性善説と性悪説

7月から、療養病棟の保険点数算出方法が大幅に変わった。

今までは出来高払いの延長。節約してやりくりすれば、たいていの医療行為は 何とかなった。

7月からは、ルールが大幅に変わった。

  • やったことを問わず、1ヶ月に国から支給されるお金は同額。検査を乱発するダメ医者は損をするルールになった
  • 患者さんの重症度に応じて、医療区分1から3まで(1が一番軽い)のランクがついた。軽症の患者さんを 長く入院させている悪徳病院は、黒字が減ることになった

厚生省の考えている「勝利プラン」というのは、たぶんこういうことだ。

黒字を増やすには、医療区分で2~3の重症の患者さんを多く入院させて、 より頭のいい検査プランを立てて、 最小限の検査で治療効果を発揮できる医者を雇うこと。

悪い奴らが笑う仕組みから、良心的な病院が報われるルールへ。

このルールの改訂で、喜ぶ人なんて本当にいるんだろうか?

ルールの最適解は何か?

新しい制度のルールブック(A4で50ページ近くある)を読んで最初に思ったことは、 このルールだと、最適解が2つしかありえないということだ。

今度のルールでは、「医療区分2以上」という、 比較的重症の人でないと、病院側には赤字が発生する。

  • 1つの方法は、厚生省の思惑どおりに重症の人を一生懸命安く治療して、「いい医療」をやること
  • もう一つの方法は、手のかからない軽症な人を重症者に仕立て上げること

悪しき習慣ではあるのだけれど、高齢者医療の現場で、 みんなが望んでいるのは、「良くなってずっと病院にいること」だ。

古いルールのときには、みんなあの手この手で落としどころを探って、このゴールに 近づこうとしたものだだけれど、今度からは無理。

悪くなって入院を続けるか。それとも良くなって病院を去るか。

新しいルールは選択を迫る。

インドには、乞食の子供の目を潰したり、手を切り取ったりといった「サービス」を 提供する医者がいるそうだ。

こうすることで、子供の見た目がより「かわいそう」になり、その子の収入が増えるから。 カースト制度と巨大な貧困層という「ルール」の中では、こういう最適解だって成り立つ。

わざと悪くするわけじゃないけれど、今までなんとか「軽症」の領域を 維持しようとしていた努力を止めるだけで、患者さんは簡単に「重症者」の仲間入りをする。

  • 体位交換の頻度を下げて、床ずれを作る。予防しちゃうと医療区分で「軽症者」になってしまうから、やるだけ損する
  • むせ込みの多い患者さんは、頑張らないでさっさと気管切開を勧める。これをやるだけで「重症」あつかいになるから、 入院期間の延長はずいぶん楽になる

7月からのルールでは、医療区分2の「少し重症」の人をどれだけ作れるかが鍵になる。

ルールの改訂で、普通に歩けるような高齢者は病院から追い出されて、 頑張ればなんとか車椅子までいけてたような人は寝たきりになって、 「安定した重症者」で病院がいっぱいになるような気がする。

自分みたいな悪徳じゃなくて、もともと良心的な医師はこの制度で「いい思い」をするだろうか?

たぶん逆で、まじめな人からやる気を失ってしまうんじゃないかと思う。

ルールの性善説性悪説

ゲームのルールには、性善説性悪説との2種類がある。

  • 性善説をとるルールは、ゴールのみを設定して、そこに至るまでの過程はプレーヤーに任せる。 結果は一つだけれど、過程は多様化する
  • 性悪説をとるルールは、結果を達成することよりも、ルールを守らせることのほうに重点をおく。 プレーヤーの行動は同じようだけれど、その結果が多様化する

医者の仕事というのは、「よくする」という一つのゴールに至るまでの道のりを追求する仕事だ。

今までの出来高払い制度というのは性善説で、合理的にやろうが悪どく儲けようが、 結果さえうまくいけば、後は医者の「さじ加減」を信じてた。

厚生省のスタンスは、「医者は基本的にいい連中で、その中にたまに悪い奴らが混じっている」というもの。

センスのない奴には、まわりから笑われたり、 保険点数を大幅に削られたりといった制裁が加わったけれど、 まじめな人と悪い奴、どちらもそれなりに仕事が出来た。

今度のルールは逆。

「医者は基本的に悪者ばかりで、たまにまぎれているまじめな 医者を救済してやろう」というのが新ルールの考えかた。

医者にできることは、悪い奴もそうでない人もみんな同じ。

違うのは、悪い奴がやると患者さんが重症化して、 正義の医者がやると、患者さんが軽症化すること。

そして、「軽症化した患者さんには、国はお金を出す意志は全くない」ということが、 「ルールブック」に明記されていることだ。

やる気を奪う性悪説ルール

罰則とか、「べからず集」とか、国の検査機関からの監督といったルールは、 いずれも「悪人である医者を、正義の厚生官僚が監督する」という思想の産物だ。

国はあなたがたを信用してないよ」というメッセージは、 まじめな人達をへこませ、もともと国への忠誠度の低い人達だけを元気にする。

「あれとこれはやってはいけない。そのかわり、違反しなければ何をしてもいい」という戒律的な ルールは、多様な結果を生む。

こうしたルールは、リーダーの顔が常に見えるぐらいの規模の小さな組織で、 いろいろな可能性を追求しなくてはならない時にはとても有効だけれど、 大きな組織でこれをやると、無政府状態になってしまう。

大きな組織を統治するには、理念が必要になる。

「紳士たれ」とか、「よき医師たれ」とか。何をもって「よい」のかについては、 リーダーがメンバーを信じるしかないから、そこに信頼関係が生まれる。

信頼関係は忠誠を生む。まじめな奴ほどマジになる。 ずるしてサボる奴は一定割合で出るかもしれないけれど、組織はまとまる。

正解は「性善説+祟り」ルール?

厚生省の中の人は、たぶん正義の味方になりたいんだろう。

「悪の医者を取り締まる正義の官僚」というロールモデルを演じるのは きっと気分がいいのだろうけれど、これは 悪役にされた人のやる気を奪ってしまう。

官僚の人たちが想定すべき自己イメージというのは、 「医者という馬に鞭を入れる御者としての官僚」だ。

「悪い医者」にとって、もっともやられて嫌なのは、 今までどおりの出来高払いルールを維持した上で、明文化した罰則を一切作らないこと。

役人様は馬車の上からみんなお見通しで、 ズルした馬は予告なく鞭で叩かれるという「祟り」が 蔓延した社会では、「ルールの裏をかく」ことは非常に難しくなる。

だって、ルールは役人様の頭の中にしかないんだから。

「神様」が統治する「祟り」の支配する社会というのは、 なんだか北○鮮みたいだけれど、ライブドアとか村上ファンドとかいった会社が 潰される今の社会を「正義だ」と評価する人が多いというのは、 たぶんそういう社会を志向する人が結構多いということなんだろう。

医師はプライド高いから、官僚に「馬」扱いされれば当然怒るだろうけれど、 思考を放棄して「馬」になって鞭打たれたい人、潜在的には多いんじゃないだろうか?