医師の相互評価は不可能だろうか?

医師の技量によって、診療報酬に差がつくらしい。

「医師の技量で診療報酬に差 次期改定へ提案目指す」 (毎日新聞 7/25) 厚生労働相の諮問機関、中央社会保険医療協議会は今月末から、 医師の技能に応じて診療報酬にランクをつける検討を始める。 手術のうまい医師の収入をアップさせる競争原理の導入で、個々の能力を高めるのが狙い。 医師側には能力評価への拒否反応が強く、どのように、どこまで差をつけられるかなどが課題になる。

お上のやりたいことは、たぶん2つ。

  • 国民が「上手な医師」にかかれる機会を増やしたい
  • トータルの医療費は抑制したい

医師の能力評価を行うことについては、現場からの反発は必至。

それでも、目標を実現したいだけなら、迂回路はあると思う。

ネットワーク化した集団を分ける2つの方法

ネットワークは、個々の「ノード」と、 それぞれを結ぶ「関係」の2つから形成される。

ネットワークを2つに分けるための方法というのは2つ。

  • 各ノードを査定するルールを作って、ノードを一つ一つ分別していく
  • ネットワークが置かれている環境自体に手を加えて、各ノードが分離するようなルールをつくる

たとえばミルクコーヒーというネットワーク。コーヒーの分子と、ミルクの分子という2種類の ノードが、お湯に溶けた分子間の関係を維持して混在している。

これを「コーヒー」と「ミルク」とに分離させようと思ったら、2つのやりかたがある。

1分子ごとに気合で分別して、2つを強引に分離してしまうのは、ノードに注目したやりかた。 温度変化や重力といった、2つの物質の差を際立たせる環境を導入するのは、ノード間の関係に注目するやりかただ。

どちらの方法が優れているのかは、ノード間の関係の強さに依存している。

ノード相互の関係性が非常に弱い場合、たとえばお湯に溶く前のコーヒー粉末と、 粉ミルクの状態であれば、 ピンセットとルーペ片手に完全な分離が可能になるし、分離したものはそのまま混ざることはない。

ノード間の関係が強い場合、コーヒーとミルクをよく混ぜて、お湯に溶いてしまったあとなら、 何か別の方法を考えたほうが速い。カップの中の分子の分離に成功したとしても、 10分もすればまた混ざってしまうだろう。

マクスウェルの魔物

上手な医師と、そうでない医師。

2種類の医師というのは、今の世界では区別されず、混在した状態で仕事をしている。

人は誰もが単独では存在し得ず、社会を作る。人の作るネットワーク環境では、 各ノード間の関係は非常に強い。

医師も同様。誰かが「上手い」と査定されたら、回りの誰かは「俺もだ」と思うかもしれないし、 他の誰かは「なんであいつが?」と思うかもしれない。

ネットワークという環境では、各ノードに作用した力は、必ず周囲に波及する。

混在したノードを区別するためのエネルギーは、ネットワークという系 自体をも変化させてしまう。

「医師を区別したい」という個々のノードに対する欲求と、「医療費を抑えたい」という ネットワーク全体に対する欲求とは両立させるのは難しい。

何らかの方法で医師を査定することは、原理的には可能。

ところが、それが医者のやる気を引き出して、 ひいては医療費抑制につながるのか。その予測はほとんど不可能で、 たぶん厚生省の思惑どおりにはならないだろう。

おまけにこの方法は、「悪役」が誰なのか一目瞭然。

査定される医師からは、「魔物」の姿が見えるから、 査定される恨みの持っていき場所ははっきりしている。

業界の雰囲気だけは確実に悪くなるだろう。

ノード間の関係に注目するやりかた

医者全員を試験にかけなくても、「上手な医者」と「そうでない医者」とを区別する方法がある。

この方法は、医師一人一人を査定しているわけではないから完全ではないけれど、 できる医師のやる気をそこそこ引き出して、医療費を抑制するという結果自体は コントロールしやすい。

ルールは簡単。

  1. 医師は全員、診療報酬を1ポイントずつ削られ、それを自分が「この人は仕事ができる」と 考える誰かに投票しなくてはならない
  2. 投票自体は匿名で、誰が誰に投票したのかは厚生省しか分からない
  3. 自分に投票するのはダメ
  4. もらったポイントに比例して、診療報酬が上乗せされる

要は「できる医師」を、医者同士に互選させるだけ。

このやり方は、「友達の少ない名医」は損するだろうけれど、たいていの場合は上手くいく気がする。

考えられる攻略方法

まず、医師は全員1ポイント分だけ診療報酬が減らされるから、ポイントを上手く配分しないと 損失はとり返せない。

普通に考えられるのは、一番忙しい医師に、全ポイントを集中すること。

民間病院なら、たとえば病院内で一番症例数の多い外科医に「エースナンバー」を与えて、 院内の医師全てのポイントを一人に集中させるとか、 あるいは外来が一番込んでいる消化器内科にポイントを割り振って、診療報酬の 減額分を内視鏡の症例を増やして取り戻すとか。

大学のようなところなら、偉い先生に多くのポイントが集まるかもしれない。

ところが、あまり医療行為をやらない医師にポイントを集中すると、 病院はそれだけ損をする。ポイントを誰かに集めたならば、その人に一生懸命第一線で働いて もらわないといけないから、結局は「偉い先生」にかかれる機会が増えるだろう。

いずれにしても、働くのは経済原理だから、「働く医者」にポイントが集中しないと、 病院としては損をする。働く医者、患者さんが多くついている医者というのは、 かなりな確率で上手い医者だから、このシステムは上手くいく。

単純なルールだから、当然「穴」はある。

たとえば、1日に20人近くの手術をする眼科の先生がエースナンバーをもらったりするのは、 なんとなくずるい気がする。このあたりは、「禁じ手」を個別に作って対応できるだろう。

ルールの結果得られるもの

医師の査定を通して、得たい結果というのは2つ。

  • 患者さんが「上手な医者」にかかれる機会を増やす
  • 総医療費を抑制する

前者の目標に対しては、このルールにも穴がある。

たとえば、いろいろな患者さんを紹介してくれるような、 「友達の多いヤブ医者」も、もしかしたらポイントが稼げるかもしれない。

ところが、そういう医師は、自分の手に余る患者は、上手な「友達」にすぐ投げるから、 結果として患者さんが上手な医者にかかれる可能性が増える。

ノード間の関係を変えるやりかたというのは、査定が正しく行われているのかどうかはともかく、 得られる結果は案外正しい。

医療費については、かなり正確な予測が可能だ。

医師から公平に剥奪する「ポイントあたりの診療報酬」と、ポイントを獲得した医師に対する 報酬との間に差をつければ、トータルの医療費がどの程度抑制されるのかを読むのは可能だ。

最初の1年は、もしかしたらあまり医療費は下がらないかもしれないけれど、 データがそろった2年目以後は、 相当正確な「読み」が可能になるだろう。

ボトムアップの世界に魔物はいない

「ノード」に触らずに「関係」のみを変化させるこうしたやりかたには、 悪役が存在しない。

このやりかたを駆動するのは経済だから、 エースナンバーをつけられた医師は必然的に忙しくなる。

忙しい「上手な医師」と、そうでもない「そうでもない医師」とに区別されるから、 医師一人一人を査定するやりかたよりは、不公平感も少ない気がする。

ルールが簡単で、そこから発生する解答例だけが複雑に展開するやりかたは、 プレーヤーにとっての最適解が分かりにくい反面、 管理者が結果をコントロールするのは楽だ。

みんなが管理者の裏をかこうとして知恵を絞る余地があるから、 医師全員に試験を課すやりかたよりは、たぶん厚生省が恨みを買うことも減るだろう。

ポイントというのは一種の通貨として機能するから、 たとえば学会の長老先生達のポイントを貯めておいて、 優秀論文や見事なライブ手術の商品として授与するとか、 いろいろな使い方もできるかもしれない。

完全な方法なんてないし、自分の考えがいたらない欠点というのもあるんだろうけれど、 目標が患者利益と医療費抑制だけならば、案外上手くいくんじゃないだろうか?

厚生省の目標が、単に「天下り先を増やす」だけなら、そもそもこんな方法、論外だろうけれど…。