「みんな」と「あなた」の使い分け

戦いというのは、結局のところ戦力の大きな方が勝つのだけれど、 どれだけ大きな戦力を用意すれば勝てるのか、という問題には、 「ランチェスターの戦争法則」という解答案がある。

  • 剣のような原始的な武器を用いた接近戦では、戦力は兵士の数に比例する。
  • 味方側に航空機や大砲といった「飛び道具」がある場合は、戦力はお互いの数の二乗に比例する

敵味方とも槍や刀しか持っていないときは、戦いは接近戦となり、「一人が一人を倒す」戦いになる。

味方側に10倍もの兵士がいても、10人が一人の敵に殺到できるわけではないから、 敵の兵士の数と同じだけ、味方の犠牲者が出てしまう。犠牲になる兵士の数は変わらない。

ところが、飛び道具が使える戦いになると、話は違ってくる。

航空機や大砲といった武器は、 遠くから敵を狙い打てる。味方の数が10倍あれば、戦力差は100倍に達する。 犠牲になる味方はほとんどいなくなる。

戦争というのは効率よく敵を倒す方法を追求するものだから、 状況に応じて戦略を変えなくてはならない。

ランチェスターの法則を生かした戦いかたというのは、以下のようになる。

  • 自分達の立場が強くて、「飛び道具」が使えるときには、相手との距離をおいた戦いかたをする
  • 自分達の立場が弱いときは、なんとかして接近戦に持ち込んで、「一人が一人を倒す」戦いで、相手の戦意喪失を狙う

これは本物の戦争での話だけれど、いろいろな組織、 あるいは個人との交渉ごとは、けっこうこの法則が通用する。

相手を一般化するやりかた

たとえば、退院の交渉。

一応、立場の強いのは医者側だから、可能なかぎり距離をとったほうが、交渉が有利に進む。

交渉の席では、「○○さん」という呼びかたは止めて、「○○病の方は、一般に…」という しゃべりかたをしたほうが嫌なことを切り出しやすいし、また相手方からの反論が少なくなる。

こんなとき、「他の人はいいですから、うちの事情を考えて下さい」と切り返されると、 実は反論できなかったりする。

相手を「個人」にして一騎打ちを挑むとき

たとえば、公務員の人達との交渉。

社会保障のサービスの申請の場面などでは、もう圧倒的に相手の立場のほうが上。

こんなときに「一般的には、こうなっています」なんて言われたら反論できないし、 また「医学的には、このケースにはこの保護が妥当と考えます」なんて飛び道具を出したところで、 効果は薄い。

「みんな」には、「みんな」で切り返される。

「皆さん、こうですから…」と言われたら、二の句が継げない。

有効なのは、「みんな」から「あなた」の戦いへ、個人同士の泥仕合へと引きずりこむこと。

  • 「みんなはいいですから、あなたならこの人のケースはどう考えますか?」
  • 「あなたの個人的な見解が聞きたいんです」

何とかして相手個人からの言質を取るように交渉を進めると、けっこううまくいく。

マスコミと医師との戦いかた

医者がマスコミから叩かれるようになって久しいけれど、 たいていの案件では、やはり医学的にみてどうにも理不尽な叩かれかた。

医師側は医学的な正当性を主張して、それでもマスコミにいいように叩かれて、 世論もまたそれを支持して。

報道という戦争の舞台では、医療者側とマスコミとでは、どう争ったって マスコミ側のほうが戦力が上で、飛び道具勢ぞろい。

マスコミ側の兵力は膨大で、医師を「医師一般」で一括りにして攻撃して、 医師側が反論する頃にはすでに別の話題で盛り上がる。もうやられっぱなし。

ランチェスターの戦争法則で、 「強者の戦いかた」として勧められている戦いかたというのは、以下の5つ。

  1. なるべく確率戦にもちこむ。
  2. 一騎討ちを避け、総合戦を展開する。
  3. 接近戦を避け、遠隔的戦闘にもちこむ。
  4. 圧倒的な兵力によって短期決戦を狙う
  5. 敵を分散させるための誘導作戦をとる

マスコミのやりかたというのは、実に理にかなっている。

こうした相手に医師が団結して立ち向かうのは、戦争のやりかたとしては、あんまり賢くない気がする。

たぶんもう少し効率的な戦いかたというのは、何とかして個人どうしの接近戦へと戦いのやりかたを変えること。

「個人としての医者」を強調するやりかたというのは、たとえばこんなもの。

  • 「医学的に見て正しかったのかどうか」を強調するのは止める
  • どんな案件であっても、その分野の「」級の医者がそこにいれば、その事態は乗り切れた可能性があったことは認める
  • その上で、「自分の実力であればどうだったのか」のシミュレーションを、個々の医師が表明する

マスコミの飛び道具が標的にするのは「医師一般」という概念。 医療者側がやらなきゃいけないのは、その概念の解体だと思う。

医師の案件を報道した記者には、なんとしてでも「その人個人の見解」というものを表明してもらう。 「あなたならこうした場合、どうしましたか?」とか、「あなたが同じ病気にかかったとしたら、 どういう選択をしましたか?」とか。

医師の持つメディアなんて本当にちっぽけなものだけれど、たぶん何らかの抑止力にはなる。

みのもんたとか、堺正明みたいな人達は、生物学的には「個人」なのに、 「視聴者の一般意志」を代表する概念存在でもある怪物だから、 そんな人達相手に正論で挑んだところで、勝ち目はないと思う。

「見ろ。記者がまるでゴミのようだ!!」 僻地は滅びぬ、何度でもよみがえるさ、僻地医療の充実こそ人類の夢だからだ!!

こんなふうにムスカさんよろしく言い放ってみたいものだけれど、 実際にはうちの病院の最年少が11年目の自分。後ろはもう誰もいない。

そのうち眼科の先生とかがこの地域を見限って、自分もまた「目が、目がぁ!!」なんて 泣きながらこの地を後にしたりしたら、相当恥ずかしい。

医師もまた個人としての自分を出して、できることなら個人としての患者さんの集団を味方に つけて、その上でマスコミ一人一人との接近戦に持ち込む。

今までやられっぱなしだったから、こんなことでもすれば、少しは戦果が上がるんじゃないだろうか?

コメント欄で紹介していただいた「伊江島土地闘争での米軍への陳情規定」は、非常に興味深い。

  • アメリカ軍と話しをするときは、なるべく大勢の中で何も手に持たないで座って話すこと。
  • 耳よりも上に手を挙げないこと。
  • 決して短気をおこしたり、相手の悪口は言わないこと。
  • うそ、いつわりのことを言わないこと。
  • 愛情をもって道理をつくし、幼な子を教え導いてゆく態度で話し合うこと。
  • 人間性においては、生産者であるわれわれ農民の方が軍事に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること。