良医という普通の存在

以前のケースも今回のケースも、医学的にはたしかに回避不可能なケースで、 それを結果責任刑事告発されてはたまったものではないのだけれど。

一方で、同様のケースにあたっても何とかしてしまう医者というのも世の中には 多分いて、そういう人達はどんな状況にあっても、やっぱり何とかしてしまうんだろうな、 という予想みたいなものはある。

鉄火場を生き延びる3つの技能

どういうわけか昔から僻地や激戦地に一人で飛ばされる機会が多くて、 「生き延びる」ということを考えることが多かった。

  • どんなレアケースの急変にあたっても、まるでいつもの外来をこなすように淡々と乗り越えて しまったり、通常なら「奇跡」と呼ばれるような難しい手技を、まるで予定されていたように こなしてしまう、神の手を持つ先生方。
  • どんな失敗であっても、誰かを身代わりに立ててみたり、何か起きそうなときには巧妙に 責任を分散してしまったり、変わり身の速さがいい意味でも悪い意味でも すばらしい、政治的な立ち回りの上手な人。
  • そういう人に責任をおっかぶせられたり、いつも地雷を踏む役をやらされているわりには、 「クロをシロと言いくるめる」ことで世の中を渡ってきた、詐欺師の技術に長けた人。

生き延びるということを考えながらいろいろな先生にあってきて、 その多くの人達はもちろん普通にいい先生方なんだけれど、「いい」人か「そうでない」かは さておき、生き延びる手段を持つことに自覚的な先生方というのは、 大概上記のどれかの技量を持っている気がする。

もちろんいい腕を持って、普段から人あたりが良くて、医学的には正しいリスクの範囲で 必要なリスクをとって診療を続けていれば、本来は刑事告発なんかされるわけがないのだが、 今回の産科の先生のケース、そして以前のケースにしても、両方とも「普通の」いいお医者さん をやっていた人が持っていかれている気がする。

もしもこうした「普通の」人たちが、生き延びるための何らかの技量を持っていたならば、 事態はもう少し違っていた。

たとえ急変の鉄火場を乗り切れなかったにしても、 あるいは自分ならやっぱり乗り切れなかっただろうけれど、例えば相手方の家族を 何とか味方につけてしまうなり、自分のいる施設の長や、所属医局のトップを 最初から相談の席に巻きこんでしまうなり、自分だけが首を切られて 後は丸くおさまる、という結末にはならないんじゃないかと思う。

自然界のルールで生き延びる個体

例えばサバンナの中で暮らすシマウマの群れというのは、群れの中の一定数を常に ライオンに食われる宿命にある。その中でも、食われる奴と生き延びる奴というのは 存在する。

身体の縞の具合がちょうど良くて、ライオンからは草に隠れてほとんど見えない奴というのは、 騙すのが上手い詐欺師だ。たとえライオンが目の前にいても、「私はそこにいませんよ」とばかりに 気配を殺してさえいれば、危機は目の前から去ってしまう。

政治的な立ち回りが上手い医者というのは、要は足の速いシマウマだ。 ライオンという脅威がいきなり群れに飛び込んできても、かわすのが上手で 足の速いウマは、常に逃げられる。誰かが代わりに食われてしまうけど。

ゴッドハンドを持った医師というのは、いわば肉食化したシマウマだ。 なぜか生まれたときから臼歯の代わりに牙を持っていて、 ライオンが来ても戦って追い払ってしまう。ゴッドハンドが群れにいると、 脅威が来ても戦ってくれるから、群れ全体が非常に助かる。

その代わり、そもそも牙を持った肉食のシマウマなんて、アフリカ中探したって、 1頭いるかどうか。存在自体が自然のルールに反しているものだから、 群れ全体が「肉食化」することはありえない。

自然のルールの中では、ルールのウラをかけない個体は淘汰されるのが常識だ。

問題なのは、自然界の中では、シマウマというのはそもそもライオンに食われるのが 「ルール」なのだということで、食われてしまう「普通」の奴こそが、 実際の生態系を支えていることだ。

モラルとルールのこえられない壁

サバンナにライオンという存在がそんなに多くなかった頃は、医者もまだまだ平和なもんだった。

そこにはルールなどはなく、モラルがあるだけ。ただ一言「良医たれ」。

いつのころからかモラルは崩れ、その世界にはいろいろなルールが入り込んできた。

ルールを入れたい誰かの思惑が先だったのか、あるいはモラルが勝手に崩れて、 それを制御するためにルールが必要だったのか。

今はもう、良医のイメージそのものが崩れてしまって、 「良医」という普通の存在は、まず真っ先にライオンにとって食われるシマウマのように、 「死にたくなければなってはならない」ものへと変貌しつつある。

モラルのない世界で医療という生態系を維持するためにはルールが必要なのだが、 世の中がモラルベースからルールベースへとシフトした過程で、 生態系を構成する個体もまた、ルールを変えうる存在に変貌した。

ルールが変われば、生き延びる個体は真っ先にルールの「穴」を探すし、 それはシマウマもライオンも同じ。 ルールの作成者が「良医」を増やそうとルールを弄くっても、残念ながら新ルールに適応した ライオンの格好の餌になる。

普通の奴が生態系で幸せに増えていた世界というのは、 ルールが必要になる前の世界で、普通の奴に福音を与えようと 思ったら、ルールをいじるんじゃなくてルールを捨てる方法を考える必要がある。

そのためには、自然界ならサバンナからライオンを全て駆除してしまえば 万事解決…なわけがなくて、そもそもサバンナにライオンが侵入した時点で、 それが「自然」というルールの方向を決定してしまった。

いまさら大自然のルールを覆すことはできないし、自然によって生存本能に 火をつけられてしまったシマウマは、ライオンがいなくなれば草を食い尽くして、 アフリカ大陸は砂漠化してしまう。

時計の針を巻き戻すにはどうすればいいのか。そもそも昔はなんでルールでなくモラルが 支配する世界なんていうのが可能だったのか。

いつからそれが崩壊して、その きっかけはなんだったのか。変化は急激なものだったのか、それとも気がつかないぐらい ゆっくりと進行したものだったのか。

モラルとルールのそもそもの違いというのが、この産科の先生の逮捕以後、 ぐるぐると頭を回っているのだけれど、どうもよく分からない。