部長のみっともない治療

研修医の頃

当直帯で「患者さんが苦しがっています」というコールがあったときの話。

心不全なのか喘息発作なのか、目の前の患者さんはとにかく苦しがる。 聴診してもゼーゼーいう音が聞こえるだけで、診断にはつながらない。

1年目だった自分だけでは手に余ったから、すぐに上の先生を呼んだのだけれど、 それでも原因が分からなかった。

当時いたのはそこそこ有名な研修病院だったから、教えられていたのは正しいやりかた。

まず患者さんの話を効いて、理学所見をしっかり取って、原因が分かってから治療を開始。

当たり前のことなのだけれど、原因が分からなければ、「正しい」治療ははじめられない。

1年生にとっては、上級生のやることは常に正しい。逆もまた然りで、上級生である以上、 1年生の前では常に「正しい」ことしか出来ない。

患者さんはゼーゼー苦しがっているのに、当直の医者2人、お互いを縛りあってしまって思考停止。

結局原因が分からなかったから、その日の責任当直だった内科の部長先生のお出ましを願った。

治療は滅茶苦茶。

とりあえず点滴をつないで、喘息と心不全に効きそうな薬を端から打っていく。

「部長、かっこわるい…」

そのときはそう思った。 普段「やってはいけない」と習っていた、頭の悪い治療の典型。内科部長ともあろう人が。

それでも、いつのまにか患者さんは落ち着き、30分もすると症状はとれた。

頭の悪い、みっともないやりかただったけれど、その場を乗り切ったのは たしかに部長の判断があったからで、自分達しかいなかったなら、その人は どうなっていたのか分からない。

立場は人を縛る

みんないろいろ学んで成長する。成長とともに、自分の立場というのもまた変わる。

研修医の立場。馬鹿であることを許されるけれど、馬鹿だけに何でもやれる自由さがある。

研修医は学んで上級生になり、その中でも優れた人は、もっと上の立場へとのぼる。

立場が上になるほど、行使できる力の大きさは大きくなる。反面、立場はその人の行動を縛る。

模範的であること。正しくあること。

学ぶにつれて「正しいこと」は自然になり、 どう振舞っても正しいやりかたをするようになる。

ベテランの治療は常に正しくて、洗練されている。

新人の医者があれこれ悩みながら、不細工な治療方針を立てている横で、 ベテランは当然のようにシンプルな治療プロトコールを仕上げていく。

問題は、不測の事態が生じた時だ。

成長のしかたには2種類ある。

  • 成長するとともに立場に縛られる人
  • 成長とともに立場から自由になれる人

何かあったとき、自分の立場を捨てられるか、それに縛られるか。

つまらないことなんだけれど、こんなことが患者さんの予後を左右する。

「あるべき自分」を捨てられますか?

「洗練」という行為は、無駄な部分を削ぎ落とす行為のことだから、 何かあったときの安全マージンはどうしても少なくなる。

初心者のやりかたというのは不細工だ。 いろんなことを考えて、あれこれ寄り道しながら進んでいくから、 どうしても人手がかかるし、手間がかかる。

初心者は予測ができない。

予測可能な急変だろうが、本当の不測の事態だろうが、初心者にとっては同じ。

初心者の背負っている「初心者」の看板というのは簡単に外せるから、 いつでも誰かに応援を求められるし、どんなに汚い治療だって「あり」。

ベテランは、しばしば不自由だ。

ベテランは何をすればいいのかを予測しているから、予想の範囲で何がおきようが、 エレガントに対処できる。

ところが、ベテランが予測していなかった自体がおきたとき、 ベテランの医師は「ベテランである自分」という立場を捨てなくては次の一歩が踏み出せない。

ベテランが「立場」を捨てる姿というのは、下から見るとかっこ悪い。

その行為は本当は凄くかっこいいことなんだけれど、初心者にはそれが分からないし、 ベテランもまたそれを忘れてしまうことがある。

「自由なベテラン」の持っているもの

急変時に自由に振舞えるベテランと、立場に縛られて何もできなくなってしまうベテランとを 分けているのは、「最終的な解決手段」を想像できるかどうかだと思う。

  • 呼吸困難の人なら、心不全と喘息の治療を全部やって、無理なら人工呼吸器に乗っけてまた考える
  • ショックの人なら、とにかく水と昇圧剤を突っ込んで、無理なら人工心肺を回してまた考える
  • 腹痛の人なら、循環器内科じゃ分からないから知りあいの外科の先生に土下座してすぐ来てもらう

自分で治療するのか、あるいは治療できる誰かに頼むのか。

いざという時のために、こうした「汚い、洗練されていない治療手段」を想像しておくこと、 そして、「この一線を越えたら、ベテランという立場を捨てて、頭の悪そうな治療を開始しよう」という そのラインを想像しておくことというのは、けっこう大切なんじゃないかと思う。

最近、全然原因の分からない意識障害の患者さんを診察する機会があり、 大学の神経グループの先生と相談しながら治療した。

電話でいろいろアドバイスをもらった後、こんな言葉をもらった。

「ぶっちゃけ、神経内科なんて、ゾビラックス使ってステロイドパルスとガンマグロブリンを落として、 それでもダメなら血漿交換するぐらいしか治療手段ないですからね~」

この先生は、きっと「立場」から自由なんだな。

そんなことを考えた。