この世の全ての悪に…

記憶の人フネス

ボルヘスの小説「記憶の人フネス」は、完璧な記憶力の持ち主の不幸な物語だ。

物語中では、フネスは痴呆に近い人、頭の回転が鈍い人として描かれる。

フネスは完璧な記憶を持つ。その代わり、考えることができない。

フネスの記憶は完璧すぎて、たとえば三時十四分に横から見た犬と、 三時十五分に前から見た犬とが同じ名前で呼ばれるのが理解できない。

完全な記憶を保持できる人にとっては、「犬」という一般化した概念は必要ないから、 全ての思考は単なる思い出しの作業になってしまう。

考えるため、何かを創造するためには、頭に入ってきた情報をから必要なことだけを 取り出して、概念化するプロセスが欠かせない。記憶が完全に保たれるなら、 そもそも「必要な部分だけを取り出す」必然性がない。だから考えられない。

「物を忘れることができる」能力というのは、思考をしていく上ではけっこう重要な能力だ。

実在した記憶術師、エス・ヴェー・シェレシェフスキーは1920年代に記憶術の ショーで活躍した人物だが、その後半生は記憶を消すことができないことに悩まされたという。

彼は、記憶した数列や言語を紙に書き出し、その紙を焼き捨てることで、「忘却」を達成しようと試みた。

しかし、黒く燃えた紙の上にも彼が記憶した文字や数字は浮かんで来てしまい、 記憶を消すことはできなかったという。

Getting Things Done

父親が他界したときのこと。

けっこう急な話だった。

入院患者を誰かに頼んで、外来をたたんで。慌てて実家に駆けつけたけれど、 何から手をつけていいのか分からなかった。

父が生前頼んだ通販の解約。遺品の整理や、大学に残した物品の引取り。 何よりも、これから先の暮らしをどうやって立てていけばいいのか。

瑣末な問題から、大きな問題まで、解決しなくてはならないこと山盛り。 原因になった当の本人はもうこの世にいないんだから、どうしていいのか 本当に分からなくなった。

頭が再び回りだしたのは、生命保険や処分した資産をどう保管するか、という問題が解決したときだ。

「とりあえず郵便貯金に預けて、しばらく忘れましょう。」

根本的には何の解決にもなっていない、単なる先送り。

それでも「その問題は今考えなくてもいい」ということに気がついたとき、 何かが回りはじめた気がした。

人の脳が使えるメモリの量は本当に少なくて、問題が増えるとすぐにハングアップする。

どんなに小さなものでも、それが頭の一部を占領しているかぎり、前に進む力というのは どんどん失われていく。

原因が知りたいという不幸

科学と似非科学

  • 伝統的な科学者は、問題を研究して、論理を積み重ねて結論にたどり着く。
  • 似非科学で人を騙す人は、まず問題に対する結論を出してしまって、 それを証明するために研究をする。

全然違うようだけれど、出発点は同じ。何かの問題があって、それを解決するために なにか原因を特定したいという思いはどちらも共通だ。この思いすらないものは、 似非科学でなくて詐欺という。

西洋医学は科学的な手法を用いるけれど、病棟で臨床をやっているときは、 似非科学的な手法をよく使う。

例えば不明熱の患者さんがいて、「原因は分からないけれど、 多分ステロイドくれれば効くだろうな…」という ケースは実際よくある。

こんなとき、「分からないけど、とりあえず使ってみました」では、 西洋医者の解答としては問題がありすぎる。で、 MedLine を駆使して自分に味方してくれる論文を探す。

一応、論文は科学的な手法で導かれたものだけれど、 「まず結論ありき」で論文を収拾すると言う態度は、 似非科学者のそれとあんまり変わらない。

結論が先にあって研究するのか、それとも研究の結果としての結論なのか。

この順番は決して入れ替え不可能なものではない。

伝統的な科学者が主張するほどには、科学と似非科学の手法には違いはない。

科学者にとって、何よりも大切なのは、原因を突き止めることだ。

ものごとには原因があって、それを解決すれば問題は解決する。

科学者を動かしているのはこういった考えかただけれど、 この「原因が知りたい」欲求というのは、その問題のことを速く忘れたいという 欲求の裏返しなんじゃないかと思う。

「フネス化」する人々

人は忘れられる。だから考えられるし、前に進める。

インターネットは、この「忘れられる」という能力を壊してしまった。

何年経っても、検索さえすればいつのニュースでも参照可能。 Web の管理者が削除した情報ですら、 ネットを探せば必ずどこかに痕跡は残る。

情報は忘れられることなく、ネットにつながった人は無限に近い記憶の容量を持つ。

ネットで文章を書いていると、1年もすれば自分のオリジナルな体験など底をつく。 何か新しいことを書こうとしても、ネットのどこかで誰かが同じことを書いている。

完璧な記憶は、書き手の思考を縛る。全ての人はフネスになる。忘れることを忘れた人は、 思考することができなくなってしまう。

真実を知りたいんです。

最近の医療訴訟の原告の人達は、記者会見などでは決まってこう言う。

「真実」なんて簡単だ。全日本レベルの優れた医師が、ただ一人の患者に全力を投入できるような 環境であれば、大抵の医療過誤なんて無くなる。

現実問題としてそんなことは不可能で、 アクセス性とコストの問題を妥協するから、結果としてリスクが生じて犠牲者が出る。 それだけのこと。システムの問題だ。

医療者側の考える「真実」と、原告側の人たちが求めている真実とはしばしば乖離する。

原告の人たちが求める真実は、焼き捨てることが可能でなければならない。

  • 「システムの問題」とか、「確立の問題」といった真実は、火をつけて焼くことができない。
  • 「犯人は○○」とか、「実は、黒幕に○○がいて…」という真実は形が見えるから、それに火をつけて 焼き捨てることができる。

忘れられなくなると、みんなフネスになる。

考えられなくなり、なんでもいいから燃やせるものを探し出す。

忘れるため、思考を続けて、前に進むためには、「原因」を紙に書いて焼き捨てなくてはならない。

たとえそれに効果がなかったとしても。

ネットに忘却をもたらすもの

「忘れることが不可能な装置」の最たるものは、Winnyだと思う。

P2Pのネット上に放流された情報は消されることがなく、ずっとネットをさまよいつづける。

Winny ネットに参加した全てのパソコンからデータを消さない限り、Winny に放流されたデータを 消すことは不可能だ。個人の不倫の情報だろうが、国家機密だろうが、「忘れられることがない」 と言う意味では全く対等。

Winny上のデータを何とか消すことができないものか。

このまま放流が続くとろくなことにならないデータはたくさんさまよっていて、 いろいろな専門家が「Winny に忘却をもたらす」方法を研究している。

大量の偽情報を放流して検索を無意味化するとか、 Winny 上のデータにインデックスをつけて消去可能にするといった アイデアが発表されている。

医療の事故があると、必ず「誰が悪いのか」「原因は誰なのか」という犯人探しが始まる。

問題を解決するためには何か「形」を持った原因、 あるいは悪役というのが必要で、その悪役を「焼き捨てる」ことで、事故にあった当事者は そのことを忘れようとする。

大抵の場合、その「悪役」は便宜的なものにしか過ぎなくて、本当の原因はもっと奥のほう、 形にしたり、あるいは復讐したりするのが不可能な場所にある。

便宜上の「原因」を焼き捨てたところで、 その残骸の表面にはやはり忘れたかった事故の記憶が浮かぶ。

焼き捨てられた「原因」たる当事者の医師は焼かれ損なだけ。 ただでさえ人の少ない現場からは、 また一人貴重な人的リソースが失われる。

「忘れるための新しい技術」というのは、 もしかしたらそうした過程にも何かの変化をもたらしてくれるかもしれない。

今のWinnyの技術の進歩には、ひそかに期待していたりする。

解決不可能な問題に適当な悪役を仕立て上げて、その「悪」を焼き捨てて、 忘れたふりだけするなんていう茶番は、結局は自分達の首をしめるだけ。

医師-患者関係の進化の可能性というのは、きっとこんなところにも転がっている。