病棟業務の回しかた

できるだけ楽をしたいので、ほとんどメモを取らずに病棟を回してる。

そんな手抜きのやりかたの一例。

病棟業務の問題点

病棟の基本的な業務の流れ

  1. 朝病院に来たらナースルームで情報収集
  2. 患者さんの回診
  3. ナースルームに戻ってオーダー出し
  4. カルテを書きながら問題点を整理したり、治療方針を相談したり
  5. また患者さんを回診
  6. あとは2~4の繰り返し

ベッドサイドとナースルームを往復しながらのお仕事。

この間に外来をやったり、急患が入ったり、検査をしたり手術をしたり。

律速段階になっているのは、ベッドサイドとナースルームとの間の往復。

たかだか10mぐらいの距離だけど、この距離が問題。

情報をどうやって持ち運ぶのか

情報の運搬というのは、大きな問題だ。

  • カルテごと持っていくのは重すぎるし、その間は他の業務が止まる
  • 電子カルテは解決策になりうるけれど、入力が大変で、まだ実用には遠い
  • 折衷案として、みんなメモ帳を持ち歩いているけど、面倒だしミスが多い

3歩歩けば全部忘れる。

ナースルームを出て、だいたい20人ぐらいの患者さんを回診して、再びナースルームへ。

歩けば忘れる。忘れるからミスをする。

いちいちナースルームへ戻ってカルテを書くか、カルテを全部持ち歩けば、忘却によるミスは減る。

ところが、それをやると時間がかかりすぎて、仕事が終わらない。 病気は待ってくれないから、それはとても困る。

情報の安全性と可搬性とは、常にトレードオフの関係にある。

安全性を最大に振りすぎれば、たぶん病気は治らない。

可般性を最大にするというのは、要するにカルテを書くこと自体を放棄することだけれど、 これは上手くいっているうちはとても上手くいく。そのかわり、上手くいかなくなると、 何が悪いんだか全く分からなくなる。

基本的な頭の使いかた

病気の情報の主流と傍流

患者さんについて把握しておかないといけない情報というのは、大きく2種類ある。

  • 一つは病気自体の情報。ちゃんと治っているのか。熱や痛みはないのか。心機能の回復はどうか。そんなもの。
  • もう一つはもっと細かいこと。食事を柔らかくしてほしいとか、下剤や眠剤がほしいとか、生き死にに関係ないもの。

病棟をトラブルなく回すために大切で、メモを取って覚えておかないといけないのは、後者の情報。 病気に関する重大なことというのは、メモを取らなくても大丈夫。

頭の中にフォルダを作る

病棟で患者さんをフォローするときには、患者さんの顔と、 その病名とを関連付けた「フォルダ」を作って、 診察したことや話したことは全部そこに放り込む。

フォルダの「ラベル」に相当するのは、患者さんの名前でなくて、病気の種類。

一般内科なら、「脳梗塞誤嚥性肺炎」とか、「食道静脈瘤破裂の人」とか、 「原因不明の貧血と黄疸」とか、 患者さんの病名や、問題点をラベルにする。

循環器病棟みたいな専門科だと、「ラベル名」が狭心症とか心筋梗塞ばかりになってしまうから、 「カテ中に心停止して往生した患者」とか、 「LADにステント放り込もうとしたけど引っかかって行かなかった人」とか、 細かい経過でラベルをつける。

診察した時のことを全部「フォルダ」に放り込んだら、その後はさっさと忘れる。

患者さんの顔を見たときか、あるいは病名を書いてあるカルテを見たとき、 頭の奥からこのフォルダが引っ張り出されて、けっこう細かいことまで思い出せる。

患者さんは病名でラベルする

病名以外のラベルは役に立たない。

患者さんの名前なんか、覚えていてもしょうがない。

息子がやたら太ってるとか、 内縁の妻がいるとか。 そういうラベルも面白いんだけど、医療記憶の役には立たない。

フォルダの「ラベル」というのは、その人の病気の流れを思い出すきっかけになる言葉だ。

自分は人の名前を覚えるのが苦手で、また場所を覚えるのが苦手。

「○○号室の××さんが…」と言われても全く分からないけれど、 ベッドサイドに行ってその人の顔を見ると、「フォルダ名」を思い出す。

このフォルダ名をきっかけにして、必要な情報を自分の頭から引っ張り出す。

このとき、患者さんの顔と関連付けられたフォルダ名が「内縁の妻がいるおっさん」なんかだと、 病気に関連したことを思い出せない。

頭はいつも空にする

前の「フォルダ」の話と矛盾するようだけれど、 一人の診察が終わったら、意識して「頭を空にする」ように 心がけている。

意識の隅に20人分もの「フォルダ」の存在をおいておくと、目の前の患者さんとの会話に 集中できないし、常に頭がもやもやして気持ち悪い。

自分で「忘れた」つもりになっていても、「フォルダ名」と「患者さんの顔」の関連付けは、 意識のうんと奥のほうに必ず残っている。たまに忘れるけど、そこは自分を信じる。

頭の中の「ワーキングメモリー」の大きさというのは想像以上に小さくて、 「あれをやらなきゃ」という小さな記憶も、少し貯まると頭の働きを圧迫する。

一般に、仕事の能率が高い人は、たくさんのことを暗記して、 たくさんの仕事の優先順位を脳の中で統括していると考えられているけれど、 実際にはその逆だという。むしろ、仕事ができる人ほど頭の中は常に空っぽで、 余計な情報を溜めないからこそ創造的に働けるのだという。

記憶はできるだけ外部化する

患者さんの名前とか、部屋番号とかは覚える必要はない。

こうした記憶は外部に置ける。ベッドサイドには患者名が張ってあるし、 廊下に「自分の色」のテープを張っておけば、 患者さんの場所を覚える必要はなくなる。

同じ回診をするのでも、「○○号室の××さんに会いに行く」のと、 「なんとなく病棟をさまよって、そこに自分の患者さんがいたのを思い出す」のとでは、 頭の負荷が全く違う。

医者と患者。立場は違えど、頭の中は徘徊老人といい勝負。時々、回診を忘れたりする。

実際の業務の回しかた

ナースルームからベッドサイドまで

朝の回診前には、ナースルームに寄って、前日の患者さんの具合を把握する。

患者さんとの話題を作るためだ。

患者さんとの会話の中で、「私はあなたのことを把握しています」というメッセージを出せると、 信頼関係を構築するのがより簡単になる。

だから、朝のナースルームで情報を把握しておくと、そのあとの患者さんとの会話が弾む。

これは大切な行為なのだけれど、これを止めるだけで10分近く節約できるし、 メモをとったり、何かを覚えたりといった頭の負荷をゼロにできる。

ナースルームに立ち寄るのを止める代わりに、患者さんの情報は病室で得る。

  • 水枕が患者さんの頭に入っていれば、その人は熱を出している
  • 点滴が増えていれば、たぶん当直時間帯に何かおきている

こんな程度のことが分かるだけでも、朝の会話の「ネタ」は十分。 本当に「生きる、死ぬ」にかかわる情報は、 医者が黙っていても病棟ナースが突っ込んでくれるから、大丈夫。

部長級の医師は、離れたところから診察をするのが上手だ。

10mぐらい離れたところからワレンベルグ症候群 (延髄の脳梗塞)を診断したり(額の光りかたが左右で微妙に違うんだとか…)、 患者さんの腹の押さえかたで大動脈瘤を診断したり。ほとんど大道芸

これもまた、「朝のナースルーム」をパスするための工夫の果てなんじゃないかと思う。

ベッドサイドでの患者さんとの会話

患者さんの病名や問題点をメモにして持ち歩いているレジデントがいるけれど、 止めたほうがいいと思う。大変なだけだし、1日に10人も患者さんが入るところでは、 それでは通用しない。

慣れてくると、患者さんの顔を見るだけで、いろいろなことを思い出せる。 その代わり、名前を見ても何も浮かばないけれど。

大事なのは、その人の主訴とか、治療のテーマとかをはっきりと決めておくこと。

それをやっておかないと、「あなた誰でしたっけ?」になってしまう。 食欲不振とか、なんとなく元気がないから一応入院といった人は、 だからものすごく思い出しにくい。

そうした「記憶の取っ掛かり」がしっかりできた患者さんなら、あとは自分の潜在能力を信じて、 患者さんのことはすっかり忘れてしまっても何とかなる。

「御用聞き」の工夫

治療の流れにそった「主流の」お話は覚えられるので、その場で聞くだけ聞いてメモはとらない。

カルテを書くときにはまず必ず思い出せるから、自分を信じてそのときは忘れる。 治療にかかわることなら医者は専門家なので、忘れたところでいくらでも言い繕えるし。

メモを取るのは、もっと「傍流」の訴えのほうだ。

眠剤が欲しいとか、食事をあっさりしたものに変えて欲しいとか。

忘れてトラブルになるのは むしろこっちの方で、しかも病気の大きな流れから外れているから、 メモを取らないと絶対に忘れてしまう。今はここだけ palm を使ってる。

一人回ってメモを取ったら、それまでのことは全部忘れて、次の人のもとへ行く。

意識は常に空っぽにしておいたほうが、次の人との話に集中できる。 本当に大事なことはカルテを見たとき思い出せるから、そこは自分の脳を信じる。

ナースルームでのカルテ書き

ナースルームに帰ったら、なるべく速くカルテを書く。

頭の中の「記憶のフォルダ」は、患者さんの病名と顔写真から検索できるから、 カルテの病名を見ると、その人の記憶を引っ張り出せる。

病気は時間軸で進行するから、慣れてくれば病気の「流れ」みたいなものが自然に身につく。

カルテに書かれるのは、「ありのままの事実」でなくて、「思い出された物語」だ。

身についた「典型的なその病気の流れ」というものができていると、 極端な話その人の10日先のカルテだって書ける。

その流れの中に、 たった今ベッドサイドから持って来た「差分情報」を合計すると、カルテが書ける。

覚えるのを差分情報だけにできると、20人ぐらいまでならけっこう何とかなる。

一番問題なのは、ナースルームの中で静かな環境を作るのが難しいこと。

スタッフとの約束や会話。様々な病気の治療の相談。ナースからの伝言。 いろいろな情報が飛び交う中で、 いつ鳴るのか分からないPHSを握り締めながら仕事をするのはけっこう苦痛で、 何とかしたいのだけれど、いまだにどうにもできない。

カルテには未来の自分へのメッセージを書く

カルテを書くというのは、「病気の流れ」が想定どおりに進んでいるのかを 確認する作業でもある。

カルテには、病気の「本流」の話を主に記載するのだけれど、書いているうちに 「あれもやりたい」「これもやっておこう」といった「支流」の発想がどんどん出てくる。

この発想を記憶してはいけない。必ずメモにする。

温度板や検査、記載したカルテを見て、あれをやろうとか、 これもそのうち調べようと思ったら、思った瞬間に 「いつかこれをやる」とカルテに書いておく。

「本流」の記憶は再生可能だけれど、 「支流」の記憶というのは、そこを通り過ぎた瞬間に再生不能になってしまう。

「あとでやっておこう」と思ったことは、文字にして実体化しておかないと、 次に問題が大きくなるときまで絶対に思い出せない。

病棟でやる GTD メソッド

上記の元ネタになっているのは、GTD メソッドという方法論。

これは、頭の中をなるべく空っぽに保って、 より快適に仕事をするためのやりかた。最近また本が出た

基本的な方針は、以下の3つ。

  1. 頭の中の情報は全てリスト化して、なるべく速く外に吐き出す
  2. リストにした情報それぞれについて、「どう処理するのか」を決めるシステムを作る
  3. リストを空にするための、定期的なレビューの習慣を作る

発案者の人の本の中では、全ての情報をとりあえず放り込んでおく「In Box」、 ファイリングフォルダーを 43 個用意して、それぞれのフォルダーに未来の日程を割り当てる 「Tickler File」といった方法が提案されている。両方やったけど、あんまりうまくいかなかった。

それでも、「頭をなるべく空っぽに」という基本方針は、とても優れていると思うし、 最近はなるべくそうするように心がけている。

残念ながら、心がすっきりしたとか、生産性が飛躍的に上がったということは ないけれど、メモを取らなくてもそんなに致命的なミスはないし、 少なくともメモしない分、効率は上がる。

脳のメモリーを空けて、空いた時間を作ったあとにやることは一つ。

もっと多くの患者さんを診ることだ