正直さと即興性

料理人や大工仕事、手術や心カテに至るまで、様々な職人仕事には、 「正直さ」に優れた人と、「即興性」に優れた人とが存在する。

菓子職人の正直さ

たとえば、同じ料理人であっても、菓子職人の凄さと、出張料理人の凄さとでは 意味あいが異なるんじゃないかと思う。

NHK の番組に出ていた 菓子職人、杉野英実氏がフランスの菓子工房に弟子入りした際、 もっとも驚いたことが「当たり前のことしかしていなかったこと」だったという。

素材を一つ一つ検品すること、お菓子の焼き時間を秒単位で守ること、 お菓子に染み込ませるお酒の量をグラム単位で守ること、 隠し味に使うショウガを2ミリに切りそろえること。言葉にすると、どれもあたり前のこと。 しかし、毎日数百ものお菓子を作り続ける厨房で、ひとつも手を抜かずに完璧に貫けるかどうか。 それが一番むずかしい。

レシピにしてもそんなに特別なものではなく、 材料にしても、無くなったら近くのスーパーマーケットに買いにいく。 そのかわり、全ての材料をチェックして、痛んでいるものは絶対に使わない。

工程を遵守すること。基本を忠実に守ること。 そうした正直さの積み重ねが、その菓子工房を特別な存在にしている秘密だった。

出張料理人は嘘をつく

菓子職人に求められる技能が「正直さ」なら、 出張料理人に求められる技能というのは、「嘘をつく能力」だ。

もちろん、材料だって厳選していくだろうし、 料理の手順にしても事前の計画は欠かせないにせよ、 出張料理人の人がいくのは他人の家。

8人のパーティーが予定のところが10人ぐらいに増えるのは当たり前だし、 そんなときに8人分出して「あとは知りません」というわけにはいかない。

8人分の材料を10人分に伸ばしてみたり、レシピを変えて、別の料理を10人分用意してみたり。

パーティーの流れによっては、料理を出す順番とか、種類を変える必要だって あるかもしれない。それはもちろん契約の範囲外だろうけれど、 その場での変更に応じられなかった出張料理人には、次回の「お呼び」はかからない。

即興性という能力

「生きる、死ぬ」の現場をくぐる職場にいるベテランは、 修羅場を乗り越えるのが本当に上手だ。

一歩間違えれば、目の前で人が死ぬ。下っ端がみんなビビって手を出せないような、 そんな危険な状況でも、即興性に秀でた人は、 まるでプレッシャーなんて感じないんじゃないかというぐらいに淡々と仕事をこなす。

「この人には、恐れという感情は無いんだろうか?」

部長の手技を見ながら、よくそんなことを考えた。

戦場では、殺さなきゃ殺される。実際の戦争になったら誰でも自分がかわいいと思うけれど、 第2次世界大戦のころは、半分近くの兵隊が引き金を引けなかったのだそうだ。

銃弾が飛び交っているように見える戦場でも、実際には撃つふりだけしてみたり、 あさっての方向を狙ってみたり。

戦争が終わってからのアンケートでは、 「撃たなきゃ死ぬ」という状況ですら、多くの兵隊が撃っていなかった。

有効だったのは、「自分にウソをつく」訓練だった。

人の顔が書いてある的を狙ってみたり、あたると血しぶきの飛ぶ的を作ったり。

実際の戦場と、訓練との差異を少なくすることで、「これは訓練の延長だ」という ウソを自分に信じさせ、兵隊は「撃てる」ようになったのだという。

鬼手仏心は医者の理想なのだけれど、鬼にならなくてはならないときに 鬼になれない人は、実際多い。

「鬼の手」を持てない人は、人の命を軽く考えているのか?

事実は逆だ。

考えるだけなら、今のQOML とかいってるヘタレの方が、 ベテランの先生がたの何倍も、生命を大切に考えている。 ところが、患者さんの生命だけでなく、自分達の生命のことまで考えちゃうから、 若手はみんな厳しい職場からいなくなる。

鉄火場に弱い「正直な職人」

仕事の再現性というのは、同じやりかたを「馬鹿正直」に繰り返す能力だ。

マニュアルとか、レシピとかいった、人の動作を規定するものが ちゃんと出来ている仕事であれば、優れた職人は同じものを完璧に再現できる。

医療ミスの多くは「マニュアルを破った」ことから生じている。

馬鹿正直にマニュアルを遵守していれば防げた事故というのは たしかにあって、そういう意味では、 現場には「正直な職人気質」を持った医師が、まだまだ足りないのかもしれない。

ところが、こうした正直な医師というのは、患者さんの急変に弱い。

急変の現場というのは、「出張料理人が8人分の材料を持っていったとき、 そこには10人の客がいた…」という状況なので、求められるのは即興的な技能。

  • レシピを守って、8人分の料理を出すか
  • レシピを破って、10人分の料理を作るか

レシピとお客さん、どちらを優先するのかは自明なのだけれど、 レシピに対して正直であればあるほど、職人の目の前の状況が日常と逸脱しているほど、 この選択を正しく行うことは困難になる。

正直さと即興性は両立できるか?

  • 初心者は、たとえば対人地雷を目の前にして、1m 手前まで近づいたら足が震える
  • ベテランの先生方は、同じ状況で、1cm の距離まで平気で近づく
  • 本当の即興者は、地雷を持ってお手玉ができる

職人が即興性を伸ばすことは、ある程度のところまでは可能だけれど、 たぶん決定的な「何か」を越えるのは難しい気がする。

急変に強い職人を作ろうと思ったら、 職人が平常心を失う環境を、極力作らないようなルール作りをすることだ。

かつてのアメリカでは、警察官が一般市民を誤射してしまう事故が多かったそうだけれど、 そのほとんどは「自分の安全確保を行う手順」を遵守していないケースだったという。

  • 必ず2人以上で容疑者を追跡する
  • 犯人が背中を向けてじっとするまでは、必ず自分の身を安全地帯に置く
  • 犯人が武器を捨てたことが確認できるまでは、一定以下の距離には近づかない

誤射があったケースでは、警察官自身を安全にするための、 こうしたルールが守られていなかった。

たぶん、誤射が多かった時代の警察というのは、「命知らずの男らしい警察官」という ステレオタイプと、現場で作られたルールとの間に整合がとれていなかったのだろう。

「男らしくあれ」という理念はルールを破ることを求め、 ルールを破ることは警察官自身を危険な状況に置く。

  • 至近距離に近づいたとき、容疑者が怪しい動きをした
  • 一人で犯人を追いかけようとして、犯人が逃げそうになった

犯人を追い詰めるこうした状況は、自分の身の安全が保証されないならば、 追いかける警察官をもまた追い込んでいく。

警察は、自分で自分を追い込んで、容疑者を射撃せざるを得ない状況を作ってしまった。

刑事ドラマというのは、即興性に優れた主人公が、職人の集団の中で活躍する物語だ。

犯人を一人で追い詰めざるを得ない状況というのは、まさに即興性が求められる ときなのだけれど、本来はそんな状況を作らないためにルールがあり、 それを遵守することで職人が活躍できる。

「ゴッドハンド」はなぜいなくなったのか

医療のレベルが低下している。

新聞では連日のように医療ミスが叩かれて、 日本の医療のレベルは地に落ちたような報道が続いている。

実際の事故率とか、死亡率といったものは決して悪くなっているとは思えないけれど、 医療のレベルがジワジワ落ちているのはある意味真実だ。

ブラックジャックになりたかった某心臓外科医とか、「大リーガー」医師を海外から 招きまくっていた某内科医師とか、本当に優れた腕を持って、いろんな武勇伝を 作ってきた医師の数というのは、たぶん減っている。

時代は進歩した。神がかった腕とか無くても手術はできるし、 触診ができなくてもCT 撮って読んでもらえば、たいていは大丈夫。

マニュアルや診療ガイドラインといったものの進歩で、それをきちんと守っていれば、 そんなに大きなミスはしなくなった。少なくとも、平均値としての医療のレベルは、 たぶん向上しているはず。

それでも「神」の数は減ってきている。

それは、医療の技術の低下によるものではなく、みんなが同じ医療をする時代、 「正直者」の医師が増えてきて、マニュアルから逸脱することで大成功を おさめる医師が減ってきたからだ。

マニュアルなんて無かった時代は、各自の即興性だけが成功率を決めた。 とんでもないヤブもいれば、「神」もいた。

技術が進歩して、「神」の足跡がマニュアル化されて、それを守ることに長けた「正直者」が 業界に参入してた。平均の成功率は上がったはずだけれど、成功率の分布の幅は狭くなった。

よくできたマニュアルは、正直者を守るとともに、即興者の手足を縛ってしまう。

みんな頑張っているつもりなのだけれど、「神」がいなくなってしまったように見えるとすれば、 たぶんこういうことだ。

臆病な正直者を罰したときにおきること

  • 勝たなかったら罰
  • 負けたら罰

一見同じようだけれど、戦略は異なる。

「勝ちかた」は、プレーヤーが勝手に決められる。

格闘技なら、ルールで負けたって、 最後までリングに立っていればそれは「勝ち」。解釈のしかたひとつで、 「勝ち」なんていくらだって宣言できる。

「負け」を決めるのは、審判の権限。

こちらにはプレーヤーに選択の余地は無い から、負けないためには審判の意志をくむのが重要。

「勝つ」のが得意なのは即興性に優れた人で、「負けない」のが得意なのは正直者。

「勝たなかったから罰則」という法律は、本来は即興者を縛るためのもの。 正直な人は「勝ちかた」が分からないから、これを守るのが非常に難しい。

交通安全週間のときは、大きな横断歩道の脇には、警察官が立っている。 普段は何も考えなくても安全な交差点では、このときとばかりに事故がおきる。 交差点を横切る自動車に求められる「勝利条件」は、人を轢かずに曲がりきること。 ところが、交通安全週間の期間だけは、この条件が「警察に怒られないこと」に変わってしまう。

  1. 期間中、交差点では警察官が信号役をする。
  2. ところがまれに、警察官が「曲がってよい」というシグナルを出したそばから、横断歩道を横切ろうとする小学生がいる
  3. ドライバーの注意は、横断歩道でなく警察官に注がれる
  4. 子供はドライバーには見えず、事故がおきやすくなる

自分みたいに、学生のころに(夜中の峠道で)警察から嫌がらせを受けたような人間なら、なおさら。

正直者ばかりの業界は、安定していて確実な進歩が期待できる。

ところが、「負け」の定義が明確でないのに、「勝て」といわれても困ってしまう。

こんな状況で「負けない」ためには、勝負を避けるしかない。

だから、現場からは医師がどんどん減っている。

ルールに求められること

法律を作る人達に何とかしてやって欲しいことの一つは、 「負け」の条件を明確にしてほしいことだ。

今はまだ、マニュアルも不備だらけ。

マニュアルに「最後は臨床症状とあわせて考える」なんて入っている時点で それはマニュアルとしては使いものにならないし、 最低何人必要なのか、どれだけの物量を投入すれば「十分」と判断されるのか、 そのあたりはマニュアル本には全然書かれていない。

そのあたりを現場に合わせてやりくりするのがセンスなのだけれど、 今はその「センス」の部分で罰せられるから、手が出せない。

限られた人的リソースでベストな結果を出すには、即興性に優れた人間をそろえるか、 職人気質の人間が納得できるような方法論を示すか、どちらか。

残念ながら、安定期に入った業界からは即興性に優れた人間はいなくなってしまうから、 今必要なのは方法論を誰か偉い人が決めること。

お菓子のレシピのように、誰が作ってもそれなりの物ができて、 レシピを完璧に再現できれば奇跡が生まれる、そんなやりかた。

もっとも、それができた時点で、全ての医者は菓子職人になる。

お客が8人から10人に増えたとき、料理人なら材料をごまかして調整できても、 「ショートケーキ2個おまけして!!」は相当難しい。

今ごまかしてもらっている「2人分」の財源をどこから持ってくるのか、 その問題は必ず出てくると思う。