知らないから、冷静に診療ができる。

同僚が病気になると、その人が健康だったときと、つらそうに横たわっているときとの ギャップがイヤというほどよく分かる。麻疹は体中に発疹が出たりするから、なおさら身にしみる。

当時、200人ぐらいの職員がいる病院で、1回の流行で、感染して入院した人2人。

わずかに1% の感染率。

研修医を振るえ上がらせるには、それで十分だった。

知らないということはそれだけで怖い

市内でのHIV 症例の第一例目は、自分が当直の時に肺炎で来た人だった。

若いのにやたらと具合の悪い人が来て、酸素濃度を何度測定しても、 「本当?」というぐらいの悪い値。

本人は顔色のわりに元気そうだったけれど、今から思えばタイから来た人だったから、 気合で何とかがまんしていたのかもしれない。

もちろん入院。夜中に人工呼吸器をつないで、朝の申し送りへ。

これ、カリニ肺炎じゃね?

翌朝、アメリカ帰りの感染症科の先生に指摘されて、ぞっとした。

今から見ると単なる笑い話だけれど、当時はまだAIDS なんて遠い国の話。 自分の病院に来るなんて考えてもみなかったから、前夜は観血的な処置をやりまくり。

ガス取ってA line いれて、たしかスワンガンツカテーテルまで入っていた気がする。 当時はなんだか、そういうのが楽しかった頃だったから。

HIV 対応用の施設は、当時の市立病院。

うちみたいな私立の病院は、そもそもこうした疫病に対応する病院には指定されていなかったのに、 その施設は引取りを拒否。

「法律上はうちに決まっていますが、まだ何の準備もできていないので…。」

市内では引き取ってくれず、県内の大学病院にかけあっても、やはりダメ。 せめて移動手段の確保だけでもと、救急隊にあたったときも、 「やったことが無いから分かりません」とつれない返事。

法律はできていたけれど、実際にそれを運用したことのある人がいなかったから、 現場は全く機能しなかった。

結局、当時未発売のST 合剤の注射薬をどこからか譲ってもらって、 その人は成田経由で本国送還になったはず。

当時から、HIV はめったなことでは感染しないと分かってはいたけれど、 それでもやっぱり怖かった。

たぶん、他の施設の先生がたも、みんな怖かったんだと思う。

なにせそれまでは、誰もAIDS なんて見たこと無かったんだから。

ベテランがいない現場には保証が無い

結核アウトブレイクというのは、いつも見逃しから始まる。

高齢者の肺炎。若い人の不明熱。よく分からない症状で発症した人を 調べてみて、あるいは何の疑問も持たないで治療したのによくならなくて、 どこかのタイミングで喀痰を検査すると、 「ガフキー陽性でーす」なんていうコメントが返ってくる。

結核は空気感染する。この時点で、患者さんが大部屋でゴホゴホ咳こんでたりすると、 病院中が大騒ぎになる。

昔地方の病院で一人内科をやっていたとき、人工呼吸器が必要なぐらい悪い肺炎の人が、 結局結核による肺炎だったことがある。

ICU だから、そこら中重症だらけ。呼吸器ついてたから、患者さんの呼気はダイレクトに ICU中にばら撒かれていた。当然、自分達も看護婦さんも、その空気吸いまくり。

人工呼吸器の呼気フィルターなんていうハイカラなものが普及したのは、 アルカイダ炭疽菌を撒いてからのこと。当時はそんなもの無かった。

結核の対処のしかたは、教科書に書いてある。

とりあえずみんなにマスクをしてもらって、呼吸器には自作したフィルターをつけて。 接触のあった人にはツ反をしてもらったりしたけれど、 病院内で内科は自分だけ。

困ったのは、その対策だけで本当に大丈夫なのか、その保証ができないことだった。

成功、失敗を含めた様々な経験をしたベテランと、教科書上の知識しかない初心者とでは、 「最適解」を発見するアルゴリズムが全然違う。

ベテランの解答というのは、網羅的な探索の結果だ。

ベテランは、過去のあらゆる事例を探索して蓄積しているから、その回答というのは、 最適解となることが保証される。

初心者には経験が無いから、そうした探索ができない。

そのとき思いついた、限定的な選択肢の中からしか最適解を選択できないから、 その解答が本当にベストな回答であるのかどうか、保証することができない。

疫病対策の基本は予防だ。

予防というのは結果が返ってくるのが遅いから、 経験から学ぶのがとても難しい。

「せめて誰か、ベテランの専門の先生を紹介して下さい」

結核の発生を報告して、保健所サイドも専門施設への転院を約束してくれたけれど、 保健所はやっぱり5時までしか働かないから、転院先が決まらない。

で、せめてベテランによる保証を…と頼み込んで来てもらったのが、 保健所嘱託の、60 すぎの医師。

状況を説明したあとの返事はシンプルだった。

爺医:「先生方頑張ってるみたいだから、きっと大丈夫じゃないですか?」 一同:(゚Д゚)ハァ?

ベテランならではの言葉の重みとか、経験の厚みとかは全く無い、本当の他人事から出た言葉。

マスクをどれぐらい用意せよとか、この対策で、感染可能性はどのくらいかとか、 なによりも自分達がやってきたことというのは、どのくらい確かなことであったのかとか、 そういう評価は一切なし。

みんな唖然としているところで、「じゃあ、5時なんで帰ります」と。 こんなところだけは、たしかに筋金入りの保健行政官だった。

行政の人達はたぶん、この世の終わりが来たって、5時になったら家に帰る

自分の行動を保証してくれるのは、自分自身か、自分のまわりの人達だけ。 手の届く範囲で何とかするしかない。

敵は病気だけではない

タミフルが発売される少し前、県内でインフルエンザが大流行した年があった。

若い人達は、例年どおりの感染で収束。この頃はまだシンメトレルもよく効いたし。

問題になったのは、細菌性肺炎を合併した 高齢者が、大挙して入院したことだった。

今は飽きちゃったけど、当時はまだまだ人工呼吸器に狂ってたから、 呼吸不全を合併した人は大歓迎。

当時院内にあった人工呼吸器は12台。それらが全て出払い、 患者さんはそれでも来たから、あとの人は睡眠時無呼吸症候群用の簡単な呼吸器を改造して、 急ごしらえの呼吸器をでっち上げて対処した。

怪しげなパーツを、ダクトテープでグルグル巻きにした呼吸器。 今やったらきっと犯罪だろうけど、当時はまだおおらかなもんだった。

病院中呼吸器だらけになったころ、市の保健所からこんなお達し。

今後流行してくる肺炎患者に対処するため、県内の全ての呼吸器を県の管理下に置き、 県立病院へ集約することになりました。 つきましては、○○病院の人工呼吸器のリストを提出の上、呼吸器を速やかに保健所に提出して下さい…

県立病院なんて、他の施設の1/3 も救急取らないから、まだベッドはガラガラ。

要は、「県もまじめに対策してますよ」というポーズをとりたくて、 県立病院に大量の人工呼吸器を徴発して、「本気度」をアピールしよう… という腹だったのだろうけれど、こちらは大迷惑。

そもそも空いてる呼吸器なんて1台も無かったけれど、行政は現場を見ないで数字だけ見る。

現場が鉄火場になればなるほど、お上に伝わる情報の量は減るから、 行政からは戦ってる現場の足を引っ張るような提案がどんどん出てくる。

問題を避けようと思ったら、とにかく情報を上げて、それも役所の規格にそった フォーマットで報告をしないと伝わらない。本当に何とかしてほしい。

緊張状態は飽きる

SARS が流行したのは、2003 年のこと。 結局8000人あまりが感染して、700人強の人が亡くなった。

当時はまだ大学病院。陰圧室を備えた感染対策ベッドは、 県内では大学に2床あるのみだったから、もしも感染者が出たとしたら、 間違いなく大学に運ばれてくる状況。

主治医は当然、内科の誰か。

さすがに研修医を盾にするわけにはいかないから、フロントラインに立つのは 中堅どころの内科医数人。その数人に入る可能性、けっこう高かった。

ネット時代。情報は毎日のように入ってくる。

今日はベトナムで何人亡くなったとか、 ガウンと帽子と手袋は3 つ全て着けてないと感染するらしいとか、 飛沫感染と言われているけれど、どうも空気感染するケースもあるらしいとか。

毎日のこうしたろくでもない話に、みんな緊張した。

ところが、緊張状態には「飽き」がくる。 そもそもの日常が忙しいから、いつ来るか分からない災厄のことを 考える時間なんて、そんなに多くない。

あれこれ相談したのは2 週間ぐらい。以降、SARS の話題は下火になった。

(´・ω・) 「どうする? 死ぬよ? 月収10万ちょっとの保証なしで、命張る?」 (・ω・`) 「でもきっと、なんとなくみんな残って、誰か感染して、死んじゃうんだろうね…。」

当時のみんなの覚悟は、こんな感じ。

本物が来たとき、「なんとなく働いて、なんとなく死ぬ」なんてことが本当にできるのか?

今でも分からない。

指揮する人に必要な資質

疫病の治療というのは、たぶん本物の戦争に限りなく近い。

医療者は、病気のほうから反撃される。殺らなきゃ殺られるどころか、 感染症を封じ込めたって、医療従事者は感染する。

そのくせ医者にできることなんてあんまり無くて、せいぜい点滴をつなぐぐらい。

食事と内服ができる人なら、主治医なんてただのマネキン人形だってかまわない。

こういう状況で働きつづけるのは難しい。現場を指揮する人に資質が無いと、たぶん無理。

生きる死ぬの現場で「指揮ができる」ために必要な資質というのは、 たぶん以下の3つのなかの、どれかを持っていること。

  • 安全を確保するための「陣地」を作れること
  • 仕事をやるのに必要な物量を推定できること
  • 兵隊を安心させる「物語」を作り出せること

陣を張る

陣地を作る能力というのは、その場にある材料を使って、感染症と戦うための 「説得力のある場所」を作り出す力のこと。

たとえば、カーテン1枚を張るだけで、感染確率をどれだけ減らせるのかとか、 患者さんのベッドの周囲にブロックラインを引いて、「このラインから外で動けば、 感染の確率はほとんど無い」と、説得力を持ってみんなに宣言できるとか、そういう能力。

カーテンを引くだけ、床にガムテープで線を引くだけなら、誰だって出来る。 大事なのは、その行為にどれだけの説得力を持たせられるか。

軍隊は、そういった資質の無さを、ユニットごと移動するという方式で回避している。

米国陸軍感染症研究所(USAMRIID)が感染症対策に乗り出すときなんかは、 隔離室から検査室、兵隊の宿舎に至るまで、必要なものは全部ユニット化して持っていく から、「やりくり」が必要ないようにできている。

「その場にある物をやりくりする」能力を身につけるには、 たぶん実地で経験を積むしかないから、難しい。

一度成功した陣さえ張れれば、みな安心する。

この人の作った環境ならば、安心して仕事ができる」とみんなが思えれば、 士気は高まるし、なによりも安全に仕事ができるようになる。

兵站の問題

物量の確保は大事だ。

予防衣は何着ぐらいあればいいのか。 マスクはどのくらい発注しておけばいいのか。感染症対策も、忙しくなればなるほど 物量は不足して来るし、それを読めない人が上に立つと、現場が荒れる。

とにかく嫌なのが、ガイドラインを作っている偉い人達に、 そうした兵站で苦労した経験がないことがあからさまなこと。

結核の人を診ているときに困ったのがこれで、経験が無いから、 発注量をどれぐらい見込めばいいのか分からない。

その病気は大体どのぐらい続くから、ベッド1床あたりこの程度の備品を用意すれば、 たぶん今シーズンは乗り切れます。

兵站を読む能力というのは、ある程度の未来の予測ができるということだ。

同じ悪い状況であっても、先が見えると、それに耐える力は圧倒的に強くなる。

発言の精度なんて誰も気にしない。

緊急事態の時に、 「予断」や「見込み」をしゃべることというのは、 日ごろ「権威」といわれている人達の義務だと思うのだが。

物語の力

私はどんな人にも区別なく満足な医療を提供したい そのために医師として2つのことを大切にしたい どんな障害にも屈しないことといつも患者の傍らにいることだ

SARS で命を落とした医師、カルロ・ウルバニの言葉だ。

ウルバニは患者の傍らに居続け、どんな生涯にも屈しないという信念を持っていた。 新型肺炎に関しても、自分の信念に基づき、命を落とした。 彼の命と引き替えに、世界は新型肺炎に立ち向かうことができたのである。 SARSと闘った男~医師ウルバニ 27日間の記録~

感染症の専門の人が見れば、亡くなったこの医師の行動というのは必ずしもベストではなくて、 たぶんこの人が死なずに帰還していれば、もっと的確な経験を中央に伝えることができたはず なんだけれど、それでもこの人の物語を批判しちゃいけない。

SARS の時の医療従事者の行動とか、あるいは中国の救急隊の人達の行動というのは、 もう理屈では説明できない。義務を通り越して、宗教的な情熱で、現場で働く。

SARS 収束後のインタビューなんかを見ると、彼らを動かしていたのは、 「祖国のため」とか「人類のため」みたいな、平時なら笑っちゃうような 安直な物語の力であったのだという。

中国だけに逃げ場なんて無いだろうし、現場から脱走したって病院の外には軍がいるから、 たぶん現場に止まって働く以外の選択肢なんて、最初から無かったんだろうけれど。

洒落にならない疫病のパンデミックみたいな、本当の緊急事態の時には、 経済学や生物学の世界でいわれるような、「利己的行動の結果生じる利他行動」なんかでは 説明できない、本当の利他的な行動をおこす人がいる。

911 の時に崩れるビルに突入していった消防士とか、あるいはSARS で亡くなった カルロ・ウルバニみたいな。

こうした人達は、英雄幻想という物語に「酔って」いる。

酔っ払っているから無茶ができて、またその行動は、あと知恵でイヤミな見かたをすると、 必ずしも本当に正しい行動では無かったりもするのだけれど、それでもそんな人たちが 一人もいなかったのならば、今ごろはもっと多くの犠牲者が出ていただろう。

ネットワークは、情報の伝達に大きな力になる反面、 こうした「物語」の力を破壊してしまう。

疫病対策の現場なんて、「自分は止まって頑張ろう」という思いと、「逃げよう」という思いとの 戦いの場だ。

ネット上で「止まる奴がバカ」とか、「俺もう逃げた」みたいな意見がたくさん出れば、 前線に止まって何とかしようと考える医師の意志は、もう崩壊寸前に追い込まれる。

破壊されかけた物語の説得力を維持するのもまた、現場の指揮者の仕事だ。

指揮官が、保身だけはかりながらギャーギャーいうだけの人ならば、みんなその人よりも、 医師のコミュニティの意見のほうを信じるだろう。そんな病院からは、間違いなく人がいなくなる。

指揮する人の人間性が、そうした噂話のネットワークの力をひっくり返せるぐらい魅力的な ものであるなら、どんなに厳しい状況であっても、人はきっと集まる。

「熱い」人と「暑苦しい」人とは違っていて、同じく「頭がいい」人と「頭がよすぎる」人とも また違っていて、熱意や頭の回転だけでは人はついてこないんだけれど、 たぶんどこかに最適なバランスというものがあるはず。

鳥インフルエンザのこと

このところ鳥インフルエンザの報道がだんだん増えてきていて、 これが大流行する可能性が、増している。

スペイン風邪の例もあるから、鳥インフルエンザが変異して、世界的に 流行するというのはファンタジーじゃなくて現実問題なんだけれど、 対策が進んでいない。

うちの県で、感染症ベッドは全部で8床。結核病棟を全部入れるとその10倍ぐらいにはなるけれど、 たぶんそれでも全然足りない。

スペインかぜのときは、感染者6億人、死者4000~5000万人。

日本だけでも当時の人口5500万人に対して、39万人が死亡しているから、 死亡数を当時の1/10ぐらいに 抑え込めたとしても、やはり相当な数が亡くなるだろう。

感染を抑えるためには鉄道や道路は封鎖されるだろうから、対策は自治体ごととか、 最悪病院ごとに勝手にどうぞ、という話になりかねない。

インフルエンザはしょせんはウィルスだから、極端な話2ヶ月間だけ自分の部屋に引きこもっていれば、 それだけで感染を免れる。

実際のところ、医者が現場に立とうが、自宅に引きこもって薬だけ渡していようが、 トータルの死亡数もきっとそんなに変わらない。むしろ、感染終了後の合併症治療のためには、 その時点で元気な医者がいっぱいいたほうが、救える患者さんの数は増えるかもしれない。

行政と医者、あるいは患者さんと医者との信頼関係がとことんまで破壊されている現在、 医師のコミュニティの流れは、「僻地に止まる奴はバカ」で一致している。

鳥フルが蔓延した時、患者サイド、行政サイドが要求するのは、「そこに立って、我々のために 英雄らしく死んでくれ」だけれど、 医師のコミュニティで広まる意見は、「下らないことしないで、さっさと逃げましょう」だろう。

近未来に本当に鳥フルが流行したとき、たぶん全ての医師はこうした 両極端の思いに引っ張られて、試される。

自分がそのときどっちの決断をするのか。実際のところ、どのぐらいの医師がとどまって、 どのぐらいの医師が持ち場を離れるのか。

正直全然分からない。