地域医療はどう変わるのか

福島県の産科の先生が刑事告発された。

状況は2年前と同じだ。

理不尽な理由で刑事告発がなされ、みんなが あちこちで憤りを表明し、支援の輪が広がり、意見を発信できる医師は 誰もが悲惨な未来を予想して、そのあと何もなかったかのように日常の仕事へ戻って行った。

あれから2年。件の先生が「クロ」なのか「シロ」なのか、その結論すら司法はまだ出していない。

結局何も変わらなかった。

相変わらず救急は寒い状況。むしろ前よりひどい。子供は相変わらず一人で転ぶ。 綿菓子には割り箸こそ用いられなくなったけれど、子供が持つような尖ったものは、 相変わらずレントゲンには写らない。造影剤でも混ぜてくれれば、少しは違うのに。

事件はおきた。子供が死んだ。医師が一人、実質仕事ができなくなった。 でもそれだけ。結局何も変わらなかった。

そして今度の事件。いろいろなところで本職の産科の先生方がコメントを述べておられる。 外野がいまさら口をはさむまでもない。寄付が募られたら、自分も参加するつもりだけど。

医療従事者は、厚生労働省に試されているような気がする。

医療従事者は、どこまでやっても怒らないのか。どこまでやったら、医者は辞めるのか。

怒りは創造的であるが、失望は役に立たない。 ところが怒りは長続きせず、一方失望はいつまでも医者の友であり続ける。 怒りの持続期間。失望の大きさ。官僚の人達は頭がいいから、きっとこのあたりを 冷静に観察している。

地域医療の未来の予測

地域医療は崩壊しかかっている。国としても、さすがに何とかしたいとは思っているだろう。 わずかながら、対策らしきものもはじめられている。産科や小児科の診療点数のアップなどは、 一応はそうした対策の一つだろう。

それでも、お金では時計の針をまき戻せない気がする。 お金じゃない。少なくとも、みんなそうだと信じたい。

医療が変わったのは、環境が変わったからだ。今まで僻地医療という果実は、 それなりに「甘い」ものだった。 仕事は昔から厳しかったけれど、「やりがい」みたいな無形の価値が、 うまく「甘さ」を補っていた。

医療を取り巻く環境は変わり、いつのまにか果実は苦く、口にするのが難しいものになった。 苦くなってしまった果実にいまさら蜜を塗ったところで、それに飛びつく医者はもういない。

苦い果実を甘くしてもしょうがないならば、国が次ぎに取る手段は一つ。

残っている「甘い」果実を、すべて苦くしてしまうことだ。

複雑適応系としての果樹園のモデル

医療の業界を、果樹園のモデルに例えてみる。

  • 医者は「昆虫」
  • 首都圏の医療は「甘い果実」
  • 僻地医療や産科診療は「苦い果実」
  • 厚生省は「果樹園の管理者」

苦い果実も甘い果実も、果樹園の経営者に取ってはお金になる大切な作物。

果物は昆虫が受粉しないと実にならない。甘い果実にばっかり虫が集まっても 実を食べられてしまうだけだから、果樹園の経営者は苦い果実を昆虫に 食べさせようと、あれこれ苦労する。

残念ながら、苦い果実を甘くする行為には意味がない。昆虫は、苦い果実に塗られた 蜜をなめることはあっても、蜜がなくなったらすぐに甘い果実を実らせる木へと群がる。 好んで苦い実を食べる昆虫など、そうはいない。

2種の果実と、数種類の昆虫。

こんな簡単な世界ですら、管理者の外乱に対してある程度の強靭性を持っている。

苦い実を甘く見せようが、数匹の昆虫を潰して見せようが、何の効果もない。 昆虫は甘い実をつける木に群がり、苦い実をつける木からはますます虫がいなくなる。

こうした生態系を変化させようと思ったら、「要石」になっている生物種に手を加えることだ。 この生態系の場合、要石となっているのは、昆虫の共通の好物である「甘い果実」。

甘い果実に苦い汁を塗ってみたり、甘い実をつける木を伐採したりすれば、 昆虫は甘い実を食べられなくなる。 「要石」に対する操作は、どんなに些細なものでも生態系全体を揺らがせる。 ただし、その結末を読み切るのは非常に難しい。

結末を素朴に予想すれば、全ての果実が「苦く」なれば、甘い果実、苦い果実に等しく 虫が群がり、果樹園経営者の目標は達成できる。ところが実際にはそんなには上手くいかない。 甘い実を求め、果樹園からは全ての虫がいなくなってしまうかもしれない。

予想される「苦い」政策

「苦い」政策がとられたことは、何度かあった。

1961年の日本一斉休診。1971年の保険医総辞退。いずれも日本中の医者が反発し、 厚生省と医者との突っ張りあいは、一応医者側が「勝った」。

時は移り、 医者は弱くなり、数が増え、団結しなくなった。

この数年、医者をいくら刺激しても、疲労した医者は形ばかりの憤りを表明こそすれ、 実際の行動はほとんど起こさない。

厚生労働省は、あるいは今こそが「苦い」政策を施行するチャンスと思っているかもしれない。

具体的には、都市部で働いている医師に重税を課す。大体、今の年収の1/3ぐらいの奴を。

もっともらしい理由なんて、いくらでもつけられる。

  • リスクの高い診療科での無過失補償の実現
  • 僻地医療の充実のための財源
  • 負うリスクに応じた所得の再配分

医者なんてほとんどがサラリーマンだから、税金なんて簡単に集まる。相当な額になるだろう。

あとは、関係省庁でとりあえず打ち上げをして、厚生労働省の保養施設のハコモノをいくつか作って、 全県に天下り先の非政府組織を確保して。

で、それでも予算が余ったら、お役人様ももともとの目的のために、涙金を使ってくれるかもしれない。

絶対に揉めるだろう。そのとき、保険医辞退をやるガッツが医者側にあるかどうか。

国は今まで様子を見て、多分奴等はやらないと結論を出しつつある。

分割して統治せよ

こうした「苦い」政策を成功させるには、対象を分割することだ。

白人と黒人。富裕層と貧困層。 患者と医者。ベテランと若手。首都圏と地方。

対立は統治者によって煽られる。

例えば、「首都圏税」は部長級以下の若手にのみ納税義務を科す。すでに開業している人は免除する。 これだけで、ベテランと若手、あるいは開業医と勤務医とは連携が難しくなる。

患者と医者。健康保険を集める側と、それを使う側と言う意味では、医者と患者は本来仲間で、 対立する相手は厚生労働省。ところが今は敵同士だ。

下々が対立して、お互いにいがみ合っている間に、本当の統治者たる厚生省の役人は ノーパンしゃぶしゃぶに毎夜舌鼓を打つ。気がついた頃には、当の役人はとっくに財を成して いて、残るは呆然とした医者ばかり。

そして価値は循環する

生態系では、「甘い果実」は、放っておいてもいつか苦くなる。

虫に食われっぱなしの実は、育つことができないから、甘すぎる実をつけた 木は虫に食い尽くされて淘汰される。

生態系内では、昆虫と果実はお互い相互作用する。 「甘い木」につく虫の数は減り、果樹園では「苦い木」の数が増えていき、そのうち苦い実を主食にする虫が 優位になる。そしてさらに時間が経つと、果樹園には再び「甘い木」が増えてくるかもしれない。

価値は循環する。循環はするけれど、時計の針が巻き戻るわけじゃない。

「甘い木」が再び増えた果樹園は、一見昔と同じかもしれない。ところが、新世代の「甘い実」には 緩徐な毒が入っていたり、「苦い木」の幹からは甘い蜜が滴るようになっていたり。よくみると、 細かいところではずいぶんと異なる。近いところまでは戻っても、同じ所はどこにもない。

複雑適応系では、構成要素はそれぞれ相互作用しあう。 環境の変化は昆虫の生態に影響を与えるし、 同様に昆虫の振舞いもまた、果樹園の植生に影響を与える。

「苦い実」を食べなくなった虫は、たとえ全ての実が苦くなっても、 それを我慢して食べるようになるわけじゃない。

苦い実の中から甘い部分だけを見つけるすべを覚えたり、 苦い実を「甘く」食べられるように自らを適応させたり。 もしかしたら実を食べることをあきらめて、根を食べて木を枯らしてしまうかもしれない。

果実と昆虫。お互いの影響は、お互いの性質を根本から変える。 これは神様の仕事だ。役人に予想できることじゃない。

僻地医療や、産科や小児科。今のまま崩壊ということは決してなく、 このニッチには必ず人が入ってくる。 入ってくるけれど、僻地の救急外来に、昔のように医師が当直する可能性は低い。

夜中の外来。入ってみれば、そこには民間の救急タクシー業者が待機していたり、 時差のある国の医者が、テレビ電話で応対してくれるだけだったりするかもしれない。

変化に対して何ができるのか

甘くなろうが苦くなろうが、医療という生態系の中では、産科も僻地も立派なニッチだ。

株式相場の世界では、みんなが「買い」だと言った銘柄はすでに売り時で、 みんなが「駄目」だと言った銘柄こそが今買い時なのだという言い伝えがある。

世界は変化し、価値は循環する。今甘く見える業界は必ず冷えるし、その逆もまた然りだ。

問題なのは、その変化が何年先にくるのかが分からないこと、変化の先にくる「新しい昔の時代」に、 自分のいるニッチにどんな戦略を持った医師が登場するのか、全く読めないことだ。

民間の病院から大学の医局に入れてもらって、この時期にまた地方の民間病院へ。

別に僻地に思い入れがあるとか、頭の温かいボランティア野郎みたいな狂ったストラテジーで 動いているわけじゃなくて、自分なりに利己的に振舞おうとした結論がこれだ (多分に「趣味」という側面があるのも否定できませんが…)。

今「甘い」果実に殺到しようとしている先生方は、世界はまだまだこのまま続くと読んでいる。 自分はそう思っておらず、世界は変わり、全ての実が「苦い」時代がすぐに来ると読んでいるだけだ。

今苦い果実で飢えをしのいでいる先生がたは、何とか踏みとどまって欲しいなと思う。

これから先の時代は、努力しているだけでは不充分で、努力していることを発信していかなくては 何の意味もないし、努力したって正当に報われるのかどうかすら分からないけれど、 努力すること自体が笑われる世の中だけには、絶対になって欲しくない。

そしてもっともっと頭のいい先生方。

東大医学部とか慶応医学部とか、超人類級の先生方の 役割というのは、なんといっても変化の先を読んで、次の世界での医師の生存プラン というものを、いち早く下々に示すことだと思う。

成長著しいベンチャー企業google の中枢には、脳神経外科医だった人がいる。 医学がどこまで関係しているのかは知らないけれど。

新しい生存プランというのは、そうしたベンチャー企業的なものかもしれないし、 あるいは地域限定の健康保険に根ざした、伝統的な医療制度の再現みたいなものかもしれない。

先の読みは全くできないけれど、厚労省の官僚の読みを超えた、全く新しい医療経営モデル、 場合によっては健康保険制度に頼らないような地域医療のモデルを作るのは、 やはり超絶に頭のいい大学の先生方なのではないかと思う。

きっとだれかやってくれる。東大と慶応と京大と阪大。ここだけで、年間400個もの頭脳が 新たに医療の業界に参入して、そのほとんどが霞ヶ関のキャリア以上に頭が 切れるんだから。

伝統を乗り越え、誰もが想像もしなかったような、 新しい価値観を世界に提示することは、「知性の叛乱者」の特権であり、 義務なのではないだろうか。