空気を使った仕事のやりかた

空気を読もうとする人に対する批判が増えたような気がする。

やっている仕事の影響なのか、 こうした意見には違和感を感じる。

空気は役に立つ。少なくとも、自分が病院で仕事をするには。

医療は配分の問題

漂流する宇宙船に100人の人が乗っていて、次のステーションまでの酸素は50人分しかない状況。

  • 残りの酸素を平等に分配すると、全滅
  • 全ての乗組員が共産主義者だったら、リーダー一人を残して全滅
  • 全ての乗組員が人権活動家だったら、やっぱり全滅
  • みんなで酸素の奪い合いをして、生き残るのはようやく数人

どう立ち回っても、50人分の酸素で50人を生かすのは、けっこう難しい。

臨床医学というのは、「50人分の医療資源をどうやって100人に配分するか」という学問だ。

手持ちの資源を上手く使って、最初の50人は何とかする。間に合わない50人分は、 血と汗と根性と気合とで、何とかする。

西洋医学は、特定の病気については結構すごい。

十分な時間とコスト、そして何よりも、十分なマンパワーを突っ込める環境さえあれば、 相当悪い状態からでも治る人は治る。

内科の領域では、医者の「腕」のかなりの部分はマネージメントの手腕がものをいう。

大学病院急の施設でさえ、マンパワーは全然足りない。

貼り付きで診ないといつ急変するか分からない患者が来ても、自分の外来はあるし、 検査当番の枠もある。

看護婦さんとか、他のスタッフ、あるいは集中治療室のベッドを借りようにも、 そのベッドのほしい患者さんは他の科にもいる。

上顎癌の手術後の患者と、人工呼吸器の必要な新生児のどちらが「重い」のか。

将棋の名人と、オリンピックの短距離金メダリストのどちらが「強い」のかを比べるぐらい、 比較の難しい問題だ。

足りないものを平等に分けたら共倒れだ。自分の受け持ち患者が倒れるのを見たくないなら、 他科に倒れてもらうしかない。

空気を使った仕事のやりかた

劇症型心筋炎の患者さんを受け持ったことがある。

とにかく重たい病気。10日間ぐらい、心臓は完全に止まってしまう。

人工心肺必須。患者さんの状態はむちゃくちゃ悪くなるけれど、 運が良くて、十分なマンパワーを突っ込めるならば、復活して歩いて帰れる。

患者さんは集中治療室に入ることになる。いつもの病棟とは違う、いろいろな科の 重症患者が「そこにいる権利」を取り合っている場所。

大学のICUには、集中治療専門のスタッフがいる。 この人たちが集中治療室のマネージメントを行っていて、 限られたICU資源を、各科に「公平に」配分している。

公平なんて冗談じゃなかった。

重症患者を持ったら、もう目の前の患者のことしか考えられなくなる。

ほしかったのは「全部」。 他の患者がどうなろうが、正直知ったこっちゃなかった。

建前「公平」のところから「全部」を引っ張るにはどうすればいいのか。

空気の力を借りるしかない。

心がけたのは、「病棟の空気を作る」ことだった。

ICUに内科が患者を連れてきた」から、「ICUで診ている○○さん」へ。 空気を変換できれば、「公平」なんか簡単にひっくり返せる。そう信じた。

  • 用が無くてもいつも病棟にいるICUに本を持ち込んで、 飯喰うとき以外はいつもそこでブラブラしていた。
  • 毎日患者さんのエコー検査を行う。エコーを毎日やることには、医学的には何の意味も無い。 エコーは検査の道具ではなく、コミュニケーションの道具だ。見慣れない医者が、 見慣れない検査をしていれば、人が集まる。人が集まれば、その病棟のスタッフと会話ができる。
  • 毎日「よくなっています」という。良くなっている人には、みんな熱心になる。 ICU入室後の最初の1週間、患者は毎日「良くなって」いった。 化けの皮がはがれて心臓が完全に止まった頃には、もうみんなと知り合いになっていた。
  • 常に患者さんの話題を出す。本人は呼吸器つながれて意識も無いから、 話題なんか作りようもない。 それでもしゃべる。奥さんが髪の毛を染めた。 子供が昨日泣いていた。明後日長崎から両親が来るらしい。何でもしゃべった。
  • 自分の考えを伝えて、相手に判断してもらう。 決める人は常にICUスタッフで、内科はその下僕という スタンスを徹底した。
  • 家族を抱きこむ。奥さんや実家の家族には、ICUスタッフのその日の担当者、 上の先生の顔を覚えてもらって、毎日挨拶してもらった。

集中治療室での管理をしてもらえる期間は、通常長くて2週間。

毎朝の各科集まってのミーティング。「次に出されるのは誰だ?」というのは、 みんなの共通の関心事。

入室の長い科に対するプレッシャーは日ごとに高まり、圧力に負けた科はICUから病棟に戻る。 医学的には、みんな十分すぎるぐらいに重症の人ばかり。それはお互い分かってる。 理屈だけでは、議論の決着はつかない。

入室10日目。

「今度出るのは内科だろう…」というのが、各科共通の空気だった。

それはこっちも読めたから、その日のミーティングには気合を入れた。

いつもの出席人数は、自分と下級生の2人。その日は、助教授以下、医局員14人。

話す話題は、いつもと同じ深夜帯から日勤帯への申し送り。申し送りの最後。 やっぱり退室勧告があった。

ICU:「○○さんは入室も長いですし、そろそろ…」

内科:「要は出ていけ。と?」

相対する白衣と白衣。こうなったら、人数の多いほうが勝ちだ。

内科は残留。代わりに出ていったのは、小児科の子供さん。

ミーティング後、病棟の廊下で、小児科の主治医(女医さんだった)から抗議を受けた。

内科の先生方は、やりかたが汚くないですか?

その時の自分にできる、最高の微笑みを返してあげた。

そう。

内科はたしかに汚いよ。

でもね。

あんたの科のガキが「5番ベッドの新生児」と呼ばれている間。。。

うちの患者の呼ばれかたは「○○さん」だったんだ。

みんなプロだ。強弁と恫喝なんかで、入退院の原則が覆るわけがない。

強弁は単なるきっかけ。こうなることは、最初から分かってた。 大事なのは、ミーティング当日の朝の時点で 「そうなる空気」が準備できていたこと。

空気の力だ。

みんな空気に作られた

まだまだ駆け出しだったころ。

何か「間違った」ことをやっては、上級生から怒られる毎日。

怒られてるから、何か間違えていることは分かる。 怒られる理由は説明してくれる。

でも、なんでそのことで怒られるのか、 卒業したばかりの研修医には、理解の埒外のことだらけ。

客商売の大切さ、ましてや間違えたら人が死んじゃう危機感なんて、卒業したての 若手には、まだまだ共有できない。

最初の頃のモチベーションは、「上級生に怒られたくない」、その一点だった。

人が成長するためには、試行錯誤が不可欠だ。

自分でやってみて、間違えれば間違った結果が出るし、正しければ何かを得られる。 行為の結果というのは、最良の教師になりうる。

ところが自分達の業界ではこれができない。

間違った行為の結果というのは、そのまま医療事故だ。最悪人が亡くなる。

それは困るから、上級生はとにかく怒る。

怒られるほうからすると、その理由はどうしても理不尽に聞こえることがある。 「間違ったことをやったらどうなるか」を、実際に見た人がほとんどいないから。

「そこはそういうもんなんだ」。

成長するということの最初の一歩は、この「空気」を共有することからはじまった。

理由は後からついてくる

ドアを静かに閉められない人が増えているそうだ。

バタバタ音を出せば、みんなが迷惑する。ちょっと考えれば分かりそうなものだけれど、 「みんなの迷惑」というものが想像できない人には、この必然性が分からないらしい。

ドアを静かに閉める習慣のある人は、その「必然性」とやらを理解してやっているのだろうか?

子供の頃、ドアをバタンとやったら、父親から死ぬほど怒られた。それだけのことなんじゃないのか。

「必然」なんか後からついてくる。

自分が無自覚にやっている行動が、気がついたらみんなにとって快適な、行為になっていた。

こうした動作の習慣というものは、たぶん理不尽な教育手法で叩きこまれたもので、 理論だてて教えられた人は少ないんじゃないかと思う。理由なんか、後から適当につければ十分だ。

「みんなの意見」なんか、本当は存在しない。

そうした幽霊みたいなものを信じさせているもの、ないものに対して気を使うモチベーションの 元になっているものこそが「空気」というものだ。

空気は形があやふやで、非常に厄介なものだけれど、やりかたさえ正しければ、 それはある程度までは操作でき、多くの人の力を借りる役に立つ。

自分が仕事を続けていく上では欠かせないもののひとつだ。