白と黒の争い

ルールは非常に簡単。

  1. 黒は自分の力で戦う。何でもできる代わりに、何かの代償が必要。
  2. 白は規則に縛られる。正義とか、神とか法とか、そういうものに。 規則の範囲でしか力を使えない代わり、その規則に逆らったものに対しては非常に強力な力を出す。
  3. 黒は何でもできる。世界の規則に逆らわない範囲では、白は黒に対して無力。
  4. 白の勝つ戦略は、黒を騙すこと。白は巧みに黒を誘導して、相手を罠にはめる。 黒を世界の規則に違反させると、神の怒りが炸裂して、その時点で白の勝ちが決まる。
  5. 黒が規則に触れないで平和に暮らしていると、 そもそも白には存在意義がない。だから争いをけしかけるのは、常に白の側。

物語世界の対立

白と黒。善と悪。光と闇。

正義と悪とを代表する、2つの価値観の争いという世界観は、昔から物語の基本中の基本。

正義は常に勝つ。でも、戦いかたが卑怯なのは、常に正義を僭称する側だ。

物語で罠にはまるのは、常に「白」のほうだけれど、白が絶体絶命の危機に陥ったところで 黒が油断し、最終的には白が勝利する。

物語の全体像を見通せる読者から見れば、白を罠にかけた時点で、実は黒が罠にはめられている。 白は黒を油断させ、その世界の「規則」の違反をさそう。罠を踏んだ黒は神様の怒りに触れ、 最後は滅ぼされる。

「黒」はそんなに悪いのか?

正義と悪。人として信頼できて、頼りになるのは大抵は悪を名乗るほうだ。

正義を名乗る連中は、何を頼んでも「規則違反」を理由に突っぱねる。

水戸黄門を見たって分かる。どんな証拠を積み上げたって、放送終了10分前にならなければ 「もう少し様子をみましょう」だ。

「正義」にとって大事なのは、事実の正しさでなくて、世界のルール。

水戸黄門世界のルールでは、正義側が動いていいのは最後の10分だけ。 それまでは何を頼んでも動いてくれないし、最後の10分になれば、 悪人をでっち上げてでも、誰かが裁かれるだろう。

黒の武器は、自由であることだ。その力は限定されるし、代償もいる。 それでも常識の分かる人が多いし、約束は守られる。

キリスト教世界の悪魔は、 絶対にウソを付けないというルールに縛られる。 ウソをつかないのは人付き合いの 基本中の基本だ。 このあたり、「神様」サイドのほうが、よっぽどたちの悪いことをしている。

桃太郎はなぜ鬼を虐殺したのか

神様は正直者を愛するのではなく、「バカ正直」を愛する。

浦島太郎然り、桃太郎然り。

正義の規則に愛され、勝利する「白」 というのは、目の前でおきている異常現象を疑いもしないで行動する、一種の性格破綻者だ。

彼らにとっては、目の前の事実の質はどうでもいい。 大事なのは、その物語世界のルールに従って行動すること。

亀の話を真顔で聞いたりする行動は普通じゃない。浦島太郎の物語世界の中でも、 もっと常識的な子供達は亀を叩いた。 しゃべる亀なんか見たら、普通は誰でも怖い。実世界のルールは、御伽噺の中でも一応通じる。

桃太郎は、鬼を殺した。

童謡「桃太郎」の歌詞は、後半になると不気味に変化する。

  1. 桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた黍団子 一つわたしに下さいな
  2. やりましょう やりましょう これから鬼の征伐に ついて行くならやりましょう
  3. 行きましょう 行きましょう あなたについて何処までも 家来になって行きましょう
  4. そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて攻めやぶり つぶしてしまえ鬼が島
  5. おもしろい おもしろい のこらず鬼を攻めふせて 分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや

住民はたしかに困ってた。財宝も奪われていたし。それでも、事実関係の確認もせずに 相手を殺しに行くのは、やっぱり変だ。

「正義」を疑わず、何のためらいもなく殺しましょう

桃太郎の物語の言いたいことは、こういう価値観だ。

正義は社会の荷物

スターウォーズの世界で帝国が大きくなったのはなぜか。

みんながそう望んだからだ。

古い価値観を暴力で押し付けるジェダイの存在というのは、 自由な貿易を行いたいとか、もっと自由な政治形態に移行したいという価値観を もった人達にとっては、邪魔でしかなかった。

世界を本当によくしたい、豊かにしたいと考えたのは、皇帝パルパティーンのほうだった。 デススターが出来て、世界に秩序が生まれ、みんな平和に豊かになった。

その世界を破壊したのはジェダイの騎士だ。 物語の最後、ジェダイは確かに勝利した。でも、残されたのは荒廃しきった社会。

あの壮大で迷惑な戦いは、「みんな」に何を残したのだろう。

正義を名乗る者というのは、「悪役」がいないとただの社会のお荷物になってしまう。

皇帝陛下は「悪」だったのか?

見た目がちょっと怖い」。皇帝陛下の「悪い」ところなんて、このぐらいだ。 その見た目でさえ、怖く変形させたのはジェダイのしわざ。

正義は正義でいるために、「悪役」をでっち上げることぐらいは平気でやる。

福の神になったびんぼう神

「黒」が「白」に勝つ話は少ない。

数少ない例外のひとつ、「貧乏神と福の神」の物語では、悪役だった貧乏神が 福の神に打ちのめされ、さんざんに叩かれる。

絵本を見ると、貧乏神を叩く福の神の顔は醜悪に歪み、彼が物語のルールを踏み外している ことがよく分かる。

あの話の中で、「物語のルール」の決定者であり、世界の「神」の役割を果たしていたのは、 貧乏な夫婦のほうだった。ルールを外した福の神は夫婦の支持を失い、 だからこそ貧乏神が福の神に勝利するという「奇跡」がおきた。

正義は正義でありつづけるために、しばしば世界のルールを破る。黒であろうが白であろうが、 世界のルールは公平だ。破ったほうには「天罰」が下る。

黒が白に勝つために

争いは、だんだん大きくなっている。

今まではけっこう平和にやってきた。日本中の患者の虐殺を始めた わけじゃないし、医療費だってそれなりに安く抑えられてきたし。

ところが、うまくいきすぎた社会からは、「白」の存在意義というのが失われてしまう。

白が白でいるためには、黒が悪いことをしないといけない。

「黒」的には、みんな灰色で全然かまわない。色が薄まって、イメージがよくなる分には 全くかまわないし。

ところが「白」には一滴の染みも許されない。黒は汚れが目立たないけど、 白いほうはそうはいかない。

いま、目立たなかった「染み」というのがだんだん目立つようになってきて、 たぶん、「白」の人達はけっこう焦ってる。

だからこそ、「世界のルール」を曲げてまで、「黒」に争いをけしかける。

この争いに「黒」が勝つためには、「白」に負けること、蹂躙されること、 徹底的に打ちのめされることだ。

  • 戦わないで守りに徹して、自分にできる範囲の仕事だけを粛々とこなす
  • 絶対に悪態なんかつかないで、バカ正直に仕事を続ける
  • 黒のほうから手を出したり、世界のルールを作っている人をコケにするような発言は、 一つの例外もなく止める

お客様は神様という言葉は、理念ではなく真実だ。

「黒」が「白」に勝利しようと思ったら、自分達を脱色して黒を白へと変換するしかない。

それはとても難しいことだ。なんせ私等は、黒なんだから。 染みひとつ残ったら、「白」にはなれない。

それでも、黒が白に勝つための最低条件、「相手がルールをはみ出すこと」は、 現在もうはじまっている。争いが始まった以上は、勝利する戦略のほうがいい。

白衣を着た黒と黒い制服の白との争いは、たぶん今が鍔際なのだと思う。