絵を書いて理解する

  • 手術の術式や画像所見の見かたを習うときには、 絵のうまい人から教わると理解が早まる。
  • 言葉で解説してもらうだけではなくて、「どういうスケッチを書くのか」を 一緒に習ったほうがいい
  • 「絵」は見たままをきれいに書くのではなくて、専門科ごとに伝統的な描きかたというものがある 描きかたは習うもので、見つけるものではない
  • 上手な絵を書く医師がいたら、「どうしてその図は分かりやすいのか」を教えてもらうと相当勉強になる

描きかたは教わらないと分からない

「カルテには文字だけでなくて絵を書きなさい」とはよく言われることだけれど、 上手に書くのはなかなか難しい。

手術や内視鏡などの手技を行った後の手術記事。 胸部単純写真やCTスキャンなどの画像所見のスケッチ。 病棟で絵を描かなくてはならない機会というのはけっこう多い。

スケッチの流儀は大きく2つ。

  • 青鉛筆(消しゴムで消せないから)を使って、本当のスケッチよろしく絵を書く人
  • ボールペンで殴り書きする人

鉛筆を使って描いたスケッチはきれいだけれど、道具を持ち変えなきゃいけない分だけ 手間がかかる。忙しいベテランは、たいていボールペンだけで描く。

上手な先生がボールペン一本で描いた図というのは、 ごく簡単に書いてあるわりにはよく分かる。

ところが、それと同じ絵を自分で書いて見ると、どうやっても臓器に見えなかったりする。 線1本の引きかたとか、はらいかたが微妙に違うだけで、単純な絵はリアリティを失う。 上手なベテランの絵は簡単だけれど、そのあたりを外さないから、リアルに見える。

これは、「見たままをリアルに」ではなく、「そこに見えるはずのもの」を何度も繰り返し書いているからだ。

見えることと分かること

病棟で絵を描く行為というのは、画像を抽象化するプロセスだ。

今は何でもよく見える。

内視鏡も横から見られる。CTもMRIも気軽にオーダーできる。

手術の見学も、昔以上に容易になった。術野を見学できたのは、昔ならせいぜい第2助手まで。 今は必ずビデオカメラがつく。ICUにいれば、実況中継よろしく、いつでも術野が見学できる。

いい時代だけれど、医者が処理しなくてはならない画像情報の量は飛躍的に増えた。

胸部単純写真1枚と、胸部の単純CT1回分。 そこに写る情報量の差というのは、被爆量以上に大きな開きがある。

多すぎる情報量に引っ張られると、見つけなければならないものを見逃してしまう。

医療画像は、「見る」もので無くて「読む」ものだ。 見えたものを解釈可能な記号の集合としてとらえなおして、それが正しい位置にあるのかどうか、 大きさはどうか、あるいは、見えてはいけないものがそこにないのかどうかを追っかけていく。

電子カルテの時代。進んだ病院ならば、電子化した画像をそのままカルテにコピーできる。

アナクロかもしれないけれど、それをやってしまうと多分見落としを生じる気がする。 画像を画像のまま処理してしまうと、それを「読む」工程が省かれてしまう。

絶対に見落とすな。全部見ろ」と 研修医を叱咤激励するのは簡単だけれど、やはり「読みかた」を教える必要はあると思う。

たとえば単純写真や胸腹部CT。昔習った読みかたというのは、こんなもの。

  • 単純写真は、まず周辺から見る。胸膜を左右とも指でなぞって、その後肋骨を1本1本指で追っかける。 その後さらに肺動脈の走行を見て、肺野を観察するのは一番最後。側面写真の読みかたは、また別のやりかたがある。
  • 自分がショックの患者のCTを読むときは、まず心のう水を見て肺動脈を見て、その後一度鼠径靭帯が 写っている断面を探す。そこじゃないと動脈と静脈の区別がつかないから。その後、静脈系を上下に追っかけていって、 血栓を探す。その場で肺がんを見逃しても、たぶん読影の先生が見つけてくれるから、その場ではあまり真剣に見ない。

半分は我流だし、いいかげんなものだけれど、それでも何とか10年持っている。

医師にもいろいろな立場の人がいる。たぶん、それぞれの人が、 それぞれの「読みかた」というものを会得している。 「なんとなく」だけで何年も生き残っている人は、多分いない。

カンファレンスなどで病変の写っている画像を見るとき、 講師の先生は「病変の見えかた」は教えてくれるかも しれないけれど、「全体からの病変の抽出のしかた」は教えてくれないかもしれない。

珍しい画像を見せてもらうとき、なんで「分かった」のか、あるいはその医師に尋ねて、 「どういう順番で読んだら見逃さないのか」を教えてもらえたならば、たぶん相当勉強になる。

生データはいくらでも転がっている昨今。それでも、研修医が一人前になるには時間がかかる。

どんなにリアルな画像、あるいは実物の人体をいくら眺めたところで、最初は何も分からない。 文字を知らないと本がいくらあっても勉強できないのと同様、画像にもまた「読みかた」とか「文法」 みたいなものがあって、それを知らないと経験を経験として生かせない。

画像の読みかた。スケッチのしかた。

何でそれが読めるのか、あるいはただ殴りを書きするだけで、なんでそれがリアルに見えるのか。 ただ見るだけでは意味がない。見た画像の中から何を残して、何を評価するのかの基準を 自分で作れるようにならないと、「分かった」ことにはならない。

画像を読む順番とか、スケッチでの線の引きかたとか、みんな一つ一つの動作に意味をつけて 行っているから、それを言葉で解説するのはけっこう簡単にできるはず。

たとえば心臓ひとつ描くのにも、「これが上大静脈の線」とか、「この気管支分枝を広く描くと、 左房が大きいことを表現できる」とか。

頭の中に画像処理系を実装する

スーパーコンピューターが非常に高価だった頃、それを自作してしまったグループがある。

天文学では計算機を使ったシミュレーションが欠かせず、 所有するコンピューターのパワーが教室の研究能力に直結する。

東大の天文学教室もまた、こうしたコンピューターパワーの不足に悩まされ、 最終的に「スーパーコンピューターの自作」を行った(GRAPEというプロジェクト)。

多粒子系のシミュレーションの特徴は、計算量が極めて大きく、 しかもそのほとんどが粒子間相互作用の計算に費やされることである。 そこで我々が考えた(最初の提案は国立天文台の近田によるものである)のは、 粒子間相互作用の計算だけを高速に行うハードウェアを作って、 それを普通の計算機につなげて使うことである。このやり方には、いろいろな利点がある。

実際作ったのは、スパコン全部ではなくて、天文学計算を行うための専用ハードウェアのみ。

汎用のスパコンと違い、天文学の計算にしか使えない。その代わり、 用途を限定することで、通常のパソコンの計算速度が スーパーコンピューター並に高速になったという。

スケッチをうまく描く訓練というのは、研修医の頭の中に、画像の抽象化を行うための 専用のハードウェアを実装するようなものだ。

汎用性は、あえて捨てる。

「患者さんの症状に応じて、経験を重ねていく」ではなくて、 最初から「読みかた」「描きかた」を学ぶことで、標準的な方法を杓子定規に用いて、 その上で「見えないもの」「異常な場所に見えたもの」を細かく観察する。

例によってあんまり「正しくない」教育方法だけれど、十分実用的だと思う。